白つめ草の冠
瓦屋根を、雨が打っていた。
その音を、山本さんの膝の上できいていた。
天井が低いせいか、雨音は耳の中にも落ちて、頭蓋骨の中にも暗く溜まってくるようだった。
「お化け屋敷」「ぼろ屋敷」
山本さんの家の前まで連れて来た学校の友だちは、古い家を見ると、急に怖くなったのか、ランドセルの背中を向けて逃げてしまった。
「屋敷というほどの、たいそうな家ではないのになぁ」
四畳半一間の平屋にひとりで暮らす山本さんは、照れたように笑った。
ちゃぶ台の上には、山本さんがわたしに何がいいかをきいて、今日一緒に来る予定だったわたしの級友のために買い揃えたお菓子が、封を切られないままになっていた。
庭の片隅に据えてある、バケツくらいの大きさの古い甕を満たす水音。家の中にも、雨が降っているようだった。
私立小学校の制服には、襟元に、緋色のリボンがついていて、山本さんは、わたしが片手でいじっていたそのリボンを、上から手を伸ばしてきっちりと結び直してくれた。
わたしは山本さんの膝に頭をのせて、両脚を畳に投げ出し、靴下をはいた足先で古びた畳のへりを擦ったり、顔をずらして開け放してある雨戸の向こうの、小さな庭を眺めた。
濡れ縁の先の二畳ほどの小さな庭には、緑の草が生い茂り、葉を打つ雨は、葉脈の上で透きとおった玉になって、次々と土に転がり落ちていた。
真上にある、山本さんの顎と喉仏を見上げた。
濡れた庭土と、木の家特有の湿気が、三つ編にしたわたしの髪や、きちんと坐った山本さんのズボンを同じ匂いにしていた。
古めかしくて、ちょっと厳粛な、そんな匂いだ。
「雨が降って来たから、あの子たち、先に帰ってよかったんだよ」
「そうだね」
庭に落ちて、草に埋もれたままになっている黒い屋根瓦が、雨に濡れて、硯石のようにつややかになっていた。
制服の胸につけたプラスチックの名札を、わたしは手でぱたぱたと動かした。そこには、「佐藤聖美」と、読み方の「さとうきよみ」が並列して書かれてある。
「本当は学校の子たちを連れて来たくなかった。山本さんを独り占めできて、嬉しい。山本さん、きよみの恋人になって」
「いつでも」
山本さんは、いつもその返事だった。いつでも。ただし、と山本さんは続けるのだ。
「きぃちゃんが、五人の男の人と付き合ってからね」
その約束を果たすべく、それから十年をかけて、わたしは五人の男と付き合った。
「なぜ、五人?」
「竹取物語。かぐや姫に求婚する公達と同じ人数だから」
なにさ、それ。と思いながらも、男とのあれこれに疲れたからだを山本さんの膝の上にすりつけて、
そんなに好きでもない男とのあれこれの、余韻や名残を、十年かけて、そこで休めた。
社会人の男の人がくれた誕生石のついた指輪や、予備校の男ともだちから借りたノートをちゃぶ台の上で見せても、山本さんは平然としていた。
わたしの手を取って、「いいね。これ。どうしたの」左の薬指にはめた指輪に感心してみせる山本さんは、心底、きれいなものに感心して、喜んでいるようだった。
その山本さんが、身をかがめ、畳に額をすりつけた。
「きぃちゃんは、聖美の名のとおり、清姫のように執念深かった。それが、ぼくの誤算でした」
清姫とは、熊野参詣を訪れた美貌の若い僧にひと目惚れをした女が、蛇に代わって若者を追いかけ、鐘の中に逃げ込んだ僧をついには怨念の焔で焼き殺すという、あれである。
「伝説のわりには、若僧、安珍が、どの天皇の御世の何年の夏に、紀州とは遠く離れた奥州白河から熊野に来たとはっきりしているのが、妙に現実味があるでしょう」
「話をそらさないで下さい」
「そのうち、きぃちゃんにも良縁があって、もう、この家には来ないと思っていました」
「そうですか」
清姫、けっこう。執念深い蛇にも鬼にもなりましょう。子供の頃はお兄さんだと思っていた山本さんが、実はうちの両親よりも年寄りだと知ったからって、だからそれがなんだろう。
「聖美さん」
外では、さすがに、きぃちゃんとは呼ばれなかったが、きぃちゃんが聖美さんに代わったところで、山本さんとわたしの二人連れは、傍目には異様な取り合わせには違いない。
透明の下敷きに挟んでいつも持ち歩いている、山本さんと二人で撮った写真を見せると、大学の友人は声を揃えて「人生をよく考えろ」と私を叱ったし、
噂をきいた他学部の男子学生にいたっては、下種な好奇心むき出しに、きわどいことを根掘り葉掘りと食堂で訊いてきたりした。
その記念写真は、世界で何番目かに大きいとかいう、観覧車の前で撮った。
赤い観覧車は空港から遠くない、陸と海の境目に立っている。
観覧車のはこが空のあいだに回っている間、山本さんは海にも陸にも目を向けて、夕闇の中に離発着する飛行機の機影を探し、
夕映えを切って飛んでゆくその巨体に、雄大なものを追うような、そんな憧れの目をしていた。
それから日没の太陽から目を逸らし、地上に向かってだんだんと低く沈むはこの中で、顔を伏せてしまった。
「きぃちゃんは、清姫さんですか」
「こんな、おじいさんと一緒にいても、いいことは何もない。そろそろ、もうお別れしませんか」
「最近は何やら体調も悪くて、結核かもしれません。伝染してはいけませんし。ごほごほ」
下手な芝居は止していただきたい。
山本さんは、実年齢よりはずっと若く見える。精神が若々しいというよりは、もとから竹のように肉づきに無駄がなく、姿勢がよいのだろう。
わたしが好きになったのは、初老にさしかかる頃の山本さんだったけど、四畳半一間の平屋の、唯一の家具らしい家具といっていい、桐の小箪笥の引き出しから出てきた
山本さんの若い頃の白黒写真は、なかなか見ごたえがある顔だった。
昔の写真の多くがそうであるように、肖像画でもあるかのように、きりりとした顔で映っていて、目つきに何ともいえない穏やかなひかりがあり、昔から、やさしい人だったようだ。
それと一緒に、もう一枚、べつの白黒写真も小箪笥から出てきた。
その写真の山本さんはもっとずっと幼くて、丸坊主、兵児帯のきものを着ており、ちょうどこの家のような古い家の前に横向きにかがんで、野良猫に片手を差し出している。
日盛りの時に撮った写真らしく、夾竹桃の香りや、木の柵の匂いまでしてきそうな、明るい写真だった。
「帰郷した父が、撮ってくれた写真です。戦闘機のりでした」
「ふうん」
わたしは山本さんの肩に頬をつけた。そのうちに、向き合うようにしてその膝にまたがり、脚を相手の腰に回した。
積極性が男女逆じゃないかという気もしたが、四畳半を照らす電球の下で、山本さんを、強く抱いた。
五人の男と付き合った。約束は果たした。だから、こうしてもいいはずだ。
緋色のリボンをつけていた頃とは違い、わたしの身体はすっかり育った。山本さんは細いほうだし、体力的に若いわたしのほうが勝るんじゃないか、ということは、体位は、
などと長年大真面目に気を回していたのだが、心配は不要だった。
その日も、雨が降っていた。
きぃちゃん。
脚の間から腹の上に、それから、わたしの胸の先にまで昇ってきた山本さんの節だった手は、外の葉っぱに触れてきたように湿っていた。
床からのぼる湿気がやがて、全身を霧のようにぬるく包んだ。
わたしは山本さんにしがみついた。もっと、そうして。
紅しょうが色の夕暮れの雲、雨上がりの庭には、幻のような光が流れ、濡れた草々の上には、つめたい秋の風が吹いていた。
商社の海外部門に勤めている元恋人が、出張土産持参の上、チャイナブルー色の車で迎えに来た。
彼は五人付き合った「公達」のうちの一人で、これから、他県で開催されているモディリアーニ展に行こうというのである。
首都圏で催された時にはお互いに見逃したが、そのかわり、この画家を題材にした古い白黒映画は、レンタルで観た。
「そのフランスの二枚目俳優と、四畳半一間平屋住みのじいさんの目もとが似てるというのが、ね」
いっそ件のじいさんも、その俳優みたいに夭折しやがれよと言わんばかりの、彼の口調である。
「夭折はいまさら無理か。戦後を生き抜いてきたご老体にはせいぜい天寿をまっとうさせてやらないとな。それにしても、若い子とあれの最中に
腹上死なんてみっともないから、それは止しとけよ。ははは、週刊誌ネタになっちまう。いついかなる時にフラッシュたかれてもいいように、
こっちも身なりに気を遣っておかなきゃな。老人とご乱交の女子大生、その恋人は某商社の海外営業マン。記事を見たら田舎の親が泣く」
「ハンドル」
「平気だよ、両脇に何もないし、直線だし」
速度違反気味なのと、手ぶら運転する癖が相変わらずだ。
平日なので、美術館はすいていた。
自殺する直前の人間がその顔に浮かべるという、空っぽな表情。仮面か埴輪のような、モディリアーニの絵。
この絵を得がたい名画だと最初におぼえた人は、技巧の達者な絵や、文句のつけようもない完璧な古典美を誇る高度な絵の中から、何をもって、
この絵を掘り出し、他を圧する値打ちをつけたのだろう。
額縁もガラスケースもない、貧乏画家のアトリエに転がっていた、夢と生活の苦しい振り子。
人体構造の基礎すらも投げ出し、かわいい鳩でも描くようにしてかかれた、稚拙ともいえる絵世界への、さびしい撞着を。
何ごとも明快なチャイナブルーに言わせれば、「つまるところ画商が、げてもの好きだったんじゃないの?」ということだ。
ベッドのサイドテーブルに外した時計をおいて、それからチャイナブルーは、わたしの腕時計も外した。毎度ながら、男の人にそうされると、擬似手錠みたいだ。
「大丈夫だって。痛かったら言って」
老人を恋人にしたわたしも、別れた後も何かとわたしを誘い出すチャイナブルーも、つまりは、下種の極みの、げてもの好きということだろう。
「女の子を小学生の頃から手なづけて愛人にしようとは、ふてえじいさんだ。立派に変質者だろうが。まあ俺も似たようなもんだけど」
チャイナブルーには他にも何人もの女ともだちがいて、このくらいの強引さがなければ、譲ることは負けや、屈辱だと思っているような海の向こうの人々との商談や折衝は
とても果たせないのだろうかと思われる、そんな行為をする。
窓から見える夜景の中に、赤く点灯している電波塔。夜になると、山本さんの家からも、あの塔を囲むあたりの空が、ぼうっと明るく見える。
山本さんは、もうラジオを消して、あの四畳半に布団を敷いただろうか。
山本さんは、バイオリンの音が好きで、よく、ラジオの音楽番組を聴いていた。
テレビが嫌いで、断固として、ラジオと新聞だった。お目当ての演奏者の日には、まるで目の前に演奏者がいるかのように、目を閉じて、聴いていた。
ラジオを通した音楽は、高音の伸びと清澄さに欠けていたけれど、誰かの胸の骨の奥で、大切に鳴っている音のようだった。
日によくあててふかふかになった布団の中で、猫みたいに丸まりながら、そんな山本さんを見ていた。
「きぃちゃんに、全部あげるよ。持ってお帰り」
山本さんの家に遊びに行きたいと言いながら直前で逃げてしまった子たちの為に、山本さんがちゃぶ台の上に用意していた、たくさんのお菓子。
あの時の、お菓子を全部つめて帰り際に山本さんが渡してくれたスーパーのビニール袋のほうが、忘れられないのだから、しかたない。
夕暮れの町をいそいで家に走って帰った。そのあいだに、お菓子は袋の中で粉々に砕けて、混じってしまった。袋の底からは、粉にまみれた、お菓子のリストが出てきた。
わたしが張り切って書いた鉛筆書きの、これを見ながら、山本さんはスーパーのお菓子売り場で一つ一つ、チョコレイトや袋菓子を探したのだろう。
砂に刻まれる風紋のように、うっすらと皺の出た乾いた肌と、白髪あたま。何を見ても、嬉しそうな顔と、哀しい顔を交互にする人。
「ずっと、山本さんの傍にいる……」
夏の青空を見ながら、はだかになっている時が、いちばん、仕合せだった。
四畳半の隅々を掃除した。最初は安珍清姫伝説ばりに灯油を撒こうかと思ったけれど、それこそ、延焼した場合には迷惑がかかる。
菊正宗を買ってきて、山本さんのお茶碗で少し呑んだ。
隣家との境目の板塀が、夕陽に照らされて、枇杷色になっていた。夕方の秋の風は、焼いた銀紙のような匂いがする。小さな庭に揺れている濃い緑の葉。三つ葉と、四つ葉があるはずだ。
きぃちゃん。ありがとう。
下を向いて道を歩いていると、真っ白な、雲が見えた。近寄ると、それは日蔭の小さな庭を埋め尽くしている、白つめ草の花だった。
門が開いていたので、そのまま入った。空家だと思った。土に埋もれている黒い屋根瓦を踏み分けて、白い花を集めた。
かがんで花を摘むたびに、頭の上にまでランドセルがずり上がってくるので、邪魔なランドセルをおろして、濡れ縁においた。両手はすぐに白い花でいっぱいになった。
外国から荷物を輸入する時に、緩衝材がわりに箱の隙間に詰めた花だから、この名だそうだ。
白い花に、赤が落ちた。溢れだしてきた鼻血のしまつに困り、花束に顔を埋めて庭の隅の甕のかげにしゃがみこんでいると、空家だと思っていた家の、ガラス戸が開いた。
子供の頃のわたしはよく鼻血を出したのだ。
ちゃぶ台の上にお菓子が並んだ雨の日もやっぱり鼻血を出して、山本さんの膝の上で休んでいた。
うっかり学校の仲間に話してしまい、みんなが山本さんの家に行きたいと言ったのが、お化け屋敷の見かけのせいで怖がって引き返してしまった。
雨も降ったし、鼻血も出して畳を汚してしまったけれど、二人きりでいられて、あの時はうれしかった。
濡らした手ぬぐいで顔を拭いてもらったことも、鼻にちりしを詰めてもらったことも、縁側から見る空の、輪郭をかがやかせて流れる雲も、庭の草も、わたしの想い出になってしまった。
白つめ草の冠。
制服の緋色のリボンをゆっくりと結んでもらうたびに、心身が真綿で絞められたようになった。それは脳天から足先までを縛り、わたしを山本さんから離さなかった。
白つめ草の花で編んだ花かんむりを、山本さんが丁寧にわたしの頭の上にのせてくれた時のよろこびといったら、夜になってもまだ、全身を蕩かすほどだった。
空襲でなくなった人たちのための慰霊祭にわたしを連れて行った山本さんは、ついでに、昔そのあたりに住んでいたという町へ立ち寄ってもいいですかとわたしに訊いた。
石蹴り遊びをした道も、魚をつかまえた川もなかった。あまりにも面影が残っていないので、二人で笑って、すぐに石棺のようなその町から離れた。手を繋いで帰った。
「母と妹がね。同じように花摘みをしていた。この花じゃない。あれは、撫子だったかな」
遊びに行くたびに庭に回り、ランドセルや学生鞄を濡れ縁において、靴をぬぎ、そこから山本さんの家に上がった。
ラジオから流れていたバイオリンの音。山本さんの昔話は、わたしの過去と混じりあい、甘美に分かちがたく、同じになってしまった。
わたしの玄関だった濡れ縁は、雨風に白ちゃけて、端のほうはすっかり腐り、割れていた。
「総合病院、断られました。搬送先、次をあたって下さい」
「佐藤さん、佐藤聖美さん、きこえますか」
芸がないとは思ったが、一酸化炭素を大量に吸引する方法で試みた。
生憎と、空家に人の気配があることを不審に思った隣家の住人に通報されて、早々に助かってしまった。
そんなことをして死んだ人が喜ぶと思うのか、人生は何度でもやり直しがきく、あなたはまだ若い、命を粗末にするな、死んだところで何になる。
人が未遂者に投げかける説教というのは大方決まっている。
そんな際、人々の顔はなぜにあのように、さも重要なことを突きつけて宣告しているかのような、不寛容で狭量な顔つきをしているのだろう。
言葉は正しいと思うのだが、大急ぎで熱心に並べ立てるそれらの定番文句が、なに一つとして相手の心には届いていないことが、相手を目の前にしながら、何故わからないのだろう。
面倒なので、はい、はい、と頷きながらも、盛んに外野で奏でられているそれらは、わたしと不協和音を起こし、ばちばちと頭の中で爆ぜるばかりで、
しまいには、嫌な臭いまで立てていた。
「信頼して打ち明けてくれていれば力になってあげたのに」
信頼に値しない人間ほど、どうしてこうも、このような際にだけ忽然と現れては、汚い大声で、恩と信頼を押し付けてくるのだろう。
自分には途方もない価値があり、相手がそれを認めて、頼ったり、感謝しなかったのが悪いと、頭から信じ込んでいるみたいだ。
いまこそ自分の出番だと張り切って方々に乗り込むわりには、その人たちのやることといったら、さも同情深い顔をしながらこちらの評判をわざわざ傷つけ、そうすることで
自分の評判を高く上げるようなことばかりで、つまりは、人の上にあぐらをかくことが、彼らの晴れ舞台なのだろう。
人の周りをうろうろしては、ひとさまの運命を故意に捻じ曲げて噂で穢し、自分の親切の値打ちばかりを得意げに、けたたましく語り出す。
報道を見るにつけても思う。いかにも尤もらしい、それらの理解者ぶったご解説が、肝心の当人を黙殺して通過するそれが、
誰かの心を汲んだり、誰かの助けや、支えになったことが、あるのだろうか。
高圧酸素療法を受け、病室に戻ると、見舞い客がいた。
五人付き合った「公達」のうちの一人、予備校で一緒だった元カレと、その現在の彼女だった。
揃って同じ大学に合格した途端に別れましょうと言ったので、相手はわけがわからず、少し怨まれたが、彼の今の彼女はいい人なので、そのほうが彼にとっても良かった。
三人で何度かごはんを食べたこともある。元カレの今カノは、彼が話したとんでもない元カノであるわたしのことについても、共に憤慨するよりは、
「独り暮らしのおじいさんを放ってはおけない気持ちは分る気がする。その人はきっと、とても優しい人だと思う」逆にわたしを責める彼を嗜めてくれたそうだ。
違う、そうじゃないと言ったところで、はじまらない。
わたしはただ、子供の頃から山本さんが好きだったのだ。それ以上のものは何もないほどに。ありふれた、ただの後追い未遂だったのだ。
「退院したら、焼き鳥を食べに行こう」
「発見が早かったのは、きっと、おじいさんが、見守ってくれていたのね」
二人とも、よほど事態を深刻に受け止めているようで、その反動のように、穏やかなつくり笑顔だった。
裏心のない、やさしい人たちの思い遣りは、身に堪える。わたしがお返しに出来ることといったら、焼き鳥を食べに行く約束を、彼らと交わすくらいだった。
「そうなるんじゃないかと思ってたけど、本当にやるとはね」
チャイナブルーが海の彼方からいそぎ帰国して、病院に顔を出したのには、驚いた。
付添っていたわたしの母には、「どうも。お母さん、はじめまして。菊美さんとは交際させてもらっています」嘘ではないにせよ図々しい、如才のない挨拶をして、
母を手際よく病室の外に追い出してしまった。
「君の手帳からアドレスを拾った君の友だちからメールをもらって、こうしてやって来たわけだ。チャイナブルーさんへって、なに、この、戦隊ものみたいな」
「あ、ごめん。友だちの間で、それ、あだ名」
「車の色か」
「仕事は、いいの」
「テレビ会議に切り替えてもらった。あちらさん、どうせ開始時間を早朝か夜にしか指定してこないしな。こっちが時差に合わせるのが当然だと思ってんだよ。
むかつくんで、今日は遅刻してやる。当然だろ、ビジネス満席だからってエコノミーにふりやがって、狭いっつうんだよ。ファーストとれよ。
この前もさぁ、言ってることが分らないってほざきやがったんで、おう、そうか、それならお前の頭が悪いんだろう、もっと英語が達者な人間を連れて来いと
言い返したんだが、あっちが英語の本場だってのに、言い過ぎだったよな、おかしいだろ」
はらはらするばかりで、ちっともおかしくはないが、醜聞にまみれてベッドに臥せっている女を見たところで、さして物事を大仰にしない、いつもの軽口、そのくせ会話の
途切れた合間には、底の知れない目で、じっとわたしを睨みつけていたりする。
どうして、後追いをすると、知っていたのだろう。もしかしたら事前事後、その最中にでも、わたしはモディリアーニが描いた女の顔にでも、なっていたのだろうか。
チャイナブルーは病室を出たり入ったりして、丸の内と病院を往復しては携帯で仕事の話をしていたが、三日後すぐにまた、国際線に乗った。
搭乗時間を確認して携帯を鞄にしまうと、チャイナブルーは丸椅子から立ち上がった。立ち去る彼に、わたしはベッドから手を振った。
「後遺症が残ったら、失禁とかするみたい」
「いつも似たようなことしてんじゃん、俺の前で」
「あなたのことも、誰だか、わからなくなるかも」
「じゃあついでに、じいさんのことも忘れたら。君みたいなバカが跡を絶たないんだから、
一酸化炭素中毒は助かったほうがリスクが大きいって電車の広告にでもでかでかと貼っとけよな、政府。
記憶障害にはイチョウ葉エキスとドコサヘキサエン酸だっけ。健康オタクのあっちで安かったら買ってくるよ。
ついでに、次からはチャイナブルーじゃなくて、俺のことスタンフォードと呼んでみ。そのほうが響きがかっこいいから」
イキロ。そんなお題目などひと言も口にせず、大真面目な冗談の中に次の約束を軽く盛り込むことでそれに代えるあたりが、実に、彼らしかった。
廃園には、雪が積もっていた。
空き地となった跡地を手袋をはめた手で掘ると、冬枯れした草と、黒い屋根瓦の破片が出てきた。
濡れ縁、ちゃぶ台、桐の小箪笥。かつてあった間取りをどれほど想いうかべてみても、冬の雲が頭上を流れるばかりだった。
隣家との境目の板塀も、取り払われて、そこには目張りされたフェンスがそびえ立っていた。
坪数はたいしたことはないけれど、駅まで徒歩で行ける距離だから、すぐに売れたそうだ。来週にも工事が始まり、狭い土地を生かした、三階建ての住宅が建つ。
敷地いっぱいが家になるから、庭も、消えてしまうだろう。
庭の隅の甕は、まだ残っていた。中には、水が溜まったままになっていた。
退院したものの、やはり、軽度の脳障害は残った。生活に支障はないものの、簡単な算数が時々出来なくなったり、陸橋の階段を上っている途中で、あがっているのか下がっているのか
分らなくなって、しゃがみこんでしまったりする。酔いみたいなものだから、しばらくすると治るけれど、何となく、自分が半分消えてしまったような心地がする。
何もかもが、半分消えてしまったような気がする。記憶にあったものが、ぜんぶ、死んだ人とわたしの紡いだ、夢だったみたいな。
風呂がない家だった。銭湯に行くほどでもないけれどその必要がある時には、やかんに沸かした湯を薄めて、からだを拭いていた。
「きぃちゃんのことは、野良猫だと思っています。やわらかい猫。ある日、庭にね、冠をかぶって遊びに来た」
表面だけ温まった肌は、綿で包まれたようにふんわりと頼りなかった。頼りないまま、山本さんの薄い背中に湿った頬をぺたりとつけた。
「山本さん」
「心ぼそいですか」
「うん」
「これからもずっと」
「ずっと、ずっと」
「そう思っていても、真っ暗に沈む手前で、きぃちゃんと、逢えました」
朝起きると、隣りでつめたくなっていた。
夕方まで、傍にいた。それから、隣県に住んでいるという、山本さんの遠い親戚に電話をかけて、誰とも名乗らず、そこから立ち去った。
甕に溜まった水を覗き込んだ。
冬空をうつす暗い水面に、モディリアーニの裸婦像の顔があった。その上に、子供の血が落ちた。降り出した、雪が落ちた。硬直した輪郭はかき乱れて、時の中にゆらゆらしていた。
甕の淵から身を起して、目を拭い、あたりを見回した。空き地を覆う、明るい、まぶしい、雪の庭があった。
緋の色が失せて、白い雲が、わたしの頭の上を流れていた。花かんむりの色だった。
[了]