[金星のサイレン]
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Yukino Shiozaki

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◆終章


 突然、青い閃光が空を覆った。
「バベルが洞窟の中だと。崖上の裂け目から内部に入れるのだな。
よし、そこに案内いたせ」
 鐘楼と運河の街から急遽遠征してきた城砦都市の領主は、竜騎兵を
引き連れ、自らも飛竜に乗って、バミューダの導きで空に出ていた。
 投石機を潰された魔物側も、妖竜部隊をはなち、暮れかけた大空に
魔物、対、バミューダと加勢に来た竜騎兵の連合軍との戦いが
繰り広がっていた。
「まだ制空権が取れぬのか」
 舌打ちして、領主は従者が止めるのもきかず、ずずいと乱闘の中に
飛竜を乗り込ませた。
「やあやあ我こそは城砦都市を治めるものぞ。討ち取って名を上げよ。
などと魔物相手に騎士のお作法をなぞったとて仕方がないな。風情なきことよ。
では、遠慮なくまいろう」
 領主は得意の長槍を振り回し、妖竜の背から妖魔を叩き落した。
戦の昂奮を反映してか心底嬉しそうにしている領主の背後を固め、一角鬼は
疑い深い声を出した。
「まだ信じられん。人間のあんたが、バミューダに助力するなど」
「遠路はるばる軍勢を率いてやってきた人間さまに対して礼はないのか、礼は」
「どうせバベルが目当てなのさ」
 捕虜になっていたところを一角鬼に助け出された牙男がぼそっと呟いた。
 バミューダの士気は奮わなかった。洞窟から出てきた青髭によって、彼らの
指導者であったサイレンの死が知らされたからだった。
 青髭は、船から連れ出した王子カラベを戦闘地域から離れた岩陰に
休ませてバミューダと合流し、洞窟内の様子を仲間に伝えた。
 氷河の日暮れははやい。
 両軍の飛獣が一所に群がって、夕陽を背に飛び交うその黒い影絵は
鳥の群れのように揺れ動きながら優劣をめまぐるしく入れ替えて、いっかな
勝敗がつかなかった。
 領主は焦った。じきに夜になってしまう。領主は近隣諸侯にも
出動要請をかけて、あるだけの飛竜部隊を率いてきており、このままでは
引き下がれなかった。
「あれがその縦孔だな。ものども、わたしに続け」
 崖の切れ目を見つけた領主は、妖魔どもを蹴散らしながら、飛竜を
滑降に移した。
「そのほうら、わたしを崖の縦孔にまで送り届けよ」
「じきに日が暮れる。人間の領主、今日はこれまでだ」
「何をいうか。バミューダは存外に腰抜けだな」
 従者たちも必死で止めた。あんな縦孔に身を投げる気には到底なれない。
「無謀です、危険です、領主さま」
「ええい、もののふならば黙ってわたしに附いて来い」
「まて」
 一角鬼がそれを止めた。人間よりも異変の気配に敏感な妖魔と
バミューダがいっせいに耳をそばだてた。何よりも、彼らを乗せた飛獣が
翼をばたつかせ、現場から先に逃げようとしている。
「なんだ。地震か?」
 飛竜の轡を引いて、領主は上空と地平を不審げに見廻した。直後、
崖の裂け目から青白い光が噴出し、視界を消し去った。


 大地をゆるがせた轟音と地響きに、カラベは飛び起きた。
 氷の谷が燃えていた。もしもバミューダ号にひとの心があったなら、
この星こそが金星に似た星であると錯覚しそうな、鮮やかなる薄紅色に
谷全体が染まっていた。
 岩陰から這い出して、カラベは戦局を眺めた。青髭が止血をしてくれた
ものか、胸には包帯が巻かれていた。その上に揺れている貝殻の首飾りを
カラベは握り締めた。
 暮れ刻の夕風が、カラベの胸にしみとおった。
 どおんという音を立てて船の埋まった崖が突如崩れ落ち、その爆発は
洞窟の入り口近くにいた魔物軍を一瞬のうちに跡形も無く吹き飛ばした。
 カラベの金眸が大きくみひらかれた。
 あの洞窟の中には、魔王である父がいる。そしてこの傷を負わせた兄王子と、
あの人間の女が。
 魔人兵が騒ぎ立てるのを制止し、カラベは崖に向かって走っていた。 
 火柱となって放射した爆破の光は、氷河の谷を金色に燃やし、白熱化させた。
氷崖という崖が雪崩の時と同じような音を立ててぐらりと揺れて、地底の
底からは地鳴りが起こり、そして方舟を隠した崖が大岩を転がしながら傾いて、
大きく氷河に沈みはじめた。
 その様子は、空からは、巨大な漏斗が忽然と氷河に穿たれてゆくようにみえた。
それは魔城の天守と連動した最初の爆発とは比べものにならない、大爆発であった。
「退け、退け」
 領主と一角鬼は自軍の兵を上空から撤退させた。彼らが見守る中で洞窟の崖は
砂の城を倒すようにして、大音響の津波に押し流され、横倒しになった。
「領主さま。あれを。あそこに少年が」
「カラベだ」
 領主は剣を振り回した。
「ええい、誰ぞ、あの少年をたすけよ」
 それはまさしくカラベであった。手負いのまま、少年は崩れゆく洞窟の崖に
向かって走っているのであった。
 亀裂が走る氷河を跳び越え、上空から降りそそぐ岩や氷片を避け、揺れる
谷間をカラベは小獣のごとく、発火地点に向かって走っていた。
「あれはバベルの子ぞ」
 領主は近習に押し留められながら、空中からカラベを救おうと声を張り上げた。
「誰ぞ、あの子供をたすけよ。褒美を好きなだけやるぞ!」
 魔人の竜が先に動いた。しかしすぐ後に起こった竜巻のような爆風に、一帯にいた
飛竜は乗り手を乗せたまま遠くに吹き流されてしまった。
 あおりを受けてカラベは雪の原を転がった。猛煙と暴風で、視界が白く潰れた。
あたり一面、雪吹雪であった。氷片の嵐のその向こうに、白光に包まれた紡錘形の
船影が忽然と現れた。
 高熱の炎を吐き、輝く雪を天高く撒き散らしながら、燦爛ときらめいている星の船。
 それを茫然と仰ぐカラベの前で、船の高所の開閉部がひらき、そこから魔王が
半身をのぞかせた。
「父上」
 魔王はあらゆる金属片をその身に受けて、血に染まっていた。はるか下方の
地上にカラベ王子を認めると、魔王はそこまで引きずってきたものを船の外に出した。
その両手に抱えているのは、気を失っているバベルだった。船の衝撃から魔王が
身をもって庇い、外に通じる扉まではこんできたのだ。
 魔王は次第に振動を強くしてゆく船から、バベルを外に投げた。空から落ちてくる
バベルをカラベが思わず両腕を伸ばして受け取るよりはやく、飛来してきた一尾の
妖竜がその背にバベルを受け止めた。
 カラベは魔王も続いて船から降りてくるのかと思った。しかし、魔王は踵を返した。
「父上、お待ちください」
 光吹雪の乱舞の中でカラベは叫んだ。はるか下方にいるカラベの姿を魔王は
その金の眸で一度だけ見た。しかしすぐに姿を引っ込めて扉を閉め、ほぼ垂直と
なった船内に消えてしまった。
 はげしい光源が船底から放射され、それは雪煙に乱反射しながら、増幅し、
黄昏の空を砕き、雲を貫く光の柱を氷河にうち立てた。
「何も見えんぞ」
「まぶしい」
 閃光の中、紡錘形の塊が地底から空に昇るのをわずかに見分け、一角鬼と
牙男、それに青髭と、城砦都市の領主が竜でその航跡を追いかけたが、
上昇するそれは天頂に向けて放たれた神の剛矢のようにして、空のとても
高いところに雲を裂いてかき消え、やがて、天の何処かで紡錘形の光は小さく
砕け散り、夕暮れ空を静かにした。
 氷河の谷に音もなく降りしきる銀粉があった。氷か雪か、もう分からなかった。
誰も船がどうなったか分からなかった。ずっと高いところの夕闇の一部が極光の
ようにたなびいて、それも藍色の宵空の中にすぐに消えたが、それが何かも、
誰にも分からなかった。
 船は、銀河に吸い上げられてしまった。航海の宿命のままに、星の海の底に
沈んだのだと云う者もいた。
 氷河に風が吹いた。妖竜バビロンはその翼をたたみ、雪の高地に着地した。
その背に竜神の娘を乗せて。


 遺跡で、星の夢をみていた。
 暮れてゆく空には、見たこともないほどの、たくさんの流星が流れ落ちていた。
 お守りをあげる。
 サイレンは指環をはめた手で、バベルの手をとった。霧は晴れていた。
 ぼくがいなくなっても、君の身が、大切に、まもられるように。
 共寝の夢のあとに、星の夢をみていた。天の河をとぶ、星の船の夢だ。
 バベルはサイレンを探した。夜に香るのはすずらんだった。バベルの身を
サイレンが包んだ。あたたかな夢だった。いつまでも、さめないで。
 この者を、星船の航海者として認めよ。
 サイレンはバベルの手に指環のある手を重ね、遺跡の床に触れた。

 
 カラベは妖魔を率いて、氷河から完全に退いた。
 人間にもバミューダにも一片の関心を示さぬままに、新しい魔族の王は
無言で立ち去った。
「よいではないか。重畳だ。これでもう、めったなことでは森から人間界に
出てくることもあるまい」
 生意気な魔の王子の完全撤退に城砦都市の領主はご満悦であったが、
カラベの胸にティティアの形見の貝殻の首飾りが大切にかけられたままになって
いるのを見ると、バベルを一顧だにせず過ぎてゆく少年の後ろ姿に、遣る瀬無く
首をふった。
 バミューダたちはこのまま、氷河の谷の近くにすまうことにした。森の中に
開拓できそうな場所を見つけ、そちらに移住するという。
「バベル。旅が終わったら戻って来い」
「お前はわたしの妃だぞ。既成事実がなくともな。いつでも城に来い。
他にも女は大勢いるが、わたしの代が続く間は、お前のために隣の椅子は
空けておくからな。遠慮するな」
 牙男から手綱を受け取り、バベルは妖竜バビロンの背に乗った。
「バベル」
 しばらく独りになりたいのだとバベルは云った。まだ見ぬ国々を見てみたいと。
空の航海者は偏屈で変わり者が多いからな、と領主は残念そうにぼやいた。
 バベルの行方は誰も知らない。遠い街に行ったとも、今も星空を旅しているとも。
 妖竜バビロンが舞い上がった。別れの挨拶に氷の谷の空を一度旋回すると
バベルは竜をはしらせた。
 護城兵の叙任式、金銀の花火が打ちあがった祝宴の夜も、少女はああやって
大空を翔けてみせたものだった。
 氷河の上には黄昏がおちていた。強くかがやく星が出ていた。去りゆく妖竜の
孤影がそれに重なった。誰かが、その名を呟いた。

 

[金星のサイレン・完]

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