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[ビスカリアの星]■十五.





-----わたくしは行かなければなりません

カリアの白い、小さな顔が月のごとき気高さで真上にあった。
シュディリスは両手を差し伸べた。
何処へ行かれます、カリア。
お供いたします。何処なりと。
夢の中、巫女の緑の眼は瞬きもしなかった。
高貴なまま、冴え冴えしく、懐かしかった。
見つめるシュディリスの顔に俯いた巫女の髪が零れ落ちた。
シュディリスはそれをそのままに、巫女の言葉を聞いていた。

------騎士という騎士が皆、苦難によく耐えるのであれば、
     わたくしがさらなる苦行をこの身に耐えなくして、何が巫女でしょう。
     遠い天に預けたこの命を、今さら惜しんで何になりましょう。
     わたくしの上に散ったエスピトラルの兄と姉の血にかけて、
     彼らがわたくしに与えてくれた尽きせぬ哀しみと愛にかけて、
     わたくしも散らそう、わたくしの騎士たちの上に、永遠を。

「シュディリス様」
いきなり耳元で女の逼迫した声がした。
「シュディリス様、お起きになって下さい」
「-----何です」
「お目覚め下さいシュディリス様、一大事です」
「何か」
シュディリスは物憂く顔を傾けた。
駆け込んできたのはビナスティだった。
礼儀作法のすべてを飛び越えて、ビナスティは
寝台にいるシュディリスを揺さぶり起こした。
半身を起こしたシュディリスは動転して震えているビナスティの身体を
はからずも情事のはじめのように抱きとめて抑える格好になったが、
ビナスティの言葉に、眠気も消し飛んだ。
「巫女がおいでになりません」
「カリアが」
「寝所にお姿がありません。馬が一頭消えております。
 そしてクローバ・コスモス様のお姿も何処にも見当たらないのです」
「それは」
「何があったのか皆目分かりません。
 私、昨晩はクローバ様の部屋で過ごしたのですが」
外聞を憚る余裕もないとみえて、
ありのままを語る女騎士は目に涙を浮かべていた。
「夢だと思ったのです。明け方、巫女がおいでになったような気がしました。
 私に優しく微笑みかけると、身を屈め、
 クローバ・コスモスさまに何かを囁いておられた。
 夢だと思ったのです、クローバさまは出て行く前に私のところに戻ってきて、
 眠っている私の額に接吻して、これを」
震えるビナスティの手の平には、クローバが握らせた、亡妻の指輪があった。

「私の額に口づけをして、これを、こうして預けて」
「詰め所の者は」
「もちろん真っ先に問い質しました。
 朝になってクローバ様が寝台の隣に見あたらず、
 妙な胸騒ぎがするままに巫女の寝所に向かうと、巫女のお姿もありません。
 寝所に詰めていた者たち、そして控えの侍女らも、
 一晩中持ち場を動かず、また寝た覚えもなく、
 いつ巫女が寝所を抜け出されたのか、まるで知らないと云うのです。
 私同様、夢うつつに、何か静かなものが通り抜けたような気がすると言い張るのです。
 過ぎ去っていく暁光、その幻を、見た気がするだけだと。
 きっと、それが巫女さまだったのですわ。
 クローバ様は巫女さまに連れて行かれてしまった…!」
「何処へ」
「分かりません」
「クローバ殿がいない」
「はい、クローバ様は、もう此処にはおられません。シュディリス様、一体どうしたら」

シュディリスの腕に支えられ、その腕に取りすがっていたビナスティは、
眼を上げた次の瞬間、ぎくりとシュディリスから飛びのいた。
朝日の中、シュディリスの青い眼は、凍えるほどに冷たく硬化して見えたのだ。
寝台の柱に背を預けたまま、彼は女騎士に訊ねるというよりは、
むしろ自問自答のように、ゆっくりと静かに復唱した。
「カリアが、クローバ殿を、連れて行った」
「は、はい、おそらくは」
「わたしではなく、彼を」
シュディリスは窓の外に眼を向けた。
斜め格子のはまった窓から差し込む朝の光が、黙り込んだそんな彼の姿を
硬質な像のように照らしつけた。
腕を伸ばして女騎士を押しやったシュディリスの次なる行動は迅速だった。
「シュディリスさま」
「支度をします」
寝台から降りてその場でただちに寝衣を脱ぎ去ると、
ビナスティが慌てて整えて差し出した衣服をその場で手早く身につけ、
流れ落ちる銀の髪を後ろで固く一つに結わえて整え、
水差しからなみなみと器に注いだ冷たい水で洗面を終えると、
身拵えの最後にクローバから貰い受け、
昨夜の間に砥ぎ直したクローバ譲りの剣をその剣帯にかけた。
そして、まだ簡素な姿のままでいるビナスティを涼しく見下ろした彼は、
いつものシュディリスだった。
「あなたも支度を、ビナスティ」
「ですが」
「手伝おう」
女の手から指輪を取り上げると、その指輪をビナスティの指にはめてやった。
そしてシュディリスは、その手の上に手を重ねた。
「カリアは巫女としての使命を果しに行かれたのだ。
 クローバは当然、騎士として巫女に従ったまで。
 彼はこの指輪をあなたに預けたのです。
 必ずクローバ殿と再び逢わせてあげます。あなたもそう信じるように」
「お二人は何故、どうして」
そうでもしないと平常を保てないとでもいうように、
シュディリスの手を借りて騎士の拵えを自室で慌しく肌身にまといながら、
女の着替えに手を貸して背中で胴衣の紐を絞めているシュディリスをたびたび振り返り、
ビナスティは訊ねることを止めなかった。
「大君、御自ら迎えにお出ましになるという今朝となって、いったい何処へ」
「探します」
「心当たりがあるのですか、シュディリス様」
「ない。しかし、あるような気もする」
「では、教えて下さい」
「ビナスティ、頼みがあります」
最後の腰紐を結び終わると、立ち上がったシュディリスは
女騎士の肩に後ろから上着を羽織らせた。
「あなたを連れて行きたいが、他のことを頼みたい」
「何なりと」
「ジュシュベンダ大君イルタル・アルバレスさまに書簡をしたためます。
 こちらに向かわれているアルバレスさまにそれを届けて下さい。
 そして信頼できる騎士を一人従えたい。
 あなたの権限内で結構です、人選は任せます。お借りしたい」
「それは、いけませんわ、シュディリス様」
肩越しにシュディリスを見遣って、
「一人といわず十人でもお渡し出来ますが、それでは少なすぎます。
 それにシュディリスさまはよもや、単独でお二人を探しに行かれるおつもりですか」
それはなりません、ビナスティは非承知のしるしに首を強くふった。
「どんな危険があるか分かりませんのに。
 アルバレス様の到着を待ち、今後を仰ぐのが得策かと思います」
「大勢を連れていくと身動きが取れなくなる。
 それに大君の前にひとたび出たら、わたしはフラワン家の者として
 振舞わなければなりません。
 今ならまだ、わたしはジュシュベンダの客人ではない。
 このまま姿を消すことが出来ます。聞き分けて欲しい」
「それならば、他の者とはいわず、どうか私を伴わせて下さい」
心配で、不安でなりません、どうか私も一緒に。
「それは出来ない」
シュディリスは素っ気無く突っぱねた。
ビナスティの琥珀色の瞳から、その時、堪えていた涙が美しく零れ落ちた。
彼女は震える声で懇願した。
「お願いします、シュディリス様。このようにまだ身体も手も震えておりますが、
 今だけです、すぐに止みます。クローバ様を探しに行かせて下さい」
黙って向き合わせにさせると、
シュディリスはまだ指先が確かではないビナスティの上着の釦を、
代わりに留めてやった。
ビナスティはされるがままになっていた。
襟元まで整えてやり、次に騎士のまとう装飾の全てをつけてやり、
祭りの騎士人形にそうするように、女騎士の装備を手際よく整え終わると、
「我ながら手馴れていて、何だか、いやだな」
ふと気がついたように一歩下がったシュディリスは出来映えに満足しながら薄く苦笑して、
震えの落ち着いたビナスティに言い訳をした。
「子供の頃は、妹をこうして手伝ったのです。
 もちろん女性の着替えに手を貸したのは、それだけではないけれど。
 不品行が思わぬところで役に立った」
「ま、まあ----。御曹司ともあろう御方が」
「このことはクローバには内密に願います」
「どうして」
「彼の留守中に彼の可愛がっている女騎士に触れたなどと知れたら、彼に殺されてしまう」
シュディリスの軽口にビナスティはようやく微笑みを浮かべた。
そして女騎士はそれに元気を得て、きりりと顔つきを改めてしっかりすると、
「シュディリス様、お考えをお聞かせ下さい。
 巫女とクローバ様は、何処へ行かれたのだと思われますか」
シュディリスの部屋に戻りながら通りすがりの召使に、朝食の用意と、
用があって呼ぶまでは誰も部屋に入ってはならぬことを言い渡し、
シュディリスを仰いだ。
シュディリスは応えた。
「巫女がおわす処にクローバ殿もいる。そして巫女が向かわれる処は、
 今も昔も、苦難の騎士のいる処の他はない」

その時、使者の訪れを告げる鐘が鳴り、早馬が城館の敷地に駆け込んで来た。
革製の円筒に入れられた書簡はただちに二人の前に運ばれて来た。
その場で筒の封蝋を折り、
紐を解いて素早く読み下したビナスティは、顔を曇らせた。
シュディリスにそれを渡すと、「惨いこと」、と呟いた。
「ウィスタの都で、野武士たちの処刑が一斉に行われるそうですわ。
 野武士といっても、さまざまです。
 戦により国を失い、主を失くした騎士たちが、
 生きていくためには苦渋の決断で、無法を選ぶこともありましょうに。
 地を流離う不遇の騎士らを捕えるだけでなく、
 彼らを再生不能の不逞分子と決め付けて、
 罪状問わずまとめて処断しようとは、あんまりです。
 その身分、過ぎし日の彼らの勲や苦難に対しても斟酌を与えず、
 家畜同然に彼らを公開処刑するなど、見せしめにしても、行き過ぎですわ。
 この布告は、騎士への冒涜にも等しい。
 たとへ罪人であっても、彼らに一抹の敬意を払うように皇帝に進言する者は
 都にはいないのでしょうか。
 処断された罪人を卑しむよりは、私には、
 誇りを奪われた者たちへの憐れみが胸に起こります。こんな話、堪らないわ」
「ビナスティ」
シュディリスは一読した書簡を筒に戻した。
窓際の机に向かい、手紙を書くための紙を広げた彼の横顔は静かだった。
「もしも------生死に打ち勝つものがあるとすれば、それは何だと思う」
「え?」
「運命に打ち勝つものです」
「運命に…?」
「鎖に繋がれ、死を待つばかりの騎士が大勢いる。
 それを解き放ち、救うものです。
 皇帝よりも、彼らの処刑を謀った者よりも、
 定命よりも、ひとたびは捨てた命よりも、
 この世のあらゆる悲惨よりも、強いものは何だと思いますか」
「シュディリス様、では------!」
「嗤う者よりも、強いものは」
意想外のことを訊かれて不審げに彼を見ていたビナスティは、
シュディリスの云わんとすることを察して、小さな悲鳴を上げた。
ビナスティは薬指にはまったクローバの指輪を口許に当てて喘いだ。
「では-------」
「わたしが巫女を奪った後も、随身の彼らはまだトレスピアノ領内にいた。
 こうしてジュシュベンダの密偵が刻々とその後の情勢を報せてくれるので、
 その後のことも大体は分かっているつもりです」
書簡筒をビナスティに返すと、シュディリスは俯いて、
ジュシュベンダ大君への手紙をしたため始めた。ペンを走らせながら、
「巫女を攫ったのがフラワン家の者であることは
 レイズン家にもとうに知れていることだろう」
独り言のようにシュディリスは続けた。
レイズン側はそのことを匂わしながら、恫喝的外交をもって、
フラワン家長子の関与はあえて不問にするその代わりに、
昔ユスキュダルに逃亡し、このたび巫女に付き従ってユスキュダルより出てきた
お尋ね者の騎士たちの引渡しを父に要求したに違いない。

「父は領主としてこれを断ることが出来ません。
 どこの国、どこの家にも属さぬただの流浪の騎士ならば、
 父はトレスピアノ内に彼らを保護し、
 断固としてレイズン家の要請を拒絶したでしょう。
 しかし、カリアに付き従って来た者の多くは元を糺せば逃亡者や謀反者、
 ユスキュダルをその潜伏先としていた、れっきとした帝国の罪人です。
 実際に一行の中には、カルタラグン家の紋章の剣を佩いた騎士がいた。
 彼らはさまざま理由により帝国の版図より罪人として追われ、苦難の後に、
 ユスキュダルを頼った者たちです。
 しかし帝国における彼らの汚名や罪状がそれで消えたわけではない。
 ミケラン・レイズンならば、ユスキュダルの聖地から出てきたのを幸い、
 これを機会に彼らを一網打尽にしようとするとするだろう。
 カルタラグンやタンジェリンの残党ならば尚更しかりです。いや、
 彼らの一掃こそが、このたびの目的だと思う。
 彼らはあなたの言葉どおり、
 何の敬意も払われぬまま虫けら同然に処刑されるだろう。
 そしてこれは、彼らの処刑を誘き寄せる餌にした陽動かとも思う。
 ミケラン卿の狙いは他にあり、このように広く布告されたのもその煽動です。
 彼らの処刑は、そのために行われるのだ」

惨たらしく父母を殺し、それを容認し、私を醜く変えて追い出したふるさとの、
泉のほとりに咲く青い花が、確かこんな色だった。
走りよって摘もうとしても、手折れなかった。
ビナスティはそう想いながら、シュディリスの眼を見ていた。
椅子の背に腕をかけてビナスティを振り返ったシュディリスはむしろ、
恋人に話しかけるように、優しげだった。

「それをお見捨てになるような、あの御方だろうか」


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河のせせらぎに、鋭い音が重なった。
青空高く跳ね上がった剣戟の音のうちに一人、二人と立て続けに屠ると、
ユスタスは馬のまま河に乗り入れた。
馬の脚を絡め取りに錘のついた鎖が飛んできたのを辛くも水際でかわして、
「何だよ、もう!」
憤りをあらわにユスタスは手綱を固く握りなおした。
このような処で何をしているのかと訊かれて、
昨夜この辺りで行方を絶った姉を探していますと隠さずに答えるなり、襲われた。
農夫から聞き出した情報を頼りに、雷で裂けた大木を目印に河原を探してはみたものの、
リリティスの手がかりは何もなく、なにぶんすぐに月の昇る夜になってしまったので、
昨夜は近くで眠って朝を待った。
朝になって探索を再開し、河の流れに沿って姉の姿を探すうち、
見張られている、と気がついた時には遅かった。
突然、同時に左右から襲われた。
よく見もせずに咄嗟に斬り付けたうちの片方は、
どうも自分よりも年下の少年であったような気がするが、
振り返って確かめる余裕もなかった。
余計な禍からは逃げるが得策とばかりに水を蹴散らして対岸を目指し、
馬を走らせたものの、ふとあることに思い当たった。
ユスタスはすぐに馬首を返し、襲撃者の方へと、
今度は逆に自分から駆け戻って岸に乗り上げた。
リリティスを探していると知って襲って来た、ということは、
彼らはただの追剥ぎの類ではなく、リリティスの失踪に深く関る者たちだ。
初めて得た手がかりに勇を得て、ユスタスは剣を片手に、
ざあっと水を掻き分けて彼らの真ん中に馬を飛び込ませると、
「お前たちに訊きたいことがある」
一同を見渡した。
馬を跳び降りて、その尻を叩いて馬を遠くに逃がすと、
「お前たちはトレスピアノの者じゃない」
さっさと決め付けて、ユスタスは賊を前に剣を構えた。

「僕の姉さんの行方を知っているのなら、僕に教えるんだ」
「何のことだ」、やがて賊の一人がようやく応えた。
「お前達がやったことなら、考えているよりも事態は重いぞ。
 姉さんに傷一つつけてみろ、全世界がお前たちを吊し上げることになるぞ」
「あの女騎士のことか、はぐれ者の」
「何を云う」
「この界隈で見かけた怪しき単身の騎士は全て捕縛せよとの命を受けている。
 そこもとの姉とやらは、確かに我らが捕らえ、昨日中に引渡した」
「誰に!」

賊の返答に確信を得てユスタスはいよいよ猛った。
姉さんはやっぱり、こいつらに捕まったのか。
馬を奪われ、マントを剥ぎ取られ、何処へ連れて行かれてしまったんだろう。
その時、先ほどユスタスに斬られた少年がよろめきながら岩に片手を支えて
剣を杖にしてようやく立ち上がった。
彼の剣の柄飾りが、リリティスの髪を束ねていたリボンであることにユスタスは気がついた。
兄のシュディリスとユスタスが気まぐれに出た旅先で、
行商から買い求めて土産にしたそのリボンをことの他リリティスは気に入って、
トレスピアノを訪れる各国の使者や貴顕らが土産として持ち込む宝石つきの髪飾りよりも、
好んでいつもそれを髪に結わえていた。
「シュディリス兄さんと、ユスタスからもらったものだもの。
 どんな高価な贈り物よりも、これがいいわ」
太陽が照りつける河岸で、ユスタスの眼は燃え上がった。
(許すものか)
見間違えようもなく、少年が剣に結わえたそのリボンは姉のものであり、
リリティスの淡い金髪と相まって、緑の風になびいていたものだ。

「君、それを何処で手に入れた」

少年に剣先を向けた。
肩から血を滴らせている少年はユスタスの剣幕に顔面蒼白となって、後ずさった。
フラワン家の女に対する無礼はすなわち、
フラワン家に生まれた男子全体への末代までも消えることのない侮辱である。
少年に対するユスタスの怒りは本物であった。
「それは僕の姉さんのものだ。
 盗賊風情が触れていいものじゃない。返してくれ」
平生は明るく暢気な性質のフラワン家の若騎士は、今や完全に怒っていた。
爛々と眼を燃やして、彼は進んだ。
「それは姉さんのものだ」
「わ、あ」
少年はがたがたと震えながら仲間の後ろに隠れようとした。
「云え、それを何処でどうやって手に入れた。
 果し合いをした騎士の勝者は、敗者の持ち物を自由に奪える不文律がある。
 それが戦利品ならば、姉さんを傷つけたのは君ということになる。
 それなら僕と立ち会え、
 僕は君を殺し、姉の受けた辱めを返す」
ユスタスは少年を庇い立てて間に入った一人を邪魔だとばかりにざくりと切り伏せ、
横に蹴り転がして退けると、太陽を背に少年の前に立った。

「僕は待たない」

怯え上がっている少年の顎先にユスタスは剣を突きつけた。
「今すぐに答えるんだ。姉さんは何処だ」
「あ--------」
「その怯えようで、君が姉さんに手をかけたのが知れる。
 我が家の家紋と名誉にかけて、君を成敗する」
空の色をしたユスタスの眼が薄く細まると、身をかがめたユスタスは少年の首を刎ねていた。
賊はどよめいた。
「よくも!」
「それはこちらの台詞だ!」
まだ相手が何者と知れぬ間は身分を明かす気こそないものの、
家名とその誇りを傷つけられたユスタスは既に激昂していた。
間髪をいれずユスタスは二三人と切り結び、たちまちのうちにそれを倒した。
そして岩場を走って一気に首領格の男に詰め寄ると、
水際に追い詰めて瞬く間に、その剣を飛ばした。
「どうする?仲間はほとんどやられてしまったよ」
ユスタスは詰め寄った。
「誰の手に姉さんを渡したのか、何の目的でお前たちが
 トレスピアノ領内ではぐれ者の騎士を捕えているのか、話してもらおう。
 その前に、仲間に命じて剣を下ろさせて。
 従ったほうがいいと思うよ、見ての通り僕は気が短いし、
 下衆とはいえ騎士の端くれならば、今ので、敵う相手じゃないのは分かるだろ」
「”星の騎士”!?」
痺れた腕を押さえたまま、ユスタスに敗れた首領は叫んだ。
軽蔑的にユスタスは肩をすくめた。
「それが分かるのならばついでに僕の名こそ、
 思い当たってもよさそうなものだ。名だたる騎士なら最初の一閃で、
 そんなことくらい最初から見抜いただろうに」
「--------フラワン家の御曹司!?」
「その、弟だよ」
それを聞いた首領は、ユスタスの後ろから忍び寄っていた仲間の一人を
驚愕覚めやらぬ顔つきのまま、慌てて制した。
「止めろ、手を出すな。手を出してはいかん」
「しかし、こいつ」
「止めるんだ、”星の騎士”などそう滅多にいるものではない。
 本物ならばとんでもないことだ。撤退するぞ!」
「そうはいくか」
ユスタスは首領に飛び掛り、彼の膝を蹴りつけると河の流れに押し倒した。
首領の頭をせせらぎの中に浸したまま、膝を首領の胸に乗せて動きを封じ、
剣を横にしてその首筋に当て、声を荒げた。
「さあ、答えてもらおう!姉さんを何処へやった。
 鼻から水を吸いたいかい、それとも喉を一寸刻みに裂かれたい?
 誰に頼まれてトレスピアノに侵入した。
 教えてくれるまでは放さないよ。
 僕が誰だかもうよく分かったのなら、僕の問いに答えるんだ!」
「そ、それでは昨日のあの娘は、フラワン家のご息女か」
「何処へやった」
胸部をユスタスの重みで圧迫されたまま首領は息をぜいぜいと鳴らし、 
ぼそぼそと呟いた。
騎士狩りを命じたのはレイズン家だ。
ウィスタの都で流浪の不逞騎士らを一斉に見せしめとして処刑することになり、
素性の知れぬ騎士は全て都に送れと命じられた。
先日トレスピアノに進軍したレイズン家の軍隊はその撤退にあたり、
我ら雇われの隠密をこの地に残し、引き続き騎士の捜索をお任せになった。
ユスキュダルより御幸された巫女の随身は、皆、もとは帝国のお尋ね者の騎士である。
幾人かは攫われた巫女を追って、混乱に乗じて逃亡したことが分かっている。
我らは彼らを捕え、レイズン軍に引き渡すのが任務だ。

「じゃあ、姉さんはレイズンの手に落ちたのか」、ユスタスは唇を噛み締めた。
ぐっと体重をかけて、ユスタスは首領の首にさらに剣を当てた。
「知る限りを話せ、姉さんは今何処にいる」
「交替でレイズン軍の小部隊が密かにあの森の中に残留している。
 昨日のうちに、彼らに引き渡した」
「その部隊、どの道をとった」
「黒い森の中より、いにしえの古街道を使って、おそらくはそのまま都へと。
 移送された騎士らは処罰の日まで、
 帝国の治安維持を任ぜられているレイズン家の監督下に置かれ、
 ウィスタの都の何処か一箇所へ、まとめて収監されるはずだ」
「畜生!」

後にも先にも生まれて初めての汚い罵り方をすると、
らしからぬ振る舞いのついでに、腹立ちのままユスタスは 手に指を当てて口笛を吹き、馬を呼ぶ。
その前に彼は彼が屠った少年の首の飛んだ胴体に歩み寄り、
死んだその手がまだ握り締めている剣を取り上げると、柄頭からリリティスのリボンを抜き取った。
大切にそれをしまうと、彼は貴人の威厳をつけて一味に申し渡した。
「フラワン家の姫を誘拐したお前達の罪は万死に値する。
 でも今はそれを糺している暇はない。
 見逃してやる、ただちに去れ。
 これほどの大罪と失策を重ねたお前達はどうせもう日の当たるところにも、
 二度とレイズン家の前にも出れないだろうが、
 ここであったことの一切は他言無用だ。
 余計な真似をして、これ以上、僕を怒らせるな。
 命が惜しくばただちにトレスピアノから出て行け!」
振り向きもせずに彼らを残して河を後にし、ユスタスは馬を駆けさせた。
考えている時間もなければ、何よりも気持ちが不安に押されて急いた。
真直ぐに古街道の残る黒い森へと入って行った。
おそらく捕えられたリリティスはまだ自分の名を明かしてはいないはずだ。
自分を移送していくのがレイズン家の軍隊だと知ったなら、尚のこと、
口を閉ざすだろう。
もしもフラワン家の者だと分かれば、ただちに解放され、
手厚い庇護を受けるだろうが、そんなことをすれば今度は
レイズンの鼻先でユスキュダルの巫女を奪い去って行った
シュディリスに不利な事態となる。
ミケラン卿がそれを知れば、リリティスを人質にとり、
リリティスと引き換えにシュディリスに巫女を差し出すよう働きかけるだろう。
ユスタスは駆けた。
今ならまだ都に入る前に追いついて、リリティスを取り戻せるかも知れない。

 




[続く]




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