back next top






[ビスカリアの星]■三.



山間の道を駆け飛ばす馬上のシュディリスは、往く手から同じくこちらに
向かってすごい速さで駆けて来る、馬の蹄の音を認めた。
道は、両側が崖と渓流になっており、互いに警戒しながら手綱を緩めて
細い曲がり角でやがて行き会った先方の男は、
身分賤しからぬシュディリスの様子を見ると、
「この先は何処に通じているのか」
切迫した顔を隠さず、馬上からシュディリスに訊ねた。
切り結びを辛うじて抜けてきたものか、男はその装いを朱に染め、
脇腹からは血を流しており、傷から溢れる血は、止まって話している間にも、
ぽつぽつと赤い雫になって地に落ちていた。

「この先は、フラワン家所領、トレスピアノの地です」

崖際に寄って道を譲りながら、シュディリスは自分がそこの嫡男であることを伏せて応えた。
その間にもシュディリスは男の様子や口調から男が旅の商人などではなく、
相当な高貴の出であることを見て取り、秘かに身の上を推し量った。
「トレスピアノか……助かった!君は?」
「狼煙を見たので向かうところです」
「旅の途中で賊に襲われたのだ」
「すぐに救援が追いつきます」
「あ、それではわたしは戻ろう」
「貴方は深手を負われいる。そのお身体で戻るのは命取り。この先で助けを求めて下さい」

傷を負っている男とすれ違い、
その間に追いついてきた弟のユスタスと前後に並んで、彼らは再び細く険しい道を駆けた。
やがて、
「シリス兄さん、あそこだ」
山を廻る崖下の道をユスタスが指した。
下方に流れる河の水音が轟く中、狭い場所で襲う側と守る側の闘いが広がっており、
道の前後を塞がれた格好となった旅の一行は袋小路の中央に輪になって固まることで
ようやくしのいでいるといった様子になっていた。
護衛の者達は輪の外側に、二三重に並んで楯を構え、陣を乱さずに、内側の女輿をよく守っていた。
皆、鎖帷子を身につけ、急襲を予期していたのか武具も整い、十分に闘い方を
心得ているように見えた。
山賊が射かける矢を楯で防ぎ、逸って馬で飛び出すこともせず、
斬り込んでくる山賊に対しては一人につき三人が相手になることで確実に素早く倒すのだが、
深追いはせずに再び引いて防御に徹することで、不意を突かれた最初の混乱をすぐに収め、
倍の数の山賊の侵入を食い止めていた。
その模様を見て、シュディリスは呟いた。
「おかしいな」
「何が、兄さん」
「襲われている側は数は少ないとはいえ、
 護衛にはかなり腕の立つ精鋭の騎士たちが選ばれている。あれでは乱せまい。
 そして、物盗りが目当ての賊ならば、引き際が悪い。
 狼煙が上がってからも随分と時が経つのだし、
 形勢が悪いとみれば、普通はすぐに引き上げるものだ」
「よほどの獲物なのかな」
「ただの物見遊山の一行にも見えないし、ただの山賊にも見えない」
「両方とも装っているということ?それなら尚さら、どうしたらいいの」
「境界を越えている。ここはジュシュベンダに任せるのが筋だろう。彼らの到着を待とう」
ユスタスは兄の顔を窺った。
でも、と云い難そうに云った。

「リリティス姉さんが、あそこに」

騎士と共に馬首を並べたリリティスは襲い掛かってきた賊をちょうど薙ぎ払ったところであった。
細かな血を浴びたその姿はすでに朱く汚れていた。
どうやらフェララ家からの客人ルイ・グレダンまで巻き込んだらしく、リリティスの隣には、
遠目にも間違えようもないルイ・グレダンのその巨体が、獅子奮迅の働きで、
リリティスを庇って何やら賊に向かって怒鳴っている。
白馬にまたがったリリティスは飛来した矢を打ち払いながら、
女輿を囲んで後ろで怯えている女官たちを励まし、
「下がって下さい」
と促していた。
傾きかけた日差しにその髪はきらきらと輝いて流れ、ここよりは譲らぬと決めた位置から
微動だにせず、徒歩の騎士を庇って駆け回り、
荒ぶる男達の中に、その姿は一本の氷の針が落ちたように見えた。
シュディリスは、闘いの渦中のひとひらの花びらといった風情の妹のその姿に、
目を細め、軽いため息をついた。
「思慮深い妹を持つと、倖せだ」
「隣にはルイさんも居る。見かけによらず強いね、あの人」
「ルイ・グレダンさまはフェララ家の剣術師範代を務めておられるほどのお方だから」
「僕らは姉さんを助けないの?」
「助ける?」
樹々の向こうには、はや夕暮れ色を帯びた雲が明るい色で棚引き、
下界の血なまぐさい殺傷をよそに、天界は涼やかに照り映えて、晴れていた。
その明かりに縁取られたシュディリスの横顔はかすかな苛立ちを帯びて、
弟のユスタスには窺い知れぬ、沈黙の中にしばし留まっていた。
生々しい俗世の瑣末なことどもをふと離れた、
無窮への憧憬と足掻きといったものが、いつ頃からユスタスの目には馴染みとなった厳しさで、
兄の中に不意に揺れ動くようになったのか、ユスタスは知らない。
そのような時の兄は、何か見知らぬ、見果てぬものを虚ろに仰いで、
心をひたすら傾けているように見えた。
その過敏な焦燥は陽光の移ろいの中に、兄の横顔を、一瞬だけ暗く掠めた。
すぐに我に返って、怒った風を氷解させるとシュディリスはなだらかにその目線を下げ、
「リリティスはそのへんの男には負けはしないよ」
崖下へと降りていく馬の足場を探った。
いつか真摯な声が、彼に囁いた。
(兄さん。シュディリス兄さん。わたしは騎士になるわ)
(そうすればいつまでも、ユスタスと共に、わたしはお兄さんと一緒にいられるもの)
誇らしく笑って、リリティスは片膝をつくと、その剣を兄に捧げた。
(このリリティスを臣下に。どうぞ第一の騎士としてお傍に)
そして兄は、妹のその騎士の誓言を拒絶した。
それは留学していた隣国ジュシュベンダからシュディリスが一時帰省した晩のことであり、
捧げられた剣は兄と妹の間につめたく冷えて、夜と、妹の心ごと、受け取る者を
それきり失くした。
母リィスリによく似た、美しい妹。
淋しい顔をしていた。
その時、ユスタスが叫んだ。
飛んで来た矢がルイ・グレダンを射ぬこうとする。
それを遮ってリリティスが身代わりに矢を受け、後ろ足で立ち上がった馬の上で均衡を崩すと、
突き飛ばされるようにしてリリティスの身体は剣を飛ばして人馬の挟間に転がり落ちていた。
「リリティス姉さん!」
ユスタスを掠めて、さっと斬るような銀色の髪が流れていき、
はっと見れば、すでにシュディリスの姿は崖下に向かって飛ぶように駆け降りているのだった。



ルイ・グレダンはその太った巨体に能う限りの速さで、馬を降り、
落馬したリリティスを小脇に抱き上げた。
「リリティス嬢!」
そして寄せてくる賊に向かって剣を振り回した。
「ええい、このおみなごをこれ以上創つけることは、このわしが許さん。退け、退け」
「その方を、こちらに」
後ろから従者や女たちの手が伸びて、傷ついたリリティスを引取ろうとした。
リリティスはすぐに目覚めてそれを断り、「誰かわたしに剣を」と叫んだ。
「なりませんぞ、リリティス嬢」
「ルイさま、お許しを」
ふらつきながら立ち上がったリリティスは、横合いから突き出されてきた槍を
拾い上げた剣で素早く打ち払った。
「ルイさま、わたしを誰だとお思いです」
リリティスはたちまちのうちに軽く右左に薙ぎ立てて、さらにルイに言い返した。
「わたしはオーガススィの血を受けた騎士、
 矢創は掠っただけのもの、心配はご無用です」
「それをここで大声で明かすのは控えなさい、リリティス嬢」
ルイは小声で吼えて、リリティスの腕を掴んだ。
「貴女が星の騎士だと分ると、大変なことになりますぞ」
「大変なこととは、ルイさま」
「よいから、下がっておりなさい」
「大変なこととは何ですか!」
「強い騎士の血を持つ女子は、邪なる者共にとっては略取の対象だということです」
「強い子をたくさん生ませるためにですか、ルイさま」
「嫁入り前の若い娘がそのようなはしたないことを口にして」
「貴方が云わせたのです」
「このような時に、へらず口を」
「知っています。騎士の家に生まれた女は、
 騎士であろうとなかろうと、その母胎は珍重して取引されるものだということくらい」
「これ、リリティス嬢。わしはそのようなつもりでは」
輝く灰色の目の底に鬱気を迸らせて、ルイの腕を振りほどくとリリティスは賊を切り倒した。
「何なら大声で我が名をここで名乗りましょう」
「止しなされ!」
「何故ですか」
リリティスはその返り血を浴びた頬を拭いもせずに、「知っています」と、ルイを睨んだ。
「女として生まれた限り、
 家畜のように、いつかはこの身体をどこかの殿方とその家に、
 騎士の母として、すっかり提供しなければならないことくらい」
「闘うならば、その間は、前を向きなさい」
「高価な宝石よりも値がつくと同時に、女の倖せとは無縁のままに、
 次世代の騎士のため、家の興隆の為に犠牲となり、仕えるものだということくらい」
「それはご自分の御母堂への侮辱であるぞ」
ルイは真面目に叱った。
「女おんなと、そのように自分で自分を賤しめてなんとする。
 悲壮感たっぷりなその将来図がいったいどこからそのおつむりに宿ったのかは知りませぬが、
 そなたがそのように意地を張らなければ、男は誰もがそなたを優しい気持で崇めるものを」
「それが一番気に入らない!それは結局は偽りだもの!」
「後でよく聞こうから、今は黙りなされリリティス嬢」

そこへ人垣と矢来を高く飛び越えて、シュディリスが降り立った。
無茶な跳躍をさせた馬が前脚を崩すのを巧みに引き上げて均衡を引き戻し、
手近な賊人を切り捨てて瞬く間に余裕を広げると、惜しみなく馬から降りて、
代わりにリリティスを抱き上げ、その馬鞍の上に創ついた妹を押し上げた。
「後ろに下がっておいで、リリティス。
 ルイ・グレダンさま、妹をお守り下さりありがとうございました」
遅れて、ユスタスも駆け込んで来た。
ルイ・グレダンは二人を見て眉をひそめた。
「君まで来たのか、シュディリス。それにユスタス、君まで。何ということだ」
ユスタスは兄に倣って馬から降りた。
兄に並んで恐れ気なく剣を抜き放ち、振り返って元気よくルイ・グレダンに云った。
「後は僕たち兄弟にお任せ下さい」
「バカを云うでない」
怒ってルイ・グレダンは二人の若者の襟首を掴んだ。
「経験の浅い未熟な君たちが、しかも貴人である君たちが、
 お父上の命もなく勝手な判断でこの騒ぎのどちらかに与してかかずらうなど、
 あってはならぬ軽率であろう。
 居合わせたわしのことを少しは考えてもらいたい。
 君たちをここで好きにさせて大事にでもなれば、国許から年長者に相応しからぬ
 浅慮であったと咎めを受けることは確実なのだぞ」
さらに苦言を述べようとしたルイは、そこで止まった。
掴まれた襟首を、手に手を乗せることで静かに解いて、シュディリスの青い瞳がルイを見たのだ。
「ルイ・グレダン様」
ほとんど物憂げに、返した刀でシュディリスはまた一人倒した。
「それでは、ルイさまも、彼らはただの物盗ではないと思われますか」
「それが分らぬようでは、このルイ、フェララ家には連なってはおらんよ」
ルイはシュディリスとユスタスに並んで揮いながら、シュディリスに囁いた。

「見たまえ。徒歩の者も、騎乗の者も、こやつら、ただのごろつきの集まりなどではない。
 これは相当に仕込まれ、統率されることに馴れた手馴れだ。
 よしんば山賊であったとしても、
 この執拗さには、後ろで糸を引くものの、よほどの利害か怨恨を感じるわい。
 見よ、奴らは全て顔を隠し、声を立てぬ。
 覆面のきゃっつらの狙いは金銭でもなく女たちでもなく、
 あの輿におわす、いずれかの御方そのものであることは明らかであろう。
 もっとも後ろにおられる方々にしたところで、このような屈強の騎士を
 護衛に引き連れて、夜に向かわんとする今時分に山岳を越えようとするあたり、
 胡散臭さでは同様ではある。いやはや、とんだことだわい」

ルイの巨体を挟んで、シュディリスとユスタスは入れ替わり、背中を合わせ態勢を立て直した。
「兄さん」
「無理はするな、ユスタス。父上か、ジュシュベンダ勢が来るまで持ちこたえればいい」
先ほどから愕いて見ていた近くの騎士たちが、
「ご助勢かたじけない。が、あなた方はいったいどちらの方々なのか」と、訊いた。
「こちらもお尋ねする。あの輿にはどなたがおいでなのです」
シュディリスの問いに騎士は顔を見合わせた。
年嵩の一人が疲れた荒い息の中から云った。
「残念なことだが、あなた方の素性が分らないのであれば、それにはお答えいたしかねる」
「それでは結構」
素っ気無く頷くと、
「謎の旅の方々、今のうちにトレスピアノに向かって下さい」
シュディリスは薄く命じた。
たちまちのうちにシュディリスは賊を片端から倒していった。
優美な面持ちの若者の、そのあまりな鮮やかなる強さに、
ただ愕いて見ていた旅の者たちだが、盛んに年少のユスタスが繰返し戻って来ては
トレスピアノまでの道を教えて促すので、
再び屋根のついた輿を肩に担ぎ上げ、先に進もうとした。
円陣が細長く崩れたところで、輿を目掛けて、囲いの一端からどっと賊が群がってきた。
輿を囲む女官たちは、それでも逃げ惑うことなく、恐怖に慄きながらもしっかりと顔を上げ、
気丈にも輿の周囲を固めて傍から離れようとはしなかった。
兄の馬に乗ったリリティスがそこへ駆けつけ、輿の前に楯となって立ち塞がった。
「わたしがしんがりに附きます。急いで」
その時、リリティスの、そしてまたシュディリスとユスタスの耳に、
輿の中から、誰かがこう囁くのが聴こえた。
女輿は黒塗りで、完全に閉ざされていたのだが、その声は幻の夜の雨のように、ぽつりと
彼らの耳に深く届いた。
細く響く、女の声だった。

---------裏切られました

それに気を取られた隙をつかれて、リリティスが危機となったのを見たシュディリスは、
途中で奪った馬に乗って駆けつけると、背後から妹と切り結んでいる者を切り伏せた。
飛ぶがごとき剣光の、そのあまりの鋭き速さに目を奪われた賊たちは後ずさり、
覆面から覗く目を殺気立たせてシュディリスを囲んだ。
包囲網がじりじりと狭まるのを、剣を正眼に構え持ったままシュディリスは静かに眺めていた。
彼は目の前の敵ではなく、輿の方に意識を向けており、続きの言葉を待っていた。
夜露のように冷え切り、結晶のように固く、そして毅然たるやさしい声だった。
---------これは、ミケラン・レイズンの陰謀です
(ミケラン・レイズン)
そこへ、喨々たる角笛の長く太い音色が山間に大きく鳴り渡った。
それは、ようやく到着したジュシュベンダの国境警備隊の先触れであった。
角笛の向こうから、崖道から一斉に下ってくる揃いの鎧兜をつけた多勢が木間に隠れ見えた。
山賊はたちまちのうちに、こちらも笛を高く一音鳴らすと、
あらかじめ決められていた算段でもあったのか、四方に分かれて残らず逃げてしまった。


--------------------------------------------------------------------------



「シュディリス兄さん」
リリティスは馬から飛び降り、兄に駆け寄った。
「リリティス」
無事だった妹を一度抱きしめて、それからシュディリスは妹の身体を押し遣って、
その場を離れた。
「シュディリス兄さん」
兄を追おうとした姉をユスタスが止めた。
「姉さん、そこの岩に座って。その傷口を縛るから」
「ユスタス、シュディリス兄さんは怒っているのかしら」
「当たり前だろ?そんな軽装で闘いに加わるなんて、姉さんが無謀だよ」
「怪我はないの、ユスタス」
「僕は掠り傷程度。僕よりも兄さんの方が傷を負ったんじゃないかな」
「何ですって」
「動かないでよ、姉さん」
「リリティス嬢、わしの従僕がただ今下方から河の清水を汲んで参りましたぞ。
 さあ、これでその傷を濯ぎ、顔の汚れを落として下され」
「ありがとうございます、ルイさま。しかし申し訳ありませんが、この水は兄に」
「わたしは平気だ」
遠くからシュディリスは応えた。
その目線が自分を避けているのを、リリティスは哀しく思った。
助太刀に入った彼らは大いに感謝され、水も薬も優先して与えられた。
ルイは太った巨体を揺らして辺りに転がる山賊の死体を引き起こしては確かめた。
「周到にも、創ついて倒れた者には、逃げる前に仲間内の手で止めを刺してある。
 捕らえられて口を割られては困る、よほどの事情があったと見えるな」
「どんな理由、ルイさん」
「人に尋ねる前にまずは自分で考えてみることだ、ユスタス君」
「彼らが何者か分らないのと同様に、さっぱり分りません」
「うむ。わしもだ。シュディリス君を待とう」
旅の一団の代表者である立派な騎士とシュディリスは離れた岩場で二人きりで
何かを話していたが、やがてシュディリスはルイ・グレダンを呼んだ。

「申し訳ありませんが、若輩者のわたしの一存では決めかねます。
 こちらの名と身分は先方に伝えましたが、あちらはやはり事情を明かせぬようです。
 ジュシュベンダの警備隊がここに到着する前に算段をつけておきたい。
 トレスピアノからこちらへ向かっているであろう自衛団には、
 わたしの名でしばし留まってもらうように使者を出しました。
 遅れを取った限りは、今さら父上たちが隣国警備隊の前に顔を見せぬほうが良いでしょう。
 その代わりに盗賊共の探索と警戒を命じました。
 怪我人を出した彼らですが、旅の一行が賊に襲われたという筋書きにして、
 今夜のところは客人としてこちらの領地に引取りたく思います。
 証人となってお立ち会いの上、ご助言下さい」
「心得た」
「では、こちらへ」
「シュディリス、君、怪我のほうは大丈夫か」
「たいしたことはありません。油断しました」
騎士の従者から手厚く手当てを受けた腕の傷をシュディリスは見せた。
「油断ではない、働きぶりは目覚しかった。君にはまだ経験が足りんだけだ」
「これでも少しは渡ってきたつもりだった」
「街の喧嘩とはわけが違いますぞ。戦場に出たことはあられるか」
「ありません」
憮然としてシュディリスは激しかった混戦を創一つなく終えたルイ・グレダンの
逞しい巨体を羨ましく眺めた。
(ハイロウリーンの騎士……)
(ルイ・グレダン。このお方はフェララ家に仕える前身は、
 ジュシュベンダと並ぶ強大国ハイロウリーンの騎士団の中核におられたのだ。
 それも今の勇猛な闘いぶりを見れば得心もつこうもの)
(騎士の中の騎士が集うと呼ばれる最強の騎士団ハイロウリーン)
(ジュピタ皇家とレイズン家に追われたまことの母上、
 女騎士ガーネット・ルビリア・タンジェリンを庇護し、迎え入れた騎士たち)
(風に聞く、遠い国)

角笛の音と近付く軍馬の蹄の音がなだれ落ちるように谷間に響いた。
シュディリスは一息ついて、今は必要のない思想を完全にそこで断ち切ると、
後ろを振り返った。
随身の騎士たちは再び顔を引き締めて、ことの流れ如何によればジュシュベンダの
国境警備隊とも戦を辞さぬ構えをとっており、そのことにシュディリスは目を留めた。
(あの警戒ぶり。異様だ。悪心あるようには見えないが、どのような旅の途上にある一行か)
しかしシュディリスもルイ・グレダンもそれには言及せず、その代わり
自らの佩剣をいつでも抜けるように整えて、衣服の襟を正した。
「ジュシュベンダのご到着だ。シュディリス君、客人の分際で僭越かも知れぬが、
 このような際には年齢がものを云うこともある。
 君の代わりにわしが口を利いても宜しいかな?」
「はい」
「では、お迎えしようぞ」



ジュシュベンダ国境警備隊の隊長は辺りをひと目みて、「山賊の仕業か」と
最初から決めつけて、疑いもしなかった。
不審を招くような些事は濃くなっていく夕闇が隠してくれたことも幸いし、
旅の一行が山賊に襲われ、たまたま山中に遊びに来ていた我々が真っ先に
助けに駆けつけたのだというルイ・グレダンの説明を、聞いているのか
いないのか、ふんふんと頷いて鵜呑みに信じた様子を見せると、若い隊長は
不意打ちにルイの陰に下がっているシュディリスに向かって、愕いた声を上げて笑った。

「はっはあ。これはこれは。
 さては御身、フラワン家の御子であられましょう。
 このような処にてフラワン家の方々にお目にかかるとは」

成り行きでシュディリスは進み出た。
「長子、シュディリス・フラワンです」
そしてジュシュベンダに留学していた昔、
目前の男と果たしてどこかで逢ったかどうかを記憶に探った。
朗らかに隊長は笑った。
「隠しても知れます。何よりもその鮮やかなる太刀筋を上から見ておりました。
 フラワン家に生まれた星の騎士のことを知らぬ者はおりません」
「どこかで、あなたと」
「わが国にご留学されていた折に、シュディリス様を招いて開かれた晩餐会の
 警護をわたくしが務めさせて頂いたことがあるのです。
 遠目にその清々しいご様子をお見かけした限りでしたが、シュディリス様には
 お変わりなく、何よりでございます」
シュディリスは頷いたが、そっとルイと目を交わした。
(喰えぬ隊長だ)
その年齢の若さや堂々たる闊達さがかえって不自然で怪しい、と二人が思っているのを
すぐさま裏打ちするかのように、部隊の後方から、
「お戯れはそのへんで、パトロベリ・テラさま」
辟易した様子で本物の隊長が追いついて現れた。
「やあ、隊長」
「やあ、ではございませんぞ、パトロベリさま。
 申し訳ないが、わたしを捕らえて離さなかった貴方さま付き従者の二人には、
 説得も恫喝も埒があかぬので殴り倒し、気絶してもらった。
 温泉につかってはしゃいでおられたはずの貴方さまが、
 わたしに成りすまして隊長のふりをして、何故ここにおられるのです」
「狼煙のことを教えてもらった」
「誰に」
「君の部下に」
「わたしの部下はすっかり貴方の言いなりですか、パトロベリさま」
「咎めは誰にもかけぬように頼むよ」
はらはらと笑ってパトロベリ・テラはシュディリスに握手を求めた。

「あらためて宜しくだ、君とはお初にお目にかかる。
 ジュシュベンダ家の放蕩息子、パトロベリ。
 隠居した先々代が五十歳も年下の侍女の色香にくらみ、
 寝床に引き入れて生まれたのがこの僕だ。歳は二十七にあいなる。
 君のことは今もこちらの国では語り草、その頃僕は草枕、気楽な放浪の旅に出ていて、
 邂逅叶わなかった。ここで逢えて嬉しい、よしなに。-------さて、と」

ざっと見回すパトロベリのその視線は、
ずっと後ろに固まっている旅の一行の上を、わざとにこやかに通り過ぎた。
一箇所にかためて並べてある遺体を見て、
「たくさん死人が出たな。遺体を運搬して埋めるのに手伝いはいるかな」
「先にもご説明したようにそれには及びませぬ」、注意深くそんなパトロベリを見つめながら、
ルイ・グレダンが代わって答えた。
シュディリスが後を引取った。何故か顔を剣呑にこわばらせていた。
「あの一行はトレスピアノに向かう途上で難にあったのです。
 遺骸も彼らの望むしかるべき場所に、望むのであればトレスピアノに埋葬してやりたく思います。
 ただいま、父カシニ・フラワン率いる自衛団がこちらに向かっているところ、お気遣いは不要です。
 山賊の追討および討伐については、後日、
 またジュシュベンダ側のご協力を仰ぐことにもなるでしょう」
「捕まらないだろうよ」
手近な死体の覆面を次々とはいで、あっさりとパトロベリは決め付けた。

「物盗りには見えないのでね。少しは考える頭のある山賊ならば、
 何処の国人とも分らぬ、あのように武装した護衛つきの貴人を、
 このような大量の犠牲を覚悟でわざわざ狙うわけもない。
 いかなる国の恨みを買うとも分らぬのだからね。
 一体、あちらの御輿にはどなたがおいでなのだろう!あれはご婦人用の輿と見えるが、
 どなたが、どのような理由あって、このような難儀に遭われたのだろう。
 ご挨拶をしたいところではあるが、ああして固まっていらっしゃる上、
 フェララとフラワンを立てて我らを避けているところを見ると、
 ジュシュベンダはどうやらお嫌いらしい。じゃあもう帰るか」
「パトロベリ・テラ様」
「いいじゃないか隊長。近辺に探索隊はもう出したのだろう?
 ここには明日の朝また戻ってくればいい。本件は無事落着だ。ところでシュディリス」
如才なくパトロベリはシュディリスの後ろに控えるリリティスとユスタスに
貴人への礼をとって云った。
「落ち着いたら遊びに来ないか。留学中は中心部ばかりにいて、かえって
 隣接している国境側は知るまいが、土地の者しか知らぬいい温泉があるぞ。
 その時にはぜひ後ろのご同胞もご一緒に。リリティスとユスタスといったかな?
 兄君を見慣れた少年少女のその目には風采の上がらぬ僕だろうが、少し遊ばせてくれ」
「あ!」
「シリス兄さんッ」 
それは、目にも留まらぬ速さで、一斉に(と一同には見えた)起こった。
誰が最も速く、誰が強く、誰が騎士としてその能力が今この瞬間に高みへと跳ね上がったのか、
それは何者の目にも精確には分らなかったであろう。
パトロベリの剣の切っ先はシュディリスの喉元にあり、
シュディリスの剣先はパトロベリの胸元にあり、その真上に双方を抑えて、ルイ・グレダンの剣が
十字に落ちていた。
「何をするッ」
さらにはリリティスとユスタスが後ろから飛び出した。リリティスは次の瞬間に
キン、と音を立てて、パトロベリが空いた片手で抜いた短刀を空に高く跳ね飛ばした上で
パトロベリのその首に剣を回しており、
ユスタスは姉と背中合わせになって「動くな!」と国境警備隊へ向けてその剣を抜いた。
警備隊と旅の護衛騎士がすわ、とばかりに両側からどっと寄せる中、
「ちょ、ちょっと待った」
じりじりっとおされながら、パトロベリは余裕を見せて、ひらひらと手を振った。
「大事ない。これは冗談だ、冗談」
「冗談ならば、場違いな冗談の報いを、受けなさるがいい」
かんかんに起こってルイ・グレダンが云った。
「リリティス嬢はお怪我をされているのだ。巧く避けたから良いようなものの、
 そなたが投げた刀があのをみなごを創つけていたら、
 この場で貴殿はわしのこの手で斬捨て御免ですぞ」
「リリティスちゃん、ごめん」
「気安う呼ぶでないわ」
慌ててパトロベリはルイの仲裁をかいくぐり、シュディリスの喉元からその剣を引いた。
シュディリスの青い目が不気味なほどの静謐を湛えて彼を見ているのに気がついて、
パトロベリはさらに慌てて、弁明した。
「シュディリス、そう睨んでくれるな。
 収めてくれ、冗談だよ、悪かった。ほらもう僕は引いたぞ。ああ、怖かった」
しかし、シュディリスはその剣を、引かなかった。




[続く]




back next top


Copyright(c) 2006 Yukino Shiozaki all rights reserved.