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[ビスカリアの星]■六九.


空は晴れていた。
ハイロウリーンの陣屋が大きくなるにつれて、隣接するサザンカ軍は陣の移動を繰り返し、
双方の本隊が到着するのに合わせて、今朝も大掛かりな転居作業を行っていた。
それにはハイロウリーン側からも人手が繰り出され、ユスタスは積極的にその中に混じって
サザンカを手伝った。
貴家の生まれとはいえ、子供の頃から領民に混じって働くことが好きだったので、苦でもない。
天幕の杭を木槌で打ったり、柵を立てたり、太陽の下で汗を流して身体を動かしているのは
単純に気持ちがよかった。
大勢で丸太を担いだり、声を掛け合い、綱を巻きつけて支柱の太柱を起して立てたりする間、一帯は
男ばかりの活気と熱気に包まれて、まるでお祭りの時のように、愉しく思われてくるほどだった。
その余禄といっては何だが、ユスタスを特に嬉しくさせたのは、サザンカの彼らの口から、ちらほらと
イオウ家のロゼッタのことが聞けることだった。
「しっかりしておられますからねえ」
「どんな下級騎士を相手に対戦なさる時でも、最初から最後まで礼儀を疎かにしない。
 傍で見ていて気持ちがいい方ですよ。あの方が人を莫迦にしているようなところなんか
 見たことがないです」
「いつも生真面目な顔をされておられるせいか、たまにちらりと笑顔を見せて下さると、それが可愛くて」
そんな逸話がいかにもロゼッタらしくて、おかしかった。
穏やかならぬ話もあった。
「隠れたところで男たちの関心は高いですよ。何しろ艶聞が伝統のロゼッタ家の女ですから」
そこで彼らは慌てたようにぱたりと口を閉ざした。
後ろを見ると、ちょうど同じようにハイロウリーンから駆り出されているエクテマスが、肩に担いできた
土嚢を集積場に落とすところであった。
ハイロウリーンの王子ともあろう青年が一兵卒に混じって土方をしているというのは、かなり
異様な光景であるはずなのだが、それについてはユスタスも人のことは云えない。
それに、どんな重労働でも文句を云わずに引き受けて、文字どおり平騎士に徹している彼の、
修行か忍耐か、はたまた変人だか何だか知らないが、それに負けたくない、こちらの意地もあった。
(同僚の面前で女に踏まれても、その後も平気で仕えてるような男のことなんか、理解できるかよ)
男たちは全員、汗だくになって作業を続けた。
そこで休憩になった。
エクテマスはユスタスに囁いた。

「ユースタビラ。-----ユスタス。君の縁者の姫君が、コスモスに来るそうだ」

ユスタスは当然、それがリリティスのことだと思った。
支えていた柱が建ったのを見届けてから、ユスタスは綱を手放し、その場を抜けて大急ぎで
エクテマスの後を追った。縁者の姫君。
二人共、汗に濡れた上着を脱いで、それを肩にかけて歩いた。
「オーガススィの姫だ。君には従妹にあたるのか。もっとも彼女たちには郊外に
 お泊りいただいて、こちらの陣屋へのお入りはご遠慮いただくが」
「オーガススィの姫?」
エクテマスは川に向かうと、水浴びするために木蔭で衣を脱ぎ始めた。ユスタスもそれに倣った。
先に水に入ったエクテマスは、川の中ほどでユスタスを待っていた。
手招きするのでそこへ行くと、彼はユスタスの肩に手をおいて少し身を屈めさせた。
清流は膝下ほどの流れである。
いいと云うのに、エクテマスはユスタスの背や頭に水を浴びせて汗を流してくれた。
緑の中、風と太陽に裸体をさらすのは、いっそ清々しいほどであった。
「オーガススィ領主トスカ=タイオ殿のご息女ルルドピアス姫。
 ついで、お世嗣小トスカイオ殿の姫君であられる、レーレローザ姫とブルーティア姫。
 三人お揃いでこちらにおいでになるそうだ」
「何の為に」
エクテマスが掛けてくれる水を受けながら、心底呆れてユスタスは問い返した。
目下、千客万来のコスモスといえども、ここは姫君方の社交場ではない。
しかもオーガススィは未だにコスモスの地に一兵たりとも派遣しておらず、足場もないはずだ。
髪から水が滴った。明るく透きとおった水の底は、細かな砂と小石だった。
泳げるほどの深さはなかったが、青い水は、労働でほてった身体にはしびれるほどに冷たく、心地よかった。
こちらが川床に坐っているせいで、相手の腰のあたりが見えもする。
見るともなしに眼につく、エクテマスの腿上部や脇腹にある傷跡は、全て刀傷だった。
エクテマスは、「師のルビリアからもらった傷だ。互いに目隠しをしていた」、と事も無げに説明した。
こういう際にはエクテマスは妙に面倒見がよくて、肩や背中への水のかけ方は丁寧だった。
しかも、いったいどういう基準なのか、
「君にそんなことまではさせられない」
裸同士になったのだからもう構うまいとも思うのに、ユスタスに水を浴びせてやっても
自分がそれをされることは断り、岸辺に脱ぎ捨てて置いたままになっている衣類も、ユスタスの分まで
ざぶざぶと洗ってくれる。
陽光の下、惜しみなくすっ裸を晒して洗濯しているエクテマスの引き締まった体躯を、そうやって
いつまでも感心しながら見ているわけにもいかず、ユスタスは空を仰いだ。
トレスピアノならば、雪山がもっと近く、森の上に白く聳えて見えて、清流も、もう少し青の色が濃い。
それでも細かく陽の光をはじくせせらぎや、明るく透きとおった緑は、此処コスモスでも変わらない。
洗った衣を岩場に広げると、川から上がったエクテマスは外套一枚を身体に巻きつけて、
「少し眠る。太陽があの梢にかかったら起してくれ」
ユスタスが見ている前で木蔭に横になった。
勝手なことをユスタスに云い付けて木の根元に頭をもたせかけると、エクテマスは
瞼を閉じたとみるや、すっと眠りに入ってしまった。
(疲れてるのかな)
無理もない。
平騎士としての通常雑務に加えて、ルビリアの世話もほとんど彼一人がこなしているのである。
早朝から夜遅くまで、人の倍は働いているはずだ。
何となくユスタスも彼を手伝っているのだが、たいていのことは(いつの間に)と思うほどエクテマスが
先に片付けてしまっており、まさに一刻も無駄にはしないという働きぶりである。
先刻の話をもっと詳しく聴きたかったのだが、午睡くらいさせておけという気になった。
ユスタスは眠っているエクテマスの近くに腰を下ろした。
許せない男ではある。
ユスタスは草をむしった。
この男がロゼッタにした仕打ちを思い出すと、その寝顔を今でも殴りたくなるほどに
腹の底が煮えたぎってくる。それには変わりない。
それでも相手が常に冷淡に構えて、その後もユスタスを見る眼に、何の遠慮も挑発も、からかいも
浮かべていないときては、たとえそれが軍内の規律ゆえの彼の常態であったとしても、表面上は
こちらもそれに合わせるより他はない。
ずるい、と思う。
思うが、堪えなければならないこともある。
ユスタスは草を川に投げ入れた。
よく晴れた午後だった。日向に干していた衣類はすぐに乾いた。ユスタスは先にそれを着込んだ。
軽やかな音で清流が流れ、木に立てかけたままの剣の影には、蝶がたわむれた。
まるで無心に、木蔭で北方の若い騎士は眠っていた。
揺れる緑が眠るエクテマスの顔に影を与えており、そのせいか、その硬質な感じのする横顔の
鼻梁や閉ざされた瞼の上に、少しだけ、彼の子供の頃の面影が見えるようであった。
そしてその頬には、先日ルビリアに罰せられた際の殴打の痕が、まだ薄く残っていた。
後にしてきたサザンカの陣屋のあたりで、ハイロウリーンの者がエクテマスを探しているようだった。
ユスタスはそっとその場を離れると、急いでそちらへ駈けて行った。
頃合になってユスタスが川べりに戻ってみると、エクテマスはもう起きていて、衣を身につけ、
剣帯に剣をかけているところだった。
正直なところ、もう少し寝かせておいてやりたかった。今も、彼の代わりに些細な用事を
果たしてきたところなのだ。
ユスタスは持ってきた昼食をエクテマスに渡した。
「どうも」
眠気の名残もなく、木の幹に凭れてエクテマスは肉と野菜入りの麺麭を無言で食べ、ユスタスもそうした。
青空に流れるたくさんの白い雲が眩しかった。真珠色に輝く雲は、光の触手を伸ばすようにして
ゆったりと青空にもつれあっていた。
川の水を手ですくって呑んだ。手の甲で口許を拭い、エクテマスはしばし何かを考えているようであった。
「ユースタビラ」
「なんだよ」、わざとぶっきらぼうにユスタスは応じた。
「もうじきハイロウリーンの本隊が到着する。その中にはフィブラン・ベンダはじめ、
 わたしの兄と弟も加わっている。君のことだが、どうしたものかな」
「あ、そうか」
エクテマスから相談されるとは珍しい。しかも、懸念事項は他ならぬ自分のことだ。
フィブラン・ベンダ・ハイロウリーンを前にして、いい加減、このきわどい身分詐称が通じるとは思えない。
川の中に手を浸した。最初に打ち明けておいたほうがいいのかな。
でもその場合は、高確率でこの身はトレスピアノに即日強制送還だ。
ユスタスは川の中に小石を投げ込んだ。
「兄と、弟」
「ハイロウリーン家の五男と七男だ。父上が彼らを供に選んだそうだ。といっても途中で
別行動になっているそうだがな」
「へえ。そのご兄弟もあんたみたいに、ややこしい危険人物なわけ」
厭味のつもりだったが、無視された。かちりと音を立てて剣帯の留め具が降りた。
「陣に戻る」
平騎士は寝具代わりにしていた外套を拾い上げると、それを背にかけた。


フィブラン・ベンダ・ハイロウリーンのコスモス入りは華々しかった。
といって、何があったわけでもない。師団が帝国街道を北から南下して来ただけである。
しかしそれは、ヴィスタチヤ帝国が誇る、帝国最強のハイロウリーン騎士団であった。
そこに所属することこそは騎士の中の騎士と呼ばれ、終生の栄誉を約束される、ハイロウリーンであった。
かがやかしい白と金の揃いの鎧に身を包んだ堂々たる騎士たちが、整然と、そして威風堂々、
馬を進めてくるその様は、白い波頭のごとく、神の軍勢のごとく、見る者の心胆をそそけ立たせるような、
重々しくも、威厳ある、圧倒的な眺めであった。
コスモスに宿営中の各国騎士団は、ただそれを見るために、こぞってそれが見える
丘陵に居並んだ。
その遠巻きの警戒と畏敬こそ、行軍するハイロウリーン騎士団の誉れであった。
他国の注視の中、ハイロウリーンはまったく馬脚を乱すことなく白と金の旗をなびかせて、
街道の緑の中を、誇らしい幻のように渡ってきた。
帝国の双璧として並び称されてはいても、騎士の受け入れ条件が比較的ゆるやかな
ジュシュベンダとは異なり、選りすぐりの精鋭しか入団させないハイロウリーンは、まさに
騎士団の最高峰であった。
白と金という光輝なる鎧装束こそは、北方一の騎士団の高い精神を示すものであり、風雪に耐え、
それを踏破する騎士たちの、力と自信の、その鉄壁の象徴であった。
一足先にコスモスに陣を構えていたルビリア率いる隊ですら、彼らの白と金の鎧がそこにあり、
その存在がそこにあるというだけで、他国の騎士団に深い感銘を与えていたのである。
一糸乱れることなくとはこのことかと思わせる規律をもって進軍してくる白と金の騎士団の先頭に、
高名かくれもなきハイロウリーン領主フィブラン・ベンダ・ハイロウリーンその人の御標が
風に強くひるがえり、たなびいて過ぎるのを、人々は、雷に打たれたような感動と共に見送った。
道の先では、ガーネット・ルビリアと、ナラ伯ユーリが馬を降りて待っていた。
「フィブラン様」
「出迎えご苦労。ガーネット・ルビリア・タンジェリン」
「お待ち申し上げておりました」
ところで、ガーネット・ルビリアの、フィブラン・ベンダへの尊敬は、心の底からの、本物のものであった。
亡命以来廿年、彼女は一片たりともフィブランへの信頼と感謝と敬慕の念を揺るがせに
したことはなく、フィブランと知己であることへの驕りや将来を見越した上での
追従なども、そこには微塵もなく、ただひたすらに、幼子と同じように、彼を実父のように慕い、
彼に従い、生徒が教師にそうするように彼を崇敬し、信奉していた。
騎士団率いるフィブランの前に進み出たルビリアは、まるで少女のように顔をかがやかせ、おのれの
主を迎えた、その喜びを傍目に隠そうともしなかった。
「フィブラン様」
「ありがとう、ルビリア」
手綱を片手に、フィブランは応えた。そしてフィブランは、こちらを見上げているルビリアに向けて、
「達者でなにより」
馬上から、渋く、微笑んだ。
そんなフィブランを、ルビリアは、うっとりと仰いだ。
その様子には、実の父娘もかくやと思われるほどの、強い信頼関係と、主従の絆が窺えた。
居合わせた人々は当時盛んに流れた、
『ルビリア・タンジェリンはフィブラン・ベンダの寝所にはべり、彼に奉仕することで、辛うじて
亡命を許されたのだ』
この噂を思い出さないわけにはいかなかった。
騎士の中でもそのあたりに事情の通じた者ならば、しばしば女騎士は
自らの主に対して、主君がそれに相応しいだけの器量と度量ある御仁であるならば、ちょうど
イルタル・アルバレスとジュシュベンダ騎士団いらくさ隊の女騎士たちの関係がよく示すように、
無条件に、そしていじらしいほどに健気に、可愛らしくひたすら従順に懐くものであることを
知っていたが、そんな彼らであっても、
「フィブラン様」
頬を紅潮させて、一途にフィブランを見上げているルビリア姫の姿を目の当たりにしては、おのれらの
主君への敬慕の念はルビリアのそれと、勝るとも劣らぬ同じものであったとしても、
(これだから、女騎士は)
平生のルビリアがお堅いだけに、嫉妬混じりに(ちっ)と吐きたいような、少々おもしろくない
気持ちになることは否めなかった。
もちろん、フィブランの脇を固めている近衛たちは、女騎士と主君のこんな光景には慣れっこで、
下方の騎士のようにあからさまな不愉快や、噂を基にした下品な邪推を覚えたり、ルビリアに対して
不見識な反感を抱いたりはしなかった。
諺に云う。女騎士が倖せに過ごせる騎士団を持つ国は、君主のまたとない立派の証しと。
犬が飼い主にひたすら懐くような、女騎士たちのこの奇妙な習性について、ジュシュベンダの
イルタル・アルバレスならば、苦々しげな顔をつくり、こう説明したであろう。

------それだけ彼女らが、僻見と無理解の中にあり、孤独だということだよ

しかしルビリアとて、差し障りがあるほどの真似はせず、共に出迎えに出ていたナラ伯ユーリに
その場をすぐに譲った。
実際フィブランはよい領主というだけでなく、帝国中の騎士や諸侯から尊敬を
寄せられるに足る、立派な人物であった。
二大騎士団の一方であるジュシュベンダのイルタルが、まだしも文官寄りならば、フィブランは
生え抜きの武官であり、騎士の中の騎士、癖のある豪傑らを一手に束ねるに相応しき、生粋の
武人として、その竜の血の威力を遺憾なく内外に知らしめていた。
少し日に焼けた、雪風に磨かれたようなその精悍な顔立ちは、冬空を翔る猛禽類の気品と
猛々しさとひそめ、物腰には重みが、言動には思慮と分別があり、さりとて内省には傾かず、時として
電光石火の決断と猛獣のような戦闘意欲と行動力を見せつける。
フィブランこそは雪をも溶かすような苛烈さと、燃え盛る焔も封じてしまう冷徹さをもって、
北方騎士団を治めてきた、北の重鎮であった。
彼が馬上から辺りを睥睨するだけで、全軍はしびれたようにおののき、彼の命を待ち、命に服した。
そのフィブランは、崖寄りに少し馬を進めた。
前領主時代に、幾度かコスモスを訪れたことのあるフィブランには、コスモスは未知の土地ではなかった。
ハイロウリーン軍はコスモスの街中を突っ切ったのではなく、脇街道を大きく迂回して、神速のその名に
違わぬ倍速の行程でもってコスモス入りを果たしたのであるが、そこからでも、遠く、コスモスの古城が望めた。
雲間から差し込む陽が、ちょうど城の尖塔を白銀に輝かせ、厳かに、城影を光の湖の中に沈めていた。
(はるかなるユスキュダルから降り来たりたる、尊き方よ)
フィブランは、その城に向かって、深く頭を垂れた。
騎士フィブラン・ベンダ・ハイロウリーンが、唯一無条件に膝をつく御方が、そこにおわすのだった。
「ルビリア」
「はい」
フィブランは一帯の丘陵を悠然と眺めまわした。その横顔には失望があった。
彼はふっと笑った。
「ジュシュベンダの姿は、やはりないか」
「現時点では、ジュシュベンダ軍はコスモス領外で、軍を待機させているとのことです」
「なるほど。イルタルはあれでいて、心遣いの細やかな男だからな」
小莫迦にしているようにも聴こえる口調であったが、皮肉ではない。
フィブランはジュシュベンダがコスモス入りを強行せぬ、その理由について、よく分かっていた。
帝国の北と南を鎮守してきた二大騎士団が顔を合わせるなど、世紀の顔合わせである。
「対張るような真似をして、諸国の要らぬ関心を浴びることにでもなればご迷惑、というわけだろう。
 こちらに気を遣って下されたというわけだ」
仁智勇を兼ね備えた御大は、脳裡にイルタル・アルバレスの顔を思い浮かべた。
(ひと目でもわが軍をご覧いただければ、そのようなご心配は
 一切ご無用であることをジュシュベンダの諸君らに、とくとお伝え出来たものを。
 はてさて、これは果たして、どちらが不遜なのやら)
騎士の鑑フィブランはその剛毅な性格そのままに、コスモスの丘陵の彼方に、まだ見ぬ紫に金銀の
ジュシュベンダ軍旗を見据え、不敵に笑った。
それから彼は、ハイロウリーンのご本尊であるフィブランの姿をひと目見ようとして集まっている遠くの、
有象無象の影を見渡した。
「ご本尊」は、時を無駄にしなかった。
「これで方々も、しかとわが軍のありようをその眼に焼き付けたことであろう」
「はい」
「陣は近いな。では、もうひと駈けするとしよう。ルビリア頼む」
「はッ」
彼らは馬に乗った。ナラ伯ユーリが先頭に立った。
ルビリアはさっと馬首をめぐらせると、後方の指揮にあたった。
傭兵の出入りが多い他国とは異なり、ハイロウリーンは末端までも不動の
人員で構成され、均一の訓練を受け、完全に組織化された軍隊である。
縦陣であろうと横陣であろうと、伝令ひとつ指示ひとつ、命令一下直ちに従い、そのように果たすよう、
骨の髄まで鍛え上げられた、それ自体が大きな騎馬であるかのような、気鋭の騎士団であった。
「ガーネット・ルビリアである。遠路ご苦労。一度に陣に入ることは叶わぬ。
 偶数隊は道を左方に開け。合図があるまでこの場で待機するよう」
「偶数隊待機ッ」
「行軍開始ッ」
高位騎士ルビリアの命を受け、扈従する騎兵は速やかに整然とそのように動いた。
そのあまりの迅速は、見ていて気持ちがよいどころか、不気味すら覚えさせる光景であったが、
木漏れ日の中、ふたたび白と金の鎧が動き出すと、その鮮やかなるただしさに、人々はやはり
眼を丸くして、心奪われるのだった。


先頭にナラ伯ユーリを立てておいて、馬を進めるフィブランはルビリアを隣りに呼び寄せた。
木漏れ日を仰ぎ、ハイロウリーン家の七人の息子の名を、フィブランは口にした。
「ケアロス、イカロス、ワーンダン。カンクァダムにインカタビアに、エクテマス。
 それから。そうそう、ワリシダラムだったな」
末っ子の名だけいつももたつくには理由がある。七男のことをフィブランは常日頃、
「ちび」
と呼んでおり、すっかり育った本人にはひじょうに嫌がられていても、まだそれを止めないのである。
「父の気持ちにもなってくれ」
フィブランは末子のワリシダラムに真顔で迫った。
「可愛い息子たちが、上から順番にあっという間に成長しきり、やたらでかいだけになる。
そこへ末子のお前だけが、まだ甘い声で父上父上と、この父を慕って膝の上に乗りに来てくれるのだ。
絵本を読んでやったろう、ワリシダラム。それが忘れられなくてな」
「もう父上と背丈が変わりませんが」
「つまり一人くらいは、まだ小さな息子でいてほしいと。親の願いだ」
「うわあ、家出したい」
 ワリシダラムからすれば迷惑至極な話であったが、フィブランの子供たちへの
愛情は末子には特に深かった。
もっともそれを家の外であからさまにすることはなく、彼の家族愛はあくまでも
私的の範疇であったにせよ、今ではすっかり健康体である末息子ワリシダラムが
生まれた時は未熟児で身体が弱かったことも、その情をひとしおのものにしていた。
今回は、そのワリシダラムと、五男インカタビアを、フィブランはコスモス遠征に伴っていたが
野暮用が出来た彼らは、別路からこちらに向かっているとのことだった。
「ご報告いただきました。そちらへはエクテマス様が、お迎えに」
「彼のことでは迷惑をかけた、ルビリア」
前を向いたフィブランは手綱を軽く握り直した。
「ロゼッタ家のご令嬢への見舞い金と、平騎士エクテマスへの処分は、概ね満足だよ」
「報告書のとおりです。王子を預かる身でありながら、私の監督が行き届きませんでした。
 申し訳ございません」
「構わんよ。エクテマスのことは貴女に一任して、もとより斬るなり煮るなり
 好きにせよと、預けてあるのだから」
「重ねてお詫び申し上げます」
陣屋に到着し、彼らは馬から下りた。
フィブラン・ベンダ・ハイロウリーンは、コスモスの穏やかな緑に目を向けた。
朝の小雨に洗われた美しい草木は、風にそよぐまま、青空の下にあった。
彼らの馬が従者の手で下げられると、おもむろにフィブランは
女騎士の背を樹につけさせ、向き合ったルビリアの眼に片手をあてがい、目隠しをした。
手袋をはめた大きな男の手で、世界の光が隠れた。ルビリアは戸惑った。
「フィブラン様」
「覚えておらぬかな。少女の頃、そなたに目隠しをして、闘わせたものだった」
「覚えております」
目隠しされたまま、ルビリアは口許を微笑ませた。
何年経とうとも、忘れることはない。ルビリアは微笑んだ。
「フィブラン様には鍛えていただきました」
「貴女は高位騎士になると思ったよ。それがどれほど貴女にとって過酷な生を意味しようとも」
「過酷など」
ルビリアの赤い唇は笑みのかたちのままだった。フィブランは女のその唇を見下ろした。
「過酷は、独りだけの幸福よりもずっといい。今も、そうお考えかな」
「はい」
女騎士の返事はよどみなかった。
ルビリア。フィブランは片手で女の眼を隠したまま、女に告げた。
「第二王子のイカロスが、篭っていた離宮から、ようやく城に戻ってきたよ」
「イカロス王子さまが」
イカロスの父であるフィブランの前で、ルビリアは口許から笑みを消した。
ケアロス、イカロス、ワーンダン、カンクァダム。
七人いる王子たちの年長組の四人のうち、父の気性を最もよく受け継いだのは
世子のケアロスであったが、容貌は、第二王子のイカロスが、いちばんフィブランに似ていた。
その声も、その手のかたちも。
ルビリアとイカロス王子は、少年少女の頃に、一度付き合いがあった。
それから別れて、一昨年の一時期、またよりを戻していた。
大人同士の付き合いは、双方に慰安を与えこそすれ、それ以上のことはないはずだった。
(ルビリア。ルビリア。どうしても駄目なのか。こうしても、これほどに愛しても)
「そなた達は恋人同士だった。隠さずともよい、本気になったのはイカロスの方だ。
 最初の妻を早くに亡くしたイカロスは、貴女に求婚した、そうだな」
「-----はい」
「そして貴女はそれを断った。彼らしくもないことだが、イカロスは、弟のエクテマスを呼び出して、
 そこで何があったのか、口論の末に弟を殴ったそうだ。
 もっともエクテマスは兄に嫌われたところで、まったく堪えてはおらないようだがね」
(眩暈がする)
フィブランの手で世界を隠されたルビリアは、瞼の裏に、閃く赤を見た。
(永遠に続く、火の道)
「七人もの王子と、他国も羨む第一級のいい男たちが、ハイロウリーン騎士団には揃うているものを」
風にそよぐ枝葉のざわめきの下、フィブランは嘆いた。
「誰も、そなたから、あの皇子の影を消し去ることが出来ぬとは」
土砂降りの雨の中、ハイロウリーンの練兵場に立っていた少女は、その手に剣を握り締め、
もう誰にもそれを、それだけは奪わせはしないというかのように、かたく、しっかりと、その運命を
剣に繋いで、対戦相手を屠ってのけた赤い血だまりを黙って見つめ、暗い雨にいつまでも打たれていた。
フィブランは片手でルビリアの視界を隠したまま、もう一方の片手で、ルビリアの頤を撫ぜた。
その様子だけを見れば、フィブランの奥方ならずとも、この二人はそういう関係だと信じただろう。
しかし実際は親密なことなど何もなく、むしろこの主従は、公務を離れればかなり疎遠な間柄であった。
それは、あからさまにタンジェリンの肩入れをしてはいないことを他国に知らしめるための
フィブランの政治的配慮であり、フィブランの、騎士の育て方でもあった。
「憐れみなど誰にもかけぬよ。そなたにも、イカロスにも、そしてエクテマスにも」
誰よりもその才を信じて、この女騎士を育て上げた男だった。男の手は、女の頬を撫ぜた。
「そのような資格はわたしにはない。貴女の人生は、貴女のものだ。そして貴女を結局は
 騎士にした、タンジェリンの宿命の。そして貴女を支えている、亡霊のな」
「お言葉が分りません」
「ルビリア」
「はい」
「貴女がいなければ、エクテマスは、生きてはいなかった」
「仰る意味が分りかねます」
「幽鬼になるしかなかった。エクテマスは、あれは、才を殺すことでしか、この世に生きられない人間だ。
 あれの父としても、騎士としても、口惜しく、不憫を覚えもするがね」
ルビリアは目隠しをされたまま、フィブランの手の中で眼を閉じた。
ハイロウリーン家に禍を呼ぶタンジェリンの魔女。そのようにフィブランの妻が
自分を罵っていることをルビリアは知っていた。
(聞き飽きたわ)
(ルビイ。ルビリア。何だかわたしは永くは生きないような気がする。-----つまらないな。
今日は泣いてはくれないのかい?)
(その嘘は聞き飽きたわ。ヒスイ。もう二度と聞きたくないわ。もう二度と)
「ルビリア。十戦十敗からそなたは始めたな。目隠しをされたそなたは何度、闘技場の土の上に
 倒れたことだろう。十戦十敗から始めて、一つずつ勝ち星に変えるまで、どれほど打たれたことだろう」
「フィブラン様のお蔭です」
「わたしは何もしておらんよ。ルビリア」
(その声。お心のご高潔と、ご温情がそのまま伝わるその抑揚。イカロス王子となんて似ている)
すぐ近くにある、フィブランの深い声、その影は、ルビリアにイカロスを想い出させた。
そして、イカロスといる時には、フィブランを。
魔女と呼ばれるに相応しい、それは、女の本音だった。

(いかにも君に味方をするようなふりをしながら、世間に向かって
 君を貶め続けているあの連中には我慢できない。本当に君のためになることは
 一切しないのに、自分が出しゃばることだけには熱心で、それが証拠に、ごらん、
 彼らは彼らの都合に合わせて、幾らでも君のことを決め付けて悪く云う。
 君がどんな人間かには一切かまわずに、君を批難することで、自分たちだけが
 安全無事に得をする)
(彼らが君について語る、如何にも君の運命を代弁するような断定的なもの云いが
 何よりも雄弁に語っている。さもなくばどうしてあのように、他人のことをさもご親切な顔をしながら、
 汚い声で得意げに根回しして回るのだ。何ひとつ君の役には立たぬくせに、
 君についての悪い噂を云い広め、勝手な運命を作り上げては、その印象を押し付ける。
 理解者を気取ることはしても、その君を大切に護ることは一切しない。
 君を犠牲にして得をする。あの連中には、我慢できない)
(ルビリア。別れた後も、ずっと忘れられなかった)

「フィブラン様」
ルビリアはイカロスのことを想い、過ごした日々を想い、フィブランの面影をそこに重ね、その上で
イカロスと同じ声音を持つ、その父にそれを伝えた。
「フィブラン様のお言葉だけが、まことでした」
「わたしは何もしておらんよ。紅の竜の騎士よ」
「どれほどの恩着せがましい口先だけの親切よりも、フィブラン様が私に下された真心と、尊重ほど、
 私を励まして下さるものはありませんでした」
「そなたの生きる道をそのまま支持し、肯定してやることのほかに、出来ることなど何もない。
 誰かの力になってやろうとするのなら、その者のすべてを心から好きでいてやることの他に、
 出来ることなど何もない」
目隠しをされた女は、周囲の一切から隔絶され、そこに放置されている者のようにも見えた。
ルビリアの姿を眺めているフィブラン・ベンダの眼差しには、ルビリアの前では決して見せない
深い慈しみと、そしてやはり、痛々しさがあった。
しかし、フィブランはそれを億尾にも出さず、ルビリアに告げた。
「人は貴女の生き方が間違えていると非難する。
 そのままでは不幸になるぞと、彼らが、貴女をそう決める。
 そのような言葉が、はたして貴女の為になるものだろうか。それが貴女を導くことだろうか。
 それが本当に貴女の為を想うことだろうか。貴女に寄り添い、その手を繋ぐこともせずに」
「イカロス様は、私なぞには、もったいない御方でした」
「いいのだよ、ルビリア。とても残念なことだが、貴女の望みがハイロウリーンの妃に
 おさまることではないことを、わたしほど知る者はいない。
 ルビリア、わたしはいつでも、貴女の味方でいる。さもなくば、二十年前タンジェリンの姫を
 わざわざ引き受けたりはしなかった。貴女を、高位騎士に育て上げたりはしなかった。
 ガーネット・ルビリア・タンジェリン、そなたの宿願、確かに聞き届けた」
フィブランはルビリアの顔から片手を取り除けた。
ふたたび、ルビリアの青い眼が白銀の雲の流れる空の下に、空より強い力で現れた。
その眸を見つめ、フィブランはルビリア姫に申し渡した。
「息子エクテマスのこと、感謝する」
エクテマスは騎士ルビリアの弟子であり、今後もそうである。
生まれ落ちた時から腐り落ちるさだめの異種が、狂った花に寄り添うことで、辛うじてこの世に
留まり、生きながらえているのだ。
「好きに生きるがいい」
そなたたちは師弟関係にある。口出しすることこそ、冒涜であろう。


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ユスタスが、「ユースタビラ。起きろ」、天幕から引きずり出されたのは、まだ星が
空に輝いている、未明のことだった。
真っ暗な街道を馬でひた走る間、前方のエクテマスを追う馬上のユスタスは
終始、不機嫌であった。

(朝から晩まで顔突き合わせて、夜食も一緒にとったじゃないか。なんでその時に
真夜中に出立するって、ひと言、僕に云わないんだよ)

もともと夜は健やかに眠る性質のユスタスである。
中途半端に眠るくらいならば、起きて待機していたほうがよかった。
月が明るく、夜目もある程度利くのでなめらかな街道を
馬を疾走させる分には不自由はないが、エクテマスが落ちていた橋を
右に避けて、何の予告もなく川を馬で跳び越えた時には、さすがに慌てた。
続くユスタスも馬の腹を蹴り、流れを跳び越して無事に落水をかわしたものの、その間、
エクテマスはほとんど馬の速度を落とさず、ユスタスを振り返ろうともしなかった。
近くにちゃんと、仮橋が架かっているのである。
そちらに回ればいいものを、そう思うと、心の準備なく跳躍と着地を強いられた
こちらとしては、腹立たしい。
後続の従者たちはとっくの昔にはるか後方に引き離されている。聴こえるかどうか分らないが、
「橋が落ちてる。気をつけて」
後ろに向かって、どなっておいた。
目的地に向けてまっしぐらなエクテマスは、どことなく、兄のシュディリスに似ていないでもない。
もっとも兄のシュディリスならば、川を跳び越す前に、合図くらいはしてくれたはずである。
先頭のエクテマスはそれでも停まらない。
(神速だか何だか知らないが、ハイロウリーン騎士団の人間は他国人に比べて
 頑固一徹で、直情気質ってだけの話じゃないのか。それとも何か、それも精神力の
 為せるわざとでも云う気かな)
だいたい、何で、僕まで同行しなくちゃいけないんだ。
(でも、こんな機会でもなきゃ、オーガススィの姫には逢えないかもね。
 彼女たちは大事をとってコスモスには近付かないというのだし、顔を見ておくのも悪くないか)
(レーレローザとブルーティア。それにルルドピアス姫。小トスカイオ殿のご息女二人と、それと
 その小トスカイオ殿の末の妹姫。トスカタイオ・クロス・オーガススィ殿はルルドピアス姫を
 離宮に隔離して育てたというけど、本当かな)
帝国に貴家は数あれど、フラワン家は別格である。
そこに生まれた者ならば、年頃になればジュピタの宮廷にも遊びに行き、聖騎士家はじめとする
名家の子息子女と親交を深めるのが慣例であった。
それも二十年前の政変に伴い、ぱたりと途絶え、トレスピアノ領はその不可侵性を帝国に
保障されたまま、皇帝家とは疎遠となって久しい。
表向きは折に触れて挨拶状などを交わしているものの、あくまでも儀礼的なものであり、
兄のシュディリスも都の学問所ではなく、隣国ジュシュベンダの大學を留学先に選んだ。
つまり、この二十年、フラワン家はトレスピアノ荘園に篭りきりであったのだ。
それでも、主要な名家の家族構成くらいは、ユスタスの頭にも大体入っている。
カシニは子供たちに、それを遊びで憶えさせた。
まずは数十人分の名の書かれた札を用意し、その札の裏には各家の家紋が入っている。
子供たちは床に広げられたその札を、まずは適当なところからめくっていき、次第に
誰がどの家で、どこに同じその家紋を持つ人物がいるかを憶えてきたら、同じ家の人物の
札を引いて、裏面の家紋が確かに同じであることを披露し、手許に集めたその正解の札の数を競う。
単純な遊びであったが、最終的には札は三百枚ほどに増えていた。
同じ頃、シュディリスとユスタスが特に熱中したのが、騎士を題材にした札遊びだった。
そちらは名家のかるたとは異なり、古今東西の、歴史上の有名な騎士の名が連なっていた。
遊び方はこちらも単純である。
互いに決められた数の札をひき、手元の札を組み合わせて、順番に出してゆく。
札の組み合わせにより強い弱いがあり、上位騎士の札を三枚揃えても、高位騎士の一枚に負け、
高位騎士二枚の札も、上位騎士と準上位騎士の組み合わせには負け、高位騎士と上位騎士の札を
最強の組で揃えても、超騎士の札一枚に負け、その無敵の超騎士も、名だたる聖騎士を片っ端から
鞍から振り落とし、仔馬の頃の飼い主である平騎士しかその背に乗せなかったと云われる伝説の
ひねくれ名馬の一枚には、何故か負けるとか、そんな遊びであった。

「つまり、この名馬は気位が高いの、低いの、どっちなの」
「子孫がフェララ家の厩舎にいるとかいないとか」

そんな雑談をしながら、「勝負」や「合戦」や、「決闘」を仕掛けて、札を出し合い、夜遅くまで
寝台の敷布の真ん中に札を積んで、兄シリスと勝った負けたを繰り返していたものだった。
中に一枚だけ、彼らにも遣い方が謎のまま、手つかずに横に退けられている札があった。
父カシニに訊いても、父も知らず、それは大昔からこの札遊びの札の中に必ず
混ざっていて、そして誰にも、遣い方とその意味が分らない一枚なのだということだった。
謎の札に書かれたその名。
『星の騎士。シヴァラーン・ハクラン・チェンバレン』
舌を噛みそうなこの騎士の珍妙な名については、最初、申し訳ないが、兄と二人で大笑いした。
無名の家に生をうけ、数々の戦場にふらりと現れては、高騎士のみで構成された隊をも
彼一人で討ち果たしたそうである。
「まさか」
フラワン家の男の子たちは、信じようとはしなかった。
星の騎士の札には、何の変哲もない鎧装束の騎士の絵が描かれており、騎士は片手に剣を持っていた。
鎧面を降ろしていて、その頭上にはその名のとおり、四方に細い線光を放つ星が描かれてあった。
札遊びの間、その札だけはいつも片隅に取残されて、妙な存在感を主張し、しかも
まったく無効なのであった。
「星の騎士」とはなんぞや。
それは、ひじょうに稀な騎士なのだそうだ。
どうやら高位騎士級の騎士のことを指すらしいが、では、高位騎士とはどう違うのだろうか。
数百年の時を遡れば遡るほど、古き時代の騎士たちの竜神の血は濃く、中には身体に鱗がある者も
いたということであるから、もしかしたら、それは奇形騎士の一種を指すものなのだろうか。
青空に高く投げ上げた剣が回転しながら落ちてくるところを、後ろ向きのまま待ち構え、柄を握って
ぴたりと止める。或いは目隠しをしたままで剣稽古をする。
「兄さん、ずるいよ。今見てたでしょ」
「見てない。ユスタスも出来るようになったら分る」
「見てた」
「じゃあ、もう一度やってみせる」
そんな遊びをやりながら、ユスタスは兄シリスとそれについて語ったものだった。
シヴァラーン・ハクラン・チェンバレン。
調べてみても、ほぼ伝説で、もとより何処の国の騎士団にも所属していなかったことから、名のみが
今に伝わる古代の騎士らしい。
(その僕たちが、きょうだい揃って、星の騎士と呼ばれることになるとはね)
誰もそれを愕かなかった。
それどころか、フラワン家を訪れる剣術教師たちは、揃ってそれを認知し、彼らを祝福した。
トレスピアノの野原で、きょうだい三人、主には兄シュディリスと二人だけで、いろいろとやっていた
剣の遊びが実は相当に高度な技で、如何なる騎士もまずもって彼らのようにはなれぬことを、
騎士団のないトレスピアノの人々は、ながく、誰も気がつかなかった。
フラワン家にあった三つの原石はお互いを高め合うようにして恵まれた能力を人知れず磨いたが、
よもや星の騎士の称号に封じられるとは思わなかった。そしてまた命題に戻るのである。
星の騎士とはなんぞや。
或る剣術教師の説明によると、誰もがそうだと納得する者のことらしいのだが、そんなふうにどこまでも
実情が不明で、曖昧なのだった。
世の中には不思議なことがたくさんあるので何がなんでも探求したいとは思わないが、
不明といえば、ユスタスの前方、夜道を駈けるあの男も、そのうちの一つである。
(ユスタス様。お願いです。エクテマス様と闘うことだけはお止め下さい)
(生憎だけど、ロゼッタ)
子供の頃、兄と熱中した、騎士の札遊び。ハイロウリーン騎士の名もそこにあった。
(ハイロウリーンの札にはよく泣かされてたんだよね。遣い方が難しくてさ。
 ハイロウリーンだけは三枚揃えて『騎士団』にしないと切り札として
 有効にならなかったんだ。うっとうしくてさ。それに僕がまことに星の騎士ならば、
 相手が何者であれ、そう劣るものでもないだろうしね。
 シヴァラーン・ハクラン・チェンバレンだって、どこかの星空から僕を応援してくれるに違いないよ)
その星空も、そろそろ、夜明けの薄明に霞み出していた。
ユスタスは馬の腹を蹴り、先に流れるエクテマスの白い外衣の影から、これ以上、引き離されぬようにした。


「続く]


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