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[ビスカリアの星]■七五.


その夜、オーガススィの三人の姫は一緒に寝た。
手と手を繋ぎ、身を寄せ合い、彼女たちは大きな天幕の片隅に身を寄せ合った。
ルルドピアスを真ん中に、左右にレーレローザとブルーティア。
 「もう寝た?」
 「ううん」
 「ルルド、寒くない?」
 「レーレとブルティこそ、上掛けからはみ出してないといいけど」
天幕の内部は仕切りで小部屋に仕切られており、急ごしらえにせよ大国の
姫君たちに相応しい調度は、一応揃っていた。
その大きな天幕の、いちばん奥の小さな部屋に寝具を持ち込み、彼女たちは
それを重ねて、床に寝た。
くすくすと、笑い声がした。
 「なあに、ルルド」
 「子供の頃みたいだと思って」
 「そうね」
 「あの頃は、良かったわね」
 「まだルルドがお城で暮らしていた頃ね。毎日、遊んでばかりいたわね」
 「寝る前には交代でお伽話を。海賊の亡霊とかお城の怪談とか」
 「やめてよ、それは」
 「鷹狩りの砦からレーレとブルティが一緒に来てくれて、本当に良かったわ」
灯りが消えた中でも、外の歩哨の火影をわずかに映し、天幕の中はぼんやりとものが見えていた。
夜の池の底のようなそこで、ルルドピアスは、左右の友の手を握り締めた。
 「ありがとう」
 「どうして、ルルド。私たち、勝手に付いて来たのよ。それに、たいして役にも立たなかった。
  ここまで来たのに、結局コスモスにも辿り着けなかったし」
 「ううん」
左右の姫騎士が姿勢を変えるたびに立つ硬い音は、レーレローザとブルーティアがその身に
引き寄せている、それぞれの剣であった。
二人は今夜は寝ずの番をするつもりで、男装のまま、寝巻きにも着替えていなかった。
交代する歩哨の手にした松明の影が、大きな人魂のように、天幕を横切っていった。
 「私、オーガススィ王家に生まれて、本当に良かったと思ったの。
  レーレとブルティと、逢うことが出来たもの。また生まれ変わっても、二人と逢いたいわ」
 「何を云うの、ルルド」
 「当然じゃないの。私たちきっと、並々ならぬ運命の縁で結ばれて、こうして
  歳ちかく同じ場所に、一緒に生まれてきたのに決まってるじゃないの。いつまでも一緒よ」
 「とても迷惑をかけてしまった。イクファイファ兄さまにも。でも、私、生まれてきて
  本当に良かったわ。あなた達に逢えたもの。お城の人たちにも、離宮の人たちにも、
  みんな、みんな、優しい人ばかりだった」
 「どうしたの、ルルドピアス」
 「お別れみたいなことを云って」
 「私のことは心配しないで。レーレ、泣かないで。大丈夫よ。でも、忘れないでね」
 「ルルド、すぐにまた逢えるのに」
 「大好きなレーレ、ブルティ。いつまでも二人のことが好きよ。本当に、ありがとう」
 「ルルド」
 「ルルド、ルルド」
 「……もう、寝たみたい」
 「可愛い寝顔。子供の頃から、私たちが見守ってきた、ルルドピアス」
夜風が吹きつけ、天幕の天井に、はためく布のつくる風紋が流れた。
その大波に呑み込まれ、攫われるのを、もう少し待ってとでも祈るかのように、ルルドピアスは
二人の手を胸の上に重ねたまま、明日の出立に備え、静かに、その瞼を閉じていた。


同じ夜、少し離れた天幕では、ハイロウリーンの第三王子ワーンダンが、これまた
眠れぬ夜を過ごしていた。
 「ワーンダン様、馬車の点検を済ませました。朝まで、近くに停めておきます」
 「うん。もとより本国から姫君をお迎えするために送られてきた馬車だ。
  用意万端で、まるで事後承諾になるところであったがな」
 「どうなるかと思いましたが、承知して下さってよかったですね」
もしも、三人の姫の説得役が、第四王子のカンクァダムであったなら、もう少し物事は
簡単で、波風も立たなかったであろうか。
しかし弟カンクァダムのそれを、自分に、巷の一般的な男に求めるのは、無理というものである。
ハイロウリーンの第四王子の場合、女に何かを話す時とは落とす時のことであり、
甘い言葉と包容力、親しみのある笑顔と軽い愛撫を駆使してあっという間に女たちを
いいなりにさせてしまうのであったが、その手管はカンクァダムの天性の才能と、誰しもが
疑わぬ彼の性格の優しさによるものであり、上っ面だけ真似したところで手痛く撥ね付けられるか、
失笑されるのがおちである。
といって、カンクァダムは、決して多弁ではなかった。
そこは己の美貌にものをいわせ、彼は膝の上で猫をあやすようにして、女の愚痴や悩みの
よい聞き役に回り、そして女がふと不安を覚えてすがりつきたくなるような、どこか無関心で
虚無的な様子を意識的にか無関心にかその微笑みのうちに漂わせることで、何とはなしに、
 (放ってはおけないわ、この方……)
ぱたんと女心を傾けさせてしまう、生まれつきの、その道の達人なのである。
「真似できん。というより、するな。いいか、インカタビア、エクテマス、ワリシダラム。
  カンクァダムを見倣うことだけはよせ。痛い目に遭うぞ」
痛い目に遭ったらしき兄たちは、真顔で年少組に忠告したものであった。
しかしながら、ここにカンクァダムはおらず、彼は一人で三人の妙齢の姫を相手にしなければ
ならなかった。
 「ワーンダン王子」
ハイロウリーンの第三王子と、オーガススィの世嗣の長女が睨み合っているという
眼も当てられぬ一触即発の事態を収めたのは、妹姫のブルーティアであった。
レーレローザと同じく小トスカイオの息女であるブルーティアは、おもむろに
進み出て片膝をつき、ワーンダンの手にしたケアロスからの書簡を姉に代わり
丁重に受け取ることで、姉の非礼の詫びを入れ、双方の体面をひとまず立てた。
立ち上がってケアロスの手紙をひらき、丁寧に黙読したブルーティアは、その手紙を
後ろにいるルルドピアスに渡した。
 「お申し出、内容と相違ありませんでした」
 「ブルーティア!」
 「本来であれば、国許の領主にはかるべきところを、生憎とわれら家出をしてきた身。
  勝手な真似をした以上、祖父に相談することはできないようです」
 「ブルーティア」
 「しばしの時間をわれらに下さい、ワーンダン様。ここは一旦、間をおいて、
  われらで意見を合わせ、その後にあらためてお返事いたしたいと存じます」
談合がかみ合わずに紛糾した場合は、さらなる傷口をひろげぬように、ひとまず
休憩を入れたほうがいい。会議のこの基本を持ち出して、ブルーティアはワーンダンと
その従騎士を、一時的に引き取らせてしまった。

ブルーティアは、レーレローザを促して、ルルドピアスを天幕に残し、外へ出た。
 「ブルティ。どういうつもり」
 「レーレ。私はこの際、ルルドピアスをハイロウリーンに預かってもらうのは、願ってもない
  契機のような気がするの」
 「何ですって」
 「ハイロウリーンとの縁談の話が本格化した時から、私たち、何とかルルドピアスも
  一緒に連れて行けないかと考えていたでしょ。それ、叶うかもしれなくてよ」
姉妹の頭上には、月と星が、きらめていた。
ブルーティアは、警護の者たちに聴こえないように、さらに声を低めた。
 「通常なら到底無理なことでも、有事の時には、なし崩しにそれが果たせることもあるわ。
  ハイロウリーンにルルドピアスを保護してもらって、そしてそのままハイロウリーンの人に
  なってしまえば、今よりもルルドには生きる道がひらけるのではないかしら」
 「ルルドを、ひとりでハイロウリーンに」
 「ひとりじゃないわ。コスモス事変が問題なく落ち着けば、私たちは
  ハイロウリーンに嫁ぐのよ。ルルドピアスは重病とでも偽って、オーガススィには
  断固、帰らなければいいだけよ。そうしたら三人で、あちらで暮らすことが出来るじゃない。
  成功を信じる信じないではなくて、そのほうが、いいと思うの」
ブルーティアは姉よりは感情の吐露が控えめであったが、芯がとおった
性格をしており、こういう時には姉よりも頑としていた。
よしんば、人質となった後にオーガススィが三国同盟を裏切り、ハイロウリーンと敵対した
最悪の場合においても、三人揃って獄塔に幽閉か、毒殺か、首を斬られるだけである。
 「ルルドはハイロウリーン本国に。レーレはコスモスの駐屯地に。私はここに。
  これは、オーガススィの注意を分散させるための仮の措置よ。
  離散は一時的なものだわ」
姉妹は、ルルドピアスを残してきた天幕のほうを見つめた。
 「オーガススィにいる限り、ルルドピアスには未来がないわ。
  ハイロウリーンなら、もしかしたら、ルルドピアスのいいところを理解し、
  認めてくれる人がいるかも知れない」
縁談候補のインカタビア王子に云ったこともあるように、ブルーティアは
姉のレーレローザよりもルルドピアスのことを考えているつもりであったから、
その言葉には熱がこもった。
母スイレンが、自分にとって都合のいい自分の為の美談のあらすじを日記に書き付け、
それを人目につくところにおいていたことにも、ルルドピアスはああだこうだと必要以上に
騒ぎ立て、不憫がることで、誰の目にも、
 「痛々しくて可哀相なルルドピアス姫」
そう思わせるべく、そうなるように、巧妙な刷り込みを繰り返していたことにも、いちはやく
気が付いていたブルーティアである。
 (この人は結局、ルルドピアスの足を引っ張り、抑え付けておきたいだけなのだわ。
  自分を超えてルルドピアスが成功したり、認められるのを、阻みたいだけなのだわ。
  頼みもしない恩を売りつけては、自分を大きくみせて、何か重要なことでも
  したかのように、作り上げた役割にひとりで酔っておいでだわ)
それは到底、ルルドピアスのことを思い遣っている人間の態度ではあり得なかった。
そこに心があるか否かの違いは、子供でも分かるのだ。
その為に娘たちは母スイレンに対する不審と嫌悪を募らせて、やがて
離反したのであったから、ブルーティアなりの、長年の信念がそこには篭っていた。
 (丹精こめて花を咲かせていたルルドピアスの庭に踏み込んで、二度とそこに
  花が咲かぬまでにおかしな肥料を投げ入れ、ルルドの庭を踏み荒らした女。
  「あの庭は荒れると思っておりました」。もちろん、お母さまが深層でそうなって欲しいと
  願うとおりに、毒水が流れ込むような、負の敷石を敷いておいたとおりにね。
  自分の方が上に立っていたいという理由だけで、ひとりの人間の、生存権を奪った女。
  ご自分主役の噂を大声で流しては、ルルドを完全に日陰に追いやっていた女)

 「ハイロウリーンでなくてもいいわ」
ブルーティアはさばさばとした口調で云い切った。
 「ルルドピアスがひとりの意思を持った人間として尊重され、人格が認めてもらえる
  新天地なら、何処でもいいわ。それがハイロウリーンならば、ルルドを厄介者として離宮や
  僧院に追い払おうとしていたお祖父さまやお父さまたちへの当てつけとして最高。
  ルルドが邪魔をされずに命を咲かすことが出来る環境があるなら、何処でもいいわ。
  私たちは、ルルドピアスの行くところに、住みましょう」
会談が再開された時には、先刻とはうってかわって、姫君たちは歩み寄りの態度であった。
 「お分かりいただけたか」
単純なワーンダンは、安堵を滲ませて、三人の姫たちを見廻した。
 「明日の朝にも、ルルドピアス姫には、本国にお渡りいただきたく」
 「明日」
レーレローザはワーンダンの誠実をはかるように、彼を見た。
ワーンダンは眼を逸らさなかった。
誰もが愕いたことに、レーレローザは、ワーンダンに対して、深々と頭を下げた。
 「どうか、ルルドピアスをお願いします。ハイロウリーンが、聖騎士家にふさわしき
  誠意をみせてくれんことを」
 「むろんです」
自身もコスモスのハイロウリーン駐屯地へ送られようとしているというのに、レーレローザが
ルルドピアス姫の為に見せたこのひたむきな真摯は、先刻の確執を一瞬で氷解させるほどに
ワーンダン王子の心を打った。
 (生まれた時から三人で仲良くお育ちになられた姫たちなのだ。
  それが、このように世が不穏な中で離れ離れになるのだから、さぞや不安な、
  心もとないお気持ちがするのだろう)
頭を下げているレーレローザの両目から、ぽたぽたといじらしい涙が零れ落ちた。
ワーンダンは少女の涙を手づから拭い、レーレローザを抱え起こしてやった。
 「ご安心下さい」
彼は三人の少女たちに力強く請合った。
 「わたしの名誉にかけてお誓いいたします。誠心誠意をもって
  ハイロウリーンはルルドピアス姫を第一級のお客人として、城にお迎えいたします」
ルルドピアスは、まわりで何が起こっているのかまだよく分からないといった顔をしていた。
そのルルドピアス姫の姿は、そこだけが違う色で塗られたかのように、鮮やかに、
妙にくっきりと、いつまでもワーンダンの記憶に残り、消えなかった。


明け方の雨が止み、空には薄い虹が架かっていた。
あまり人の眼につかぬようにと、天幕の傍まで馬車が寄せられ、駐屯地のハイロウリーン
騎士たちが整然と二列に並ぶ中、オーガススィ領主の末姫ルルドピアスは、その朝、
ハイロウリーンからの向かえの馬車に乗り込んだ。
姉妹が国を出る時、御者として鷹狩りの砦から付き従ってきた背の高い巻き毛の
騎士ガードは最後までとんでもないことと頑強に抵抗を示し、
 「これを許すことは、わたしがオーガススィの騎士ではなくなること。
  姫さまがた、ルルドピアス様を異国に行かせてはなりません」
引きとめようと頑張ったが、それも、両国は友好関係にあるのだからというレーレローザと
ブルーティアの説得で、ついに折れた。
 「それでは、せめてわたしを護衛としてお連れ下さい。イクファイファ王子も
  そうお望みになるでしょうから」
 「イク兄さまの友だちである貴方がルルドに付き添ってくれるなら、どれほど心強いでしょう」
ワーンダンの許可を得て一行には騎士ガードも加わることになり、オーガススィの
姫騎士姉妹はそのことで、ルルドの為に少しほっとした。
 「レーレ、ブルティ」
朝から湯浴みをすませ、姉妹の手で身を整えられたルルドピアスは、陽に透ける朝露のように
清らかで、それまであまり近くから見たことがなかった兵たちは、美しいルルドピアス姫から
眼が離せぬほどであった。
払暁と同時にブルーティアはまだ暗い森に入り、附いて来る監視の兵を完全に無視して、
遠くに咲いている花を摘んできた。
梳られ、細かく編みこまれたルルドピアスの髪にその花は飾られ、その姿を
姉妹は注意深く点検して、あちらの方々にルルドピアスこそ帝国一の姫君だと唸らせ、
文句を云わせるまいと、ルルドピアスの支度を整えたが、それにはワーンダンが国許から
連れて来た世話係の侍女たちの手も、拒むほどであった。
 「またすぐに逢えるわ、ルルド。だから、さよならは云わないわ」
 「身体に気をつけてね。向こうで待ってて」
 「レーレ、ブルティ。本当にありがとう。レーレローザ。ブルーティア。
  私はいつも貴女たちのことが、大好きだったわ」
ルルドピアスはつま先立ちになり、断髪の少女たちの頬に接吻をした。
 「すぐにまた髪が伸びるわ。そうしたら、貴女たちは、ハイロウリーンにお嫁に行くの。
  祝賀の華やかさが見えるよう。とても恵まれた生涯を送るでしょう」
 「ルルドピアス」
 「あなた達のおかげで、私はいつも、楽しくて倖せだった」
ルルドピアスは二人を抱きしめた。
愁嘆場は臣下に見せるものではないという厳格な王族の教育により、彼女たちは満足に
別れにも浸れなかった。
すぐにルルドピアスはワーンダンの手を借りて迎えの馬車に乗り込んだ。
かなり離れたところから、ユスタスもその様子を見ていた。
騎士国のまつりごとには関与しないと明言したとおり、彼は姫君たちの行く末を知っても
一切、何もしなかったし、無情と謗られようが構わないとばかりに、挨拶に顔を出しもしなかった。
 (だってさ。大丈夫だろう。かたちばかりの人質なんだし)
ユスタスは自分の楽観を信じていた。
 (ハイロウリーンは礼節を重んじるきちんとした国だ。たとえオーガススィと
  戦争状態になったとしても、野蛮なことなどしやしないさ)
 (いいんじゃないの。どうも彼女たちは互いに深刻な共依存状態にあるよ。
  必ずしもそれが悪いとは云わないけれど、一度くらい、ばらばらになってみたら)
兄のシュディリスもそうであるが、このような際には愕くほど、ユスタスの態度は
無関心なものになるのであった。それはフラワン家に生まれた者としての貫くべき
姿勢であり、ユスタスはそれを採った。
 「ご出立!」
その行列を見る限り、ハイロウリーンは野辺から拾い上げたオーガススィの
姫君に対して最大限の礼を尽くしていた。
急なところをよくぞ調達したものだと思うほどの四頭の白雪色の駿馬が馬車をひき、
馬の前後には略正装ながらも威儀をただした護衛の兵が、整然として続く。
コスモス領外の森の中、お伽話のような行列が、きれいなお姫さまを乗せて
進んでゆく様は、深閑とした朝の緑のきらめきの中、夢絵ような光景であった。
 「誰かとめて。あの馬車を、停めて」
突然、レーレローザが、ブルーティアの手を振り切って、遠ざかる馬車を追いかけはじめた。
途中まで行列に付き添っているワーンダン王子は、心を鬼にして、馬車を停めぬようにと
御者に命じた。
 「ルルド、ルルド」
レーレローザは駆けた。
 「私のルルド。誰かあの馬車を停めて。ルルドピアスを返して」
 「レーレ、やめて、レーレローザ」
 「ルルドを返して。行かせないで。私たちに返して」
つめたい予感がレーレローザの胸に湧き上がった。
 (きっと、もう二度とあの子に逢えない。もう二度と)
不吉なその確信に追われて、レーレローザは去りゆく馬車を追いかけた。
 -----レーレ。ブルティ
ひどく懐かしく聴こえる声がして、ルルドピアスの姿が、遠くなる馬車の窓に小さく見えた。
こちらを見ているルルドピアスは淋しそうな顔をしており、そして、どことなく、もうまったく
知らない、違う世界にいる女人のようであった。
 「やめて。行かせないで」
レーレローザは泣きながら走り、その姿を、馬車を追いかけた。
 「ルルド、私のルルド」
追いついたブルーティアも泣いていた。
 「ルルドピアス!」
 「馬車を戻して。ルルドピアスを私たちに返して」
 「行かないで、ルルドピアス、ルルドピアス」
泣きながら馬車を追いかけてくる姉妹に、少女は、もう応えなかった。
オーガススィの末の姫は、幼い頃から一緒に育った彼女の友だちを見つめ、その髪からは
せっかく飾った花が、ひらひらと風に零れ落ちて、永の別れを告げていた。
その小さな可愛い顔が、朝の清潔な光の中に露が消えるようにして遠くなり、そして馬車は
たちまちのうちに距離を開いて道を曲がり、隊列の蹄の音と共に、深い森の中に見えなく
なってしまった。
 「そんなに泣くなよ。温かいお茶でも呑みなよ」
号泣やまぬ姉妹にうんざりしながら、しかし十分に思い遣り深く、ユスタスが
戻ってきた二人に付き合って天幕の中で彼女たちの世話をやいていると、何やら、
ものすごい騒ぎが外から聞こえてきた。
属領へ向かう分かれ道まで馬車を送ったワーンダンが、ついさっき、陣に引き返して
きたばかりのはずである。
何事かと耳を澄ませていると、間をおかず、すごい勢いで少なからぬ騎馬が慌しく陣を
飛び出して行く物音と、狼煙の打ち上げられる音が轟いた。
レーレローザとブルーティアは、泣きはらした顔を毛布から上げた。
 「今の、なに」
 「どうしたのかしら」
 「見てくるよ」
姉妹を押し留め、すばやくユスタスは天幕から外に出た。

その凶行の報は、コスモス事変の裏に隠れて地味ながらも帝国全土を呆気にとらせ、また
その所業の不可解さのあまりに、人々をしばし思考停止に陥らせるものであった。
遠く離れたジュシュベンダでそれを聴いたイルタル・アルバレスは、王杖を床に叩きつけて、
 「あの男は錯乱でもしたのか」
側近のファリンを慌てさせ、オーガススィのトスカ=タイオは玉座からとび上がり、
ミケラン・レイズンは無言で片眉をあげ、ハイロウリーンのフィブラン・ベンダは
駐屯地からコスモス城を睨みつけた。
そしてその他の騎士国首脳は、ひたすらその理由が分からずに、首をひねった。
 「騎士ユースタビラ」
 「ワーンダン王子」
雷に打たれたかのように、ワーンダンは顔色悪く、そこに突っ立っていた。
現れたユスタスを近くに呼ぶと、ワーンダン王子は血走った眼で、若者の肩を掴んだ。
 「ユースタビラ。-----御身の、本名の、そのお力をお借りすることになるやもしれぬ」
そこへ、
 「きたぞ」
 「重傷者からはこべ、そっとだ!」
 「手をかせ、天幕を開けろ。召集した非番をこっちに回せ」
馬の背に乗せられて、或いは同僚の肩を借り、今朝出て行ったばかりの、ハイロウリーンへと
向かうオーガススィの姫行列の護衛隊が、出しなの麗々しさの微塵もない無残な姿で、それでも
何とか自力で馬に乗れる者は馬に乗り、歩ける者は歩いて、よろよろと陣に戻ってきたのである。
暴風雨に巻き込まれて川床で擦られでもしたかのようなその惨状、ユスタスには最初、彼らが
何かの赤い襤褸を身につけた汚れた集団にしか見えなかった。
ぞっとすることに、その数、出て行った時よりもはるかに少なく、無傷の者が一人もいない。
 「しっかりしろ」
 「ワーンダン様。-------申し訳、申し訳ございません」
 「手当てに回せ。他に話せる者はいないか。おお、これは騎士ガード殿。ご無事であったか」
 「ワーンダン王子。どうか、どうか」
 「待たれよ。ひどい深手ではないか。わたしの医師をつけて、ガード殿を天幕に、すぐに」
 「第三王子さまはいずこ、急報、急報!」
 「わたしは此処だッ」
駈け込んで来たハイロウリーンの騎馬は、非常時に許されているとおりワーンダンの
すぐ間近まで馬で駈け込んで来、鞍から飛び降りて地面に平伏した。
 「これが、馬車の中に」
伝令は、凶行の現場から持ち帰った手紙と、紋章つきの短剣をワーンダンに差し出した。
血相を変えてワーンダンは手紙をひろげた。
読み終えると、ワーンダンは無言でそれを傍らのユスタスに回した。
 「担架、担架をもっと寄越せ」
 「負傷の程度に合わせて、一箇所にかためろ、重傷者が奥だ」
剣を杖代わりに歩をすすめていた兵の一人が嘔吐して倒れた。抱え上げられて、はこばれる。
けが人を乗せた馬の中には、四頭で馬車をひいていたはずの白雪の馬も垣間見えたが、その
馬の毛には大量の血が飛んでおり、不気味なまだら模様の馬になっていた。
 「信号用意。着火!」
鼓膜を震わせて、また狼煙が打ち上がる。
いつの間にか、レーレローザとブルーティアの二人が手を取り合って、戦場のような
修羅場に顔色を青くしながら、ユスタスの後ろに立っていた。
はねあがっている心臓を宥め、ユスタスはいそいでその簡潔な文面に眼を走らせた。
達筆とはいえぬものの、書き手の人柄を顕すかのような、大らかで力強い筆跡。
ユスタスの横合いから手紙を覗いていたレーレローザとブルーティアは、それを
一読するなり叫び声を上げ、ユスタスにしがみついた。
馬車の中に手紙と共に遺されていたという、その短剣の紋章を、彼らは呆然と見つめた。
 「探せ。空いてる隊をすべて探索に出せ。まだ遠くへは行っていないはずだ」
 「ははっ」
 「不始末。この不始末。おのれが許せん」
賊の遺した手紙をワーンダンはぎりりと握り締めた。

 『オーガススィ領主の姫君をあずからせてもらう。
  危害を加えるものにあらず。
  これ、すべては、ビスカリアの星の定めるところ。               
  それに従うまで。  -----クローバ・コスモス』


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森林を抜ける細い街道は、清澄な朝空の下、緩やかにくねりながら北へとのびていた。
脚に小鈴をつけた白雪の馬がひく瀟洒な四頭立ての馬車は、ハイロウリーンの騎士に
護衛され、オーガススィの姫ルルドピアスをのせていた。
コスモス領外からハイロウリーンへと至る道のりには、邑と、ハイロウリーンの
属領しかなく、それもあってワーンダンは無駄に仰々しくするのはかえって無粋だと、
行列を長く膨らませたりはしなかった。
 「ルルドピアス姫」
その行列がゆっくりと停止した。
志願してルルドピアスに附いてきたオーガススィの騎士ガードが、馬車の中の姫に声を掛けた。
馬車を追いかけていたレーレローザとブルーティアの姿が小さく、遠くなるのを、
窓から見ていた姫君は、いまは藍色の座席に身を寄せて、背を伸ばし、落ち着いているように
ガードの眼にはみえた。
 「姫さま、ここで、お見送りのワーンダン王子が引き返されます」
 「ルルドピアス姫」
ワーンダンは、騎乗のまま馬車の窓に身を寄せた。
 「ご気分に障りがでましたら、無理をなさらずに。すぐに休憩をとるよう云い付けてあります」
 「お世話になりました」
 「あちらでは、わたしの母と兄たちが、姫をお待ちしております。くろがね城および
  ハイロウリーンは全土をあげて、姫を歓迎いたしますことでしょう」
 「感謝いたします。後にのこしたオーガススィ王家の二人のことを、
  ワーンダン様、お頼みいたします」
 「お約束したとおりに。では」
簡略な挨拶はこの場合、礼にかなっている。
従騎士を引き連れて、身軽にワーンダンは来た道を戻っていった。
隊列は、また動きだした。
騎士ガードは、ささやかな今のやりとりに眼が覚める思いであった。
イクファイファ王子の友人である彼は、馬車の中の姫をぬすみ見た。
 (しっかりしておられる。-----内気な姫だとばかり思っていたが)
天性の気品とでもいうのか、帝国一の后とも云うべき穏やかな優美と威厳に満ちて、
今朝のルルドピアス姫はまばゆいほどだ。
これが、つい先ほどまで、嫋々たるたおやめといった風情で、姉妹とも頼む姫騎士たちに
護られていた同じ少女だろうか。
そのルルドピアスから声を掛けられ、ガードは、馬車のあゆみに合わせて手綱を引いた。
 「これよりハイロウリーンの属領に入ります、姫。いかがなさいましたか」
 「イクファイファお兄さまに、ルルドピアスが礼を云っていたと、伝えて下さい。
  貴方は生きてオーガススィに戻り、それを伝えて下さい」
ルルドピアスは、澄み切った、美しい眼を騎士ガードに優しく向けた。
 「ルルドピアスがお別れを告げていたと。オーガススィの人々に」
可憐な少女の声の中に凛としてひそむ、何かの怖いものに、ガードは身をふるわせた。
イクファイファ王子は、この姫君について何と云っていたのだったか。
 (何かを相談するには、妹のルルドがいちばん確かだよ)
 (それが本当なら、スイレン様は、自立した精神と、考える力を持ったひとりの人間に対して、
  何かの歪んだ型を押し付けるべく、故意に不出来な、痛々しいものとして世間に語り、
  その印象をあらかじめ人々に植えつけて回っていたということになる。それは酷い)
 (しかしスイレン様は、いつも親身に、誰よりもルルドピアス姫のことを
  考えていらっしゃるご様子であったが。末端で無関係のわたしなどに対しても、繰り返し、
  ルルドピアス姫は、世間知らずで人間不信の姫なので宜しくお願いしますわねと、愛想よく
  頼まれていたが。ルルドピアス姫がわたくしを信じてくれたならとか、人の親切が分からぬ
  あの姫に嫌われてしまいましたとか、涙ながらのそんな話を聴くにつけ、あれほどに
  姫に尽くしておられるスイレン様がお気の毒で、いたわしく、ルルドピアス姫が
  心の冷たい、実際にも思い上がった姫に見えていたものだったが)

道は、コスモスとの国境を折れて、属領に向かおうとしていた。
 「そのご一行、待たれよ。停まれ」
低い声に、隊列の馬脚が乱れ、滞った。
野良作業から出てきたかのような簡素な格好をした男が、剣をぶらりと片手にさげて、
道の真ん中に構えていた。
 「その馬車。ルルドピアス・クロス・オーガススィ姫をおはこびしたるものに相違ないか」
 「それを承知の上で道をふさぐとは無礼な」
 「停まれだと、何者」
 「高位騎士クローバ・コスモス」
男は道から退かなかった。
一行は、まず、高位騎士という称号にどよめき、そしてクローバ・コスモスの名に
顔を見合わせた。それは辺境伯を返上後、無位無官となったはずの男の名であった。
 「コスモス前領主」
 「本物だ。証拠といっても、うっかり城から持って出た、これしかないがな」
男は、短剣を抜いて、その紋章を掲げて見せた。黒に金。コスモス。
 「ハイロウリーンの各々がた」
一帯の不穏を察してか、鳥が飛び立ち、その後には、不気味な静寂が広がった。
男が掲げた短剣に刻まれているその紋章は、コスモス領主の御印に相違なかった。
 「俺のことはどうでもいい。その姫、渡してもらおう」
 「隊長、あの方は確かにクローバ・コスモス様です」
 「本国の使者に随行して、コスモス城でお見かけしたことがあります。間違いありません」
馬が逃げもせず怯えあがっていることに気がつき、一行のハイロウリーン騎士たちは
剣柄に手をかけ、身構えた。この男、本物の高位騎士だ。
 「お待ちを」
面をあらため、一行率いる初老の隊長が馬を降り、クローバに向かって歩を進めた。
クローバは馬車を目指した。
 「お待ちを。クローバ・コスモス殿。ご用件をお伺いいたしたく。オーガススィの姫に
  いったい、いかなる話あり、ここで引き止められます。姫とお引き合わせいたします前に
  まずはそれを、お教えいただきたい」
 「姫をハイロウリーンには行かせん」
 「何ですと」
 「もちろん、ハイロウリーン騎士のお前らが素直に渡すはずもない。
  理由も理屈も通るはずもない。避けたいが、闘いだ」
 「クローバ殿、停まられよ」
剣を鞘から抜き払い、すたすたとクローバは真正面から直進してきた。隊長がそれを追う。
前面の騎馬は、全員馬から降りて、剣を槍のように立て道をふさぎ、その前に立ちふさがった。
 「乱心なされたか、クローバ殿。おとどまりを」
 「ルルドピアス姫をもらいうける」
 「彼を捕らえよ、正気ではない」
 「隊長、後方からも武装集団が!」
 「数、多数。三倍はある。木立の間から弓を手に寄せてきます!」
 「クローバ・コスモス殿」
ひやりとした声がした。
ガードの制止を無視して少女が馬車の扉を開き、半身を外に出していた。
風に少女の髪に飾られた花が揺れた。青い花だった。
 「姫、馬車の中にお戻り下さい」
 「騎士さま方、剣をお引き下さい。クローバ・コスモス殿、ルルドピアスは此処です」
 「承知」
道の土は、明け方の小雨にまだ湿っていた。
クローバが片脚を踏み入れたとみるや、前面の騎士が弾かれたようにして左右に薙ぎ払われた。
あまりの速さに鞭が飛んだようにしか見えなかった。
そのあまりの凄きわざに、顔を叩かれたような思いで、ハイロウリーン騎士らはその双眸を
燃え立たせ、驚愕した。
 「おおッ……!」
それを合図としたかのように、後方からざあっと矢が降って来た。
瞬時の判断で騎士は馬を捨てた。たちまち馬が森へと逃げる。
 「姫をお護りせよ、馬を捨て、馬車を囲め!」
 「馬車へ集結せよ」
弓を剣に持ち代えた武装集団が、後方からそれを突き崩す。
前面をひとりで受け持っているクローバは隊一番のつわものと対峙し、それも、ぐうっと
押したとみるや、瞬く間に斬り伏せた。
剣戟の音が雷雨のように打ち起こり、さらには馬車を挟んで前後に分かれたハイロウリーンを
分断するかのように、左右の森からも新手が現れた。
馬車の御者は、大急ぎで馬車と馬を切り離したが、それは騒乱に昂奮した馬が、姫を馬車に
乗せたまま暴走せぬようにするための措置であった。
孤島のように馬車は闘いの中に取り残されていた。
戦闘はすぐ近くまで押し寄せ、その度に押し戻され、大波のように満ちてひいた。
賊たちと切り結びながら、ハイロウリーン騎士は窓の閉められた馬車に向かって叫んだ。
 「ルルドピアス様、出てはなりません。身を低くお伏せになっていて下さい」
 「オーガススィの姫を護れ、姫を護れ」
人と人が烈しくぶつかり、転がり、斃され、逃げ惑う馬の嘶きの中、ハイロウリーンの
白と金の鎧が朱に染まった。
いかなハイロウリーン騎士であろうとも、人数において不利であった。
彼らは殆ど、一人で五人を相手にしなければならず、突然に四方向から挟み込まれた上に、
馬車を囲んで護るというその限定された地場が、さらなる不利となっていた。
しかし、それでも、彼らはハイロウリーンの騎士であった。
戦う為に生まれたと呼ばれるその気高き血汐は、猛攻を受ければ、猛攻で返し、片腕片脚を
失おうとも、眦を決して、一歩たりともひるみはしないのだった。
白と金の装束をひらめかせて自らを盾に、彼らは馬車を死守し、鉄壁の防御を保った。
それを誰よりもよく知るクローバ・コスモスは、無駄で無粋な説得など一切挟まず、
降伏も求めず、彼は彼の真剣で向き合い、彼らに応えた。
人数において勝る多勢に急襲されたとて、ハイロウリーンはそれに負けるものではない。
襲撃側の指揮がクローバ一人にあると分かると、にわか仕立ての武装集団であることを見抜き、
たちまちのうちに、互角に持ち込んだ。
 「構わん、討ち取れ、クローバ・コスモスを討ち取れ!」
 「ビナスティ!」
クローバの咆哮に応え、眼にも鮮やかなる女騎士が、味方に送り出されながら
包囲網の切れ目を突破し、馬車に近づいた。
あと一歩のところで、それは若騎士に阻まれた。
ビナスティの胸先をぎりぎり過ぎて、飛来した剣は、馬車の壁に突き立った。
剣を槍のように投擲して女騎士の進路を妨いだ若騎士は、手近な負傷兵の手から
新たな剣をもぎ取った。
乱戦のうちに若騎士も創を負ったものか、その腕から血が流れ落ちていた。
ビナスティは若騎士と、馬車の御者を務めていた平騎士に囲まれた。
 「姫に無礼はさせぬぞ、女騎士」
 「御身、ハイロウリーンの騎士ではないのでは」
 「それがどうした。馬車から離れろ」
その若者は、オーガススィの騎士ガードであった。
クローバの従騎士、元ジュシュベンダのいらくさ隊女騎士ビナスティ・コートクレールは
さあっと美しい金髪を振り向けて、剣を構え、青光りするそれを、騎士ガードに向けた。
 「いざ!」
 「覚悟」
ビナスティ目掛けて、前後から騎士が襲い掛かった。
ところで、以前シュディリス・フラワンはビナスティを一瞥し、「そんなに強くない」と評し、また
ビナスティ自身も、竜神の血の恩恵は少しだけだと、自嘲気味にエステラに語ったことがあるが、
確かに彼女は位騎士にも届かなかったものの、その代わり、身のこなしは俊敏であった。
逆手に持った剣を後ろに突き出して平騎士を突き、馬車の壁から引き抜いた剣で
ガードの剣を受け止める。
交差した剣の真下、女騎士の額にはしる深創が、真白き剣光を受けて浮き立った。
ぎりぎりっと、女騎士と若騎士は力競り合いを起こし、互いにその身を馬車の壁にどんとぶつけ、
構えなおし、烈しく斬りかかった。打ち合う刃の重みが鍔を痺らせ、ずしりと手首に落ちる。
ガードが剣の切っ先を繰り出し、ビナスティがそれを受け流す。
とてもその朱唇から放たれたとは思えぬ気合を放ち、受身転じて女騎士が攻めをかけた。
それは奇妙に、ゆっくりと見える動きであった。ふわっと女騎士の金髪が視界に回ると、
きぃんという音と共に、騎士ガードの剣が打ち飛ばされて、空に飛んだ。
 「ルルドピアス姫、お逃げ下さい!」
オーガススィの若騎士はなおも踏ん張り、鮮血のその身を馬車の扉に張りつけて叫んだ。
ビナスティは掴みかかろうとするガードを斬り伏せ、蹴り退けた。
 「姫を護れ」
殺到するハイロウリーン騎士たちを後に任せてかいくぐり、ビナスティは馬車の扉にとびついた。
女騎士は、それを大きく開いた。
 「ルルドピアス様」
木々の上に太陽は昇りきった。
返り血を浴び、息を切らしている女騎士の姿は、逆光となっていた。
ルルドピアス姫は、人形のように、きちんと座席に掛けたままだった。
眸を潤ませてビナスティは手を差し伸べた。
 「ルルドピアス様。ご無礼をいたします。姫さまを、コスモスへお連れいたします」
そこへ、最後の乱闘がそこにまでなだれ込んできた。
ハイロウリーン騎士の一撃をビナスティは馬車の扉を盾にして辛うじてかわしたものの、
そこで身動き取れなくなった。
倒れ伏していたガードが、執念でビナスティにとび掛り、その身を抑え込んだのである。
動けぬ女騎士の脳天目掛けて、白金の鎧が、こちらも重傷を負ってぐらぐらと揺れながら
血走った眼で屠りにかかる。
 「こっちだ」
振りかざされたその大剣を横合いから受け止めるものがいた。
割り込んできた男は、剣の先を合わせたとみるや、閃光一過、騎士の首を刎ね飛ばして捌き、
ビナスティを騎士の間から救い上げた。
 「クローバ様」
 「引き上げだ。馬を」
死屍累々を跨ぎ超え、クローバは中からルルドピアス姫を抱き下ろし、馬車を牽いていた
白雪の馬の一頭を捕まえて連れてくると、その鞍に乗せた。
 「待て」
足許では瀕死のオーガススィの若騎士が、ずるずると地べたを這い、まだルルドピアス姫を
取り戻そうともがき、あがいていた。ガードはクローバの脚を掴んだ。
 「待て。姫をどうする気だ」
忠義の若騎士の顔をクローバは見下ろした。ガードはクローバを真下から睨み上げた。
柱のように、クローバの剣の影が聳え立っていた。
 「国許のイクファイファ王子に顔向けが出来ない。殺すがいい」
その背後から、死骸を踏みつけて、剣を斧のように振りながら、生き残りの騎士が
クローバに襲い掛かった。振り向かずにクローバは避けた。
 「クローバ・コスモス!」
剣は、クローバの髪を掠めた。
それはこの隊の、隊長であった。
中天の月のように白く、雪山に昇る太陽のように鮮烈。
そう謳われるハイロウリーンの真白き隊服を、いまは真っ赤に染め上げて、顔半分から
血を流した初老の隊長は、クローバ・コスモスの姿をその剣の向こうに再び捉えた。
 「かつて三ツ星騎士家のひとつを治めた御身が、かような賊と化したか、クローバ殿」
 「豪胆にして高貴。さすがは騎士の中の騎士」
跳び退ったクローバは、手の中に剣を軽く持ちなおした。その顔は、どこか遣る瀬無かった。
 「その傷でまだ立てるとは」
 (俺が、高位騎士だと知りながら、この気迫)
 (この世に騎士ほど大愚なものはない。だからこそ、ユスキュダルの巫女、俺は貴女を信じる)
 (それしか信じるものがないという、その理由で、それだけを信じる)
 「姫をお返しあれ」
闘牛のように、二騎士は真正面からぶつかった。
放浪の騎士はその刃で風を裂き、騎士の胴を断った。鎖鎧を裂く音に続く、鈍重な手ごたえ。
疾風のように流した刃を、クローバはぴたりと止めた。
噴出した血の筋が、後方へと抜けていく。
二三歩よろめいて、どうっと騎士は倒れた。
最期の力を振り絞って立ち向かってきたハイロウリーンの騎士の絶命の重みを背中に
刻むかのように、クローバは眼をほそめた。


「続く]


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