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[ビスカリアの星]■八九.


ソラムダリヤが古塔から出てきたのは、真白い月がコスモス城の天守にかかる頃だった。
 「あれは、何だ」
塔の下で皇太子を待っていたタイラン・レイズンはソラムダリヤの不審に応えて
眼下に目を移した。野営中のハイロウリーンとジュシュベンダの明かりを遠く東西にして
その合間の浅瀬に囲まれた中州に小さな灯りが集まっていた。松明の影に翻る旗のかたち。
 「レイズンの旗だ」
 「ミケラン卿の私兵です」
皇太子の前に、タイランは頭をさげた。ソラムダリヤは眉を寄せて、石塀から
身を乗り出した。護送馬車の影がみてとれた。
 「コスモス城の警備は任せましたが、兵の増員は聞いていません。城の近くに
  寄せることをゆるしたのですか。こんな近くに」
 「あれに護送されたるは、巫女に付き従ってきた、ユスキュダルの騎士たちです」
 「では、罪人です」
タイランの言葉に、帝国皇太子は面をあらためた。
 「ユスキュダルは聖地。そこまでは帝国法の及ばぬところ。しかしひとたび
  野に下れば彼らはお尋ね者の罪人です。それをどうしてこのような処へ集めたのか。
  ミケラン卿はまだ起きているか。彼を呼べ。説明を求めます」
 「皇太子殿下」
タイランは穏やかに、松明で小道を照らし、皇太子を城の方へと誘導した。
 「もう夜も更けました。今宵のところは、おやすみになられますよう」
 「タイラン。あなたはあれをゆるすのですか」
ソラムダリヤは野営の灯りに手を向けた。広がる大地に、それぞれの旗を立て、
見張りの歩哨が時折動く他は夜に静かなその営みは、散り落ちた星を集めたかのようだった。
ハイロウリーン、ジュシュベンダ、双方ともに塔のような櫓を立てているために、夜眼には
まるでそこに町があるようにも見えた。
 「ミケランはコスモスにあれらの罪人を集めて何をしようというのか。
  皇帝の許可があってのことか」
ソラムダリヤはタイランに向き直った。
 「ミケラン卿が捕らえた彼らを一斉に処刑しようとしていることは知っています。
  フリジア内親王が皇帝に求めた助命嘆願についてはこの際除外しましょう。
  しかし正式な詮議もなしに死罪を与えようとは、野蛮極まりないことです。
  確かにミケランにはその命令を下す権限があります。それは皇帝からもゆるされている。
  だがこのわたしにも差し戻しを求める権限くらいはあります。第一、巫女がそのような勝手を
  おゆるしにはならぬでしょう」
そこまで云って、ソラムダリヤはふとあることに気がついた。
丘をひらき、土塁の上に築かれたのがはじまりと云われているコスモス城の周囲は、
街と城の間に広大な空間があり、草のそよぐ野となっている。
北方三国同盟を締結して以後ハイロウリーンとオーガススィの羽根の下に守られた小国は、
位置的にも軍事的要衝ではなかったために、何百年前と変わらぬ町並を誇るだけの
後進国として半端に取り残され、大陸最古の王国としての敬意と名誉のうちに恒久的な
平和をこれまでかこってきた。
隣国との小競り合いを含め間歇的な臨戦態勢を強いられてきた他の大国とは違い、
安穏と自国防衛にだけかまけていればよかったコスモスは、たまにハイロウリーンや
オーガススィから儀礼的な援軍要請を受けてかたちばかり出兵する他は、国境警備と
盗賊退治に日々かまけていればよく、コスモス軍といったところで、兵の半数は
農夫と兼業、それらのことからも分かるように、城の防衛とても、特に力が入ってはいない。
城の前面にがらんとあいた野。
東西から城を迂回して流れ込む川の支流は中洲を残して本流へと流れ込み、コスモス城下へと
そそがれるが、この川にしたところで子供が歩いて渡れるほどの浅瀬のせせらぎ。
もしもどこかの国が一気に城に迫ろうと思えば、何の障碍にも出くわさぬままに城壁に
旗をつくことが出来るというこの無防備さを憂慮したタイランが、着任早々、せめて川の向きを変え、
本流を城の前に通すようにして橋をかけ、橋をすべて跳ね橋にして、外敵の侵入に対して
一抹の備えを見せようと工人を集めて計画し、着工しかけていた矢先の、このコスモス事変である。
蒼い夜空の下、黒々と、野は沈黙していた。
城の東西に布陣したハイロウリーンとジュシュベンダがあっという間に立派な陣営を
築き上げてしまい、双方があちらに負けじとその陣構えをいや増して増強したために、
かえってその間の野原は、まるで両軍激突の戦場となるのを待っているかのように
広々とみえていた。
その中間地点に、夜をぬって忽然と現れたレイズンの部隊。
歩哨兵に二重に囲まれた黒塗りの護送馬車は月光を浴びながら中州の中央に固まって、
不気味に静まり返っていた。

ソラムダリヤは顔つきを変えて鋭くタイランを問い質した。
 「まさか、あの護送馬車の中は、すべてミケラン卿の兵ということはないでしょうね」
皇太子一行を警護するという名目で乗り込んできたミケラン軍と、あの新手が
呼応してコスモス城の内と外からこの城を乗っ取る。それも、ありえない話ではない。
 「馬車を連ねてやって来たのは、実ははぐれ騎士たちを装った、ミケランの
  精兵ではないのですか。その確認を、すぐに」
タイランは、ゆるやかに首をふった。
松明の影がその顔を常よりは老けさせていた。
 「もう夜も更けましたゆえ」
 「タイラン」
いつも温厚で落ちつきはらっているタイランの、感情をあらわにしないその顔と
眼下の野営の火を見比べ、ソラムダリヤは軽い眩暈を覚えた。
このタイランこそは、ミケランの実弟ではないか。分家の次男ながらコスモス領主として
この地に着任したのも、そもそもはミケラン卿の推挙があってこそではないか。
 (彼らは兄弟で何かをはかっているのではないのか。これは何もかも、最初から
  レイズン分家の仕組んだことではないのか)
しかしすぐにソラムダリヤはその疑いを胸の中で揉み潰した。
 (そんなはずはない)
ミケランは自分以外の人間を計画の中に入れることをよしとしない男である。
人を信用していないのではなく、自分を信じているために、その必要がないのだ。
それは常に不意打ちなのであり、たとえ実弟とはいえ、タイランと事前に密談を交わしたり
根回ししていたなどは、到底信じられぬことであった。
 「----わかりました」
ソラムダリヤは疑念をのみこむと、
 「明日、わたしからミケラン卿に直接訊ねてみます。今宵はご苦労でした。タイラン」
塔の外で待っていた従者を連れて、タイランの横を過ぎた。
 「恩赦を与えるべきだ」
自室に戻ったソラムダリヤは小さく云った。
 「ユスキュダルに逃亡したカルタラグンやタンジェリンの残党には、恩赦を与えるべきだ」
それほど扱いがやっかいなものはこの世にない。
野盗と化して村を襲うようなならず者たちの成れの果ては別としても、彼らの罪といえば
ジュピタ家から皇位を簒奪したカルタラグンと、それを補佐していたタンジェリンの騎士で
あったという一点のみであり、不名誉のうちに騎士籍を剥奪され、投獄または処刑される
ところを投降拒否し、逃亡したことにより、「お尋ね者」となったにすぎぬ。
しかもそれにしたところで、もう廿年の歳月が流れている。
 「彼らまとめて、巫女と共にユスキュダルへ還すべきだ。
  ふるさとに戻りたいという者がいれば、そうしてやってもよい。士官することは叶わぬし
  他国に仕えることももはや叶わぬだろうが、流浪の果てにむなしく極刑されるような
  非道だけは、この場合やはり見逃してはおけない」
 「ソラムダリヤ様」
 「皇帝陛下に手紙を書く。用意を」
ソラムダリヤの求めに、都から付き従ってきた従者は困惑を浮かべた。
月はとっくに中天を過ぎている。
 「お疲れでございましょう。もうお休みになって、明日の朝になされば」
 「お前はもう寝てもいいよ。手紙を書き終えたら、すぐにわたしも休むから」
書きもの道具を受け取ったソラムダリヤは、椅子を引き、机に向かった。

 -----ヴィスタル=ヒスイ党のことも、裏ではミケランが糸を引いていたと思いますか
 -----思います

巫女からその返答をきいた時の、やはりという合点と、虚脱。
あれほど派手にヴィスタル=ヒスイ党がミケラン卿の罷免を帝国中に煽動して
回っているのを、これまでミケランが放置していたのは、ミケランにとって
ヴィスタル=ヒスイ党などは所詮一過性の思想にかぶれた若者たちの烏合の衆であり、
三年も経てば、彼らの青春の光とともに影もかたちもなくなるだろうと見越してのことだと、
それまでソラムダリヤは考えていた。
彼らに何ができるのか。
まるで、ミケランはそう云っているかのようであった。
かつてのわたしのように、何もかもを賭けることをせぬ彼らに、罪なき臣民を、無辜の民草を、
大鉈でなぎ払い、帝国中から呪われる覚悟を決めたことのない彼らに、失敗した時には
大勢の血縁者を巻き込んで死罪をちょうだいすることが確定しているその恐れを乗り越えた
ことのない者どもに、一体何ができるというのか。
自らの手は汚さず、あのようにあちこちに噂を飛ばし、右から左へと流されるままの、
壮士気取りの口ばかりの若者たちに。

 「ミケランは、ヴィスタル=ヒスイ党を見逃していたのではなく、放置しながら
  思い通りの方向へと泳がせていたということですか」
 「わたくしは、そう思います」
 「それはいかなる結論へ向かうとお思いになられますか」
 「ミケラン卿の、望みどおりに」
 「ユスキュダルの巫女よ」

古塔の中の室は、そこだけが時の流れと切り離されて夜空に浮かび、天の河に係留されて
不安定に漂っているような気がソラムダリヤにはした。眩暈を覚えた。静かだった。
 「どうして貴女に」
ソラムダリヤは言葉を詰まらせたが、そのまま云った。
 「どうして貴女に、遠いユスキュダルの聖地におられた貴女に、それらのことが
  お見通しなのですか」
 「分かるのではなく、知るのでもありません」
かすかに笑んでいる巫女の顔は、若いままに時をとめて千年も老いているようでもあり、或いは
こうしてソラムダリヤと言葉を交わすために、つかのま、人の姿をとっただけの霊にも思われもし、
そしてそのどれもが、すぐ近くに座しているにも関わらず、はるか遠くに隔たっていた。
 「タイラン殿からも、多少なりと、諸事情をお聞きになられたとは思いますが」
 「ユスキュダルの巫女として、それを知るのです。それが答えです。ジュピタの皇子よ」
 「……わかりました」
あまり長い時をかけることは出来ぬことを思い出して、ソラムダリヤはそれ以上そのことで
悩むのを止めた。
巫女は彼が語りだすのを静かに待っていた。カリア・リラ・エスピトラル。
かつてその名をもつ小国の王女であった女人は、人のかたちをしたままに、もうとうの昔に
滅んで死んでいるのかもしれないと、そこにいるのは幽霊なのだと、ソラムダリヤには思われた。
兄と姉に手を引かれて森へと逃げた小さな王女は、そこで死んだのだ。
カルタラグン領へと怒涛の勢いで侵攻していくレイズン軍の手で国が燃やされた、流星のあの年に。
 
 「レイズンに捕らわれて分家の領地に送られた瀕死の貴女を見舞ったのは、
  そこで静養していた、少年の頃のタイラン・レイズンだったそうですね」
何という運命のふしぎな縁だろうか。
そういった過去の怨みも哀しみも、眼前の女人からは何ひとつ、うかがえはしなかった。
哀しみも悼みも喜びも、このひとにはもうないのだった。わずかばかりに、ほのかに透けて
みえるような、その命のともしびの他は。
 「----ウィスタの都の、皇居の中にいたわたしは」
ソラムダリヤは話し出した。
 「わたしなりにミケラン卿がもっているような隠密を用意して、情報を届けさせていました。
  そんな或る日のことです」
あれは、妹のフリジアが皇子宮に遊びに来ていた時のことだった。
苦労して手に入れたフラワン家きょうだいの肖像画をつらつらと見比べ、リリティスの
画に自分の画を並べてみたりしていたあの日のことが、もうずっと、昔のことのようだった。
 「隠密から思いがけないことをきかされたのは、その時でした。
  ミケラン卿がひそかに財産を整理し、彼の資金源として独占していた海の航路も港も
  売却に入っていると。それだけでなく、都の金融業も徐々に取引を縮小し、新規との
  契約を止めていると。----わたしはそれを、ミケランがまたしても、何か大それた
  大きなことをしようとしている前兆ではないかと思い、おののきました。しかし次第に
  こう考えるようになりました。彼は自らのその手で、人生を終える段階に入っているのでは
  なかろうかと」
そしてミケランは、ヴィスタル=ヒスイ党まで利用した。彼が、彼自身で選んだ、その最期を
見届けさせるために。
 「ユスキュダルの巫女」
もう去らねばならぬ時刻だった。
ソラムダリヤは巫女の翠の眸を見つめ、その神秘に祈った。どうかお力を。
 「わたしは師であるミケラン卿を死なせたくはないのです。どのような命でも、そのものなりに
  生きる権利があると教えてくれたのは彼でした。他人がそれに外から優劣をつけたり、歪めよう、
  たわめようとしてはならぬのだと、それほどに命というものは尊ぶべきものなのだと。
  誰よりもそうした理念を崇高に持ちつつ、一方では死刑執行の命令書に署名をしたり、
  一国を殲滅しなければならなかったミケランは、強靭な精神力の持ち主であるとともに
  やはり、どこかで自分自身を罰することを、常に念頭においていたと思います。
  彼は誠実さと、運命論をいつも片方に持っていて、そのために自分を見失ったり
  自身を過大評価することだけは絶対になかった。
  わたしは子供の頃から思っていたのです。ミケラン卿ほどにこの帝国を愛している
  人間はいないのではないか、時や人や、流れるこの世界を愛惜している彼の心こそは、
  実は何よりもの万物の肯定であり、抱擁であり、そしてこの世を愛するがゆえに、彼自身は
  いつかはその神秘の火山口にその身を投げて殉じるつもりではないのかと」
 「そうです」
ソラムダリヤは顔を上げた。
巫女は微笑み、かすかに首を傾けて、子供の頃に戻ったかのような激白をミケランという男の
ために惜しまなかったソラムダリヤをやわらかく、包むようなまなざしで見つめていた。
 「皇子。彼がそうしたいと願うなら----」
蝋燭の灯が銀河の星のようにまたたき、そして夜から夜へと消えていった。
 「わたくしはそれをとめない。わたくしは彼のために祈りましょう。彼が騎士の心で
  切実に願う、そのことのために」
巫女の姿が遠くなった。ソラムダリヤは誰と喋っていたのかも、もはや定かではなかった。
会見の終わりを告げるように、巫女カリアは眼を閉じた。
 
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異変は、翌朝、日の出と共におきた。
まだ暗い野に銀刃が振りかざされた。コスモスの野におりていたぶ厚い夜霧が
空にはらわれ、朝露に濡れた草が露珠をとばして冷たくそよぐその草むらに、重たく
転がり落ちた、騎士の首。
 「タイランさま!」
コスモス城の鐘がはげしく打ち鳴った。田舎らしく、コスモスは朝がはやい。
農作業に出ていた領民も、城の内部で立ち働いていた者たちも、何事かと飛び上がった。
それより早く、ジュシュベンダとハイロウリーン軍の双方から武装兵を引き連れた使者が
いそぎ立ち、馬を飛ばして夜明けの野を駈けていた。
使者たちは東西から中州に向かって呼びかけた。
 「野蛮は待たれよ、レイズンよ」
 「何をされおられる。その処断、しばし待て」
 「タイラン様は、タイラン様はいずれに」
 「領主さまは、このお時間ならば庭園に」
おろおろと右往左往していた城臣たちは、兵舎を飛び出してきたクローバの姿を見かけると、
飛びつくようにしてクローバを取り囲んだ。
 「クローバ様!」
 「どけ」
着替えもそこそこに、あるものを引っかけてきたというなりのクローバは、胸元の結び紐も
垂れたままに、剣を片手に握り締め、城の者を押しのけてずかずかと外へ通じる門へ向かった。
中州までは距離がある。彼は現行の城主さながらに呼ばわった。
 「馬を」
 「は」
城の巡回の為に鞍を乗せられていた黒馬がすぐにクローバの前に引き出されてきた。
クローバの姿が鞍の上になったと思ったら、黒馬はクローバを乗せて黒風のごとく
門の外に走り出ていた。
ハイロウリーンとジュシュベンダの使者は互いの姿を視野に入れつつ、適度な
距離を保ち、騎士の処刑を行っているレイズン兵に呼びかけた。
 「ハイロウリーンの使者である。待たれよ、レイズン」
 「ジュシュベンダの使者である。それ以上は、おとどまりあれ」
その言葉を待たずして、白刃が朝日にひらめき、次の騎士の首が刎ね落とされた。
 「なんということだ」
無視されたハイロウリーンとジュシュベンダの使者はこの凶行に怒って、叫びを上げた。
 「その処罰、ミケラン・レイズン卿が許可を与えたるものか。コスモス領内においての
  斬首の執行は、コスモス領主であるタイラン・レイズン殿の許可を得たるものであるか」
 「彼らの罪状をあかされよ。ミケラン卿の説明を望む。我らはそれを求める、レイズンよ」
首切り人の前に次の騎士が馬車から降ろされて連れてこられた。
捕らわれの騎士は後ろ手に縛られていたが、長い間投獄されていたことを感じさせぬ
ほどにその足取りはしっかりとして、怖れてはいなかった。
騎士はやつれたその顔を朝日にかがやく氷柱のようなコスモス城の古塔へと向け、
そこにおわす巫女に別れの挨拶を送った。
 「巫女よ。お健やかに」
 「くそ。させるか」
弓を、と急ぎハイロウリーンの使者は兵に命じた。
 「次なる蛮行は、何としてもくい止めよ。弓兵、首切り人の足許を狙って矢を射込め」
そこへ、城から駈けてきた黒馬がそれに加わった。
ジュシュベンダの使者とぶつかるようにして、黒馬は水を蹴散らして浅瀬を渡り、まっしぐらに
中州に駈けこんできた。
 「クローバ・コスモスです」
 「なに」
クローバは剣を片手に馬からとび降りた。朝の大気に馬のはく白い息が流れた。
 「高位騎士クローバだ」
 「邪魔をする。騎士クローバだ」
 「何用か」
レイズンの兵はじろりとクローバを見返した。そこには、コスモス領主の地位を失った
男への侮蔑も込められていた。下位の人間にありがちなように、処刑人はクローバを
落ちぶれた人間として遠慮なくここは見下すと決めており、その口許にはミケラン卿の
威勢をかりた、強気の軽蔑まであった。
それを重々承知でクローバは兵を無視した。彼は朝露の合間に落ちた騎士の首を数え、
そしてその視線をまた戻した。
クローバの双眸は静かな怒りを湛え、清浄な朝の空に雷が走るかと思われるほどであった。
冷ややかな声でクローバは死体を指した。
 「これら騎士たちの罪状をおうかがいしたい」
 「世を騒がせたる盗賊および、カルタラグンの残党である」
レイズン兵は傲岸に顎をそらした。
 「処分はミケラン・レイズン様のご指示である。これで十分であろう。立ち去られよ。尻尾をまいて」
 「待たれよ」
中州に渡ってきたハイロウリーンとジュシュベンダの使者がクローバに代わって抗議をあげた。
帝国の二大聖騎士家の使者の登場に、兵はやや態度をあらためたが、口上は同じだった。
 「馬車の中にいるのは帝国のお尋ね者。帝国の治安維持をあずかる
  ミケラン卿より命じられたことを、我らは遂行しております。干渉不要」
 「ユスキュダルの巫女があの塔におられることを承知の上でか」
 「わざわざコスモスに搬送した上でか。領主タイラン・レイズン殿の許可はありや。
  まずはそれを確認いたしたい」
申し合わせたかのように、二大大国の使者たちは自軍の方を振り返り、無言の圧力のうちに
レイズン兵に武力が控えていることを示した。
クローバも東西の両陣営を横目で見比べた。その手は腰の剣に伸びていた。
 「ミケラン卿の説明を求めたい」
朝霧が、風に晴れた。



異変の報告を朝食前にきいたパトロベリ・テラは、従騎士に食事の盆を持たせて
陣の前面に建てられた物見櫓の真下に立ち、食事を続けながら野を眺めた。
 「どうだい」
 「処刑は止まった模様」
 「よし」
 「パトロベリ様が即座に執行中断を求める使者を陣から出されたお蔭です」
騎士の運命に気を揉みながらも、キエフがパトロベリを褒めた。
 「当初は軍規違反による身内の処罰を行っているのかと思いましたが、残念ながら違ったようで。
  それにしても、巫女さまの御前で何という野蛮行為を。こうなってみるとミケラン卿と
  コスモス領主は、やはり裏で手を組んでいたとしか」
 「手を組んでいて、それで、うちの城の前で処刑を行ってもいいですよとタイランが
  誘致でもしたってのかい」
パトロベリは果物をかじった。その横では、将シャルス・バクティタが青筋を立てて
朝の野を睨みつけていた。シャルスは実に昔かたぎの、頭の固い男であったので、
時と場合によればお尋ね者の騎士に対して誰よりも厳しく極刑を求めるものの、こうしていざ
騎士たちが命虚しく野原で首を刎ねられているのを目の当たりにすると、今度はふつふつと
義侠心が沸いてくるものか、何としても許してはおけぬこととばかりに、その強面に憤激を
隠さなかった。
 「何という非道」
わなわなとシャルスは身をふるわせた。
彼の正義感は実に贔屓感情に左右され、眼についたものに対して気分のままに
沸騰する単純なものであった。それだけに混じり気もなく、シャルスは本気で激怒していた。
 「まるで雑草を刈るがごとく。あれでは騎士らの名誉がすくわれますまい」
鼻息荒く、シャルスは旺盛な食欲をみせている若いパトロベリに詰め寄った。
 「パトロベリ王子。これは即刻城に滞在中のミケラン卿へ対面を求め、事実を
  明らかにするべきでありますぞ」
 「うん。ああ」
生返事をしておいてパトロベリは陽の差してきた野を見つめ、そこに固まっている
護送馬車の影を遠く眺めた。
シャルスが苛ついてせっついた。
 「王子。こうしている間にもまたしても騎士の首が落ちましたら、それは王子の責任ですぞ。
  その時には王子のご処断の遅延について、国許の大君にもありのままに報告いたしまするぞ」
 「戦闘準備」
 「何ですと?」
キエフが聞き返した。パトロベリは朝食を終えて、麺麭くずを口許から払い落とした。
 「使者を後方援護する」
 「戦闘準備……?」
 「それ以上勝手な真似をしたら殴り込みをかけるぞと、脅すだけさ」
 「動きあり、パトロベリ王子!」
物見の塔の上から、見張りの兵が声を上げた。
 「ハイロウリーン陣に動きあり。完全武装の騎兵を前面に出しております」
 「さすがだねえ、神速ハイロウリーン」
賞賛をこめてパトロベリは口笛を吹いた。パトロベリは将シャルスの腕を叩いて促した。
見張りの兵が告げたとおり、地平の彼方に、整然と一列に浮かび上がってきたものがあった。
それは白と金の重厚な鎧であり、朝日に輝き、一糸乱れぬ横列となって、軍旗を立てていた。
 「あちらさんにこれ以上の遅れをとるのは癪だろ、シャルス」
 「第三種戦闘準備!」
 「戦闘準備、配置につけ!」
シャルスとキエフの大声がジュシュベンダ陣に響き渡った。
 「ジュシュベンダ軍、騎馬兵を用意しております!」
 「遅い」
陣に構えたフィブラン・ベンダは呟いた。
 「しかし許容範囲ではあるか。何といっても先手を取られてはこのハイロウリーンの
  名折れであるからな。パトロベリ王子がいかほどのものであるかも、これで知れよう。
  エクテマス」
 「はい」
そばに控えていた六男をフィブランは呼びつけた。朝風が前面を大きく開いた天幕を
揺らして過ぎた。
 「対面したお前の云うところの、『取るに足りぬ男』とやらだが、帝国中に勇名を轟かせた
  祖父の子らしく、こちらと対抗してレイズンを武力で抑えにかかるつもりらしい」
 「はい」
 「父の云いたいことが分かるかな、エクテマス」
 「はい」
無口な息子をフィブランは一瞥した。エクテマスは重い口をひらいた。
 「イルタル・アルバレスならば、ここは兵を用意せぬところです。わが軍を前にして、
  レイズンへも余計な挑発や刺激は避けたことでしょう。
  パトロベリ王子が戦闘準備を決断したその時が、わが軍が立つよりも早かったか
  遅かったかは分かりませんが、ハイロウリーンとジュシュベンダが衝突する愚を
  知る者ならば、その可能性を第一におそれ、ここは勇むよりも自陣に篭ることこそ英断でした」
 「まあ無理だな」
フィブランは椅子の腕に片肘をつき、脚を組み替えた。
 「わが軍の出動を前にして平静でいられるようならば、それは騎士国ではない。
  大君イルタルならば、お前のような先読みも抑制も出来ようが。さて、慎重にして大胆な
  イルタルの教訓が、パトロベリ王子にはどれほど伝わっているものか」
 「報告!」
 「通せ」
 「申し上げます。中州にて処刑はひとまず止まり、現場にはコスモス前領主クローバ・
  コスモスが駈け付けて、レイズンへ制止をかけております」
 「それは頼もしい」
フィブランの顔は固いままだった。
幕僚たちは顔を見合わせた。たとえ高位騎士であろうと、現在のクローバは無所属。もしも
クローバがレイズン兵を斬るようなことでもしたら、帝国法に背いたとして、その場で彼も
処刑対象になりかねぬ。
 「これは、クローバ殿も無謀なことを」
 「皇帝陛下より全権を与えられいるミケラン卿に刃向かったことにならねばよいが」
エクテマスは黙って立っていた。フィブランは厳しい横顔でエクテマスに命じた。
 「エクテマス。分かるな」
 「はい」
 「行け」
エクテマスは一礼して天幕を出て行った。
側近が怪訝そうにフィブランに訊ねた。エクテマス王子は、どちらへ。
フィブランはずらりと白金の騎馬を立てた野を見つめ、それには応えなかった。

朝の陽が照りつけはじめた野は、明るかった。吹きすぎる風に、草波が音を立てていた。
ブラカン・オニキスの天幕から出てきたルビリアは、騎士装束を完全に身につけ終えていた。
水色に晴れた早朝の空には、朝の月が夜の吐息を固めたように、まだ白く残っていた。
風に髪をなびかせて、ルビリアは口笛を吹いた。鋭く澄んだ音に応え、ルビリアの馬が来た。
 「ルビリア」
天幕から、オニキスが出てきた。
 「ご心配なく」
ルビリアは何か云いたげなオニキスに笑顔を見せて、引き止めるその手には応えず、
軽く地を蹴ると馬上の人となり、鞍の上から愛人を見つめ返した。
 「フィブラン様からは、後方詰めを命じられております。様子を見に行くだけです」
 「でしゃばった真似はするな」
 「このルビリア、命は粗末にはいたしません」
それは、『その時』がくるまでか。
オニキスはそう問い返したくルビリアを見上げたが、朝の空を背にしたまばゆいほどの
女騎士の姿に重ねる言葉を失った。いまにも飛び立ちそうなほどに軽やかで、そして朝が
くるたびにこの女が見せる、過去現在の愛人たちとはすっきりと決別したかのような、
すがすがしい、いつもの顔をしていた。
夜の名残も、これから始まる一日も、この女にはもうないようだった。
ルビリアは馬首を回した。
 「オニキス様はこちらでご待機を」
 「軽挙をするなよ、ルビリア」
 「本当にご心配なく。あれにあるのは、カルタラグンの騎士らであると聞き……あまりにも
  懐かしく、レイズンがどのような仕置きをするつもりであれ、彼らを見届けてやりたく
  思うだけです」
 「観るだけにするように」
 「もちろんでございます」
ハイロウリーン軍の鎧装束をまとったタンジェリンの騎士は、翡翠皇子の異母兄に
微笑みを向けた。白と金よりも、赤と銀のタンジェリンの色をまとえば、さぞや映えように、
その色すらも奪われて生きてきた女だった。
 「ルビリア、よいか」
オニキスはルビリアの轡を取り、ルビリアに語りかける言葉を探した。
 「そなたは、わたしと、カルタラグンを再興させるのだ。そう約束したな」
 「はい」ルビリアは頷いた。
 「フィブラン様も新生カルタラグン家の誕生を後援して下さることでしょう」
 「それこそが、弔いと復讐というものだ。そうなれば地に隠れて暮らすカルタラグンの
  者どもも、ようやくにして安らぎの新天地が得られるのだ。分かるな」
 「はい」
 「ガーネット・ルビリア・カルタラグン。王妃よ」
オニキスは手綱を握るルビリアの手を取り、そこに接吻をした。そこへ馬に乗ったルビリアの
従騎士がやって来た。
 「聖騎士家オーガススィもサザンカも、また、フェララもナナセラも近くにいるのです。
  この鐘の音に、彼らもこれ幸いと城の近くに寄せてくることでしょう」
 「ルビリア」
 「では」
ルビリアは軽くオニキスに会釈すると、後は振り返らず、エクテマスと共に前線へと消えていった。


コスモス城では、昨夜が遅かったということもあって鐘の音で眠りから目覚めたばかりの
ソラムダリヤが、侍従から報告を受けるなり、洗面もそこそこに顔色を失っていた。
 「タイランを呼べ。ミケラン卿でもいい。二人をこれに。すぐに」
侍従が慌てて着せかける室内着を寝巻きの上から羽織ったソラムダリヤは廊下を突進し、
 「ソラムダリヤ様」
途中で行き会ったリリティスの姿すら見向きもせずに、野を見晴らす彫像に囲まれた
天蓋のない広い露台へと走り出て行った。
 「何をしているのだ、あれは」
清流の横断する白い朝霧の向こうに事態をみてとったソラムダリヤは大声で叫んだ。
 「あれをすぐに止めさせよ。タイランを呼べ。ミケランを呼べ」
 「ソラムダリヤ様」
彼のあとを追ってきたリリティスは、風に髪も乱れるままに、ソラムダリヤの横に並んで
眼下の野に眼を凝らした。リリティスは小さく悲鳴を上げた。狭い場所にひしめいている
兵たちの、その足許に折り重なって転がっているもの。
 「なんてこと!」
 「リリティス。部屋へ戻って」
 「いいえ、いいえ」
リリティスはソラムダリヤの強い声にも場所を動かず、露台の手すりを握り締めて身を乗り出した。
 「ソラム。あれは、まさかカルタラグンの残党騎士でしょうか」
 「そのようです。レイズン領の砦に捕らわれていた者たちだろう」
 「許せない」
リリティスにとってカルタラグンとは、兄シュディリスに直結する、象徴的な名であった。
そして自らも同じ国境沿いの砦に収監されていたことのあるリリティスにとっては、
言葉も交わしたこともなく、名もしらねど、独房の向こうにその気配を常に聴いていた
他人とは思えぬ罪人たちでもあった。
 「リリティス、何処へ行くつもりです」
身を翻すリリティスの腕を、ソラムダリヤが掴んで引き止めた。
 「お放しを。ソラムダリヤ様」
リリティスの薄灰色の眸はクローバのそれにも負けぬほどの竜の怒りに燃えていた。
 「クローバ様もあそこにおられる。私も加勢いたします」
 「莫迦なことを。行かせない」
 「お放し下さい」
 「リリティス。落ち着くように」
リリティスとソラムダリヤはもみ合いになった。
 ------姉さん
鐘の音。奇妙な既視感。
あれはトレスピアノの橋の上だった。止め立てしようとするユスタスを、倒してしまった。
 ------姉さん、待って
なめてかかっていた姉からまさかの不意打ちをくらい、この肩に凭れかかり、それから
信じられないといった顔をしてずり落ちていった弟のユスタス。遠い昔のことに思えた。
重罪に問われるだろうか。不敬罪に。同じことをして皇族皇太子に手を上げるなど。
ましてや、騎士ではないこのひとを。
 「ソラム」
 「リリティス。待ちなさい」
 「ソラム。ごめんなさい」
片腕をとられていては不利だ。しかしやる他ない。ユスタスの時は剣の柄だったが、
今回は拳でいくしかない。リリティスは半身をひいた。リリティスの一撃は、寸でのところで
ソラムダリヤの平手でくい止められ、落とすように流されていた。リリティスとソラムダリヤは
唇が触れそうな距離から睨み合った。おし殺していた息をリリティスは吐いた。
 「見切られるとは」
 「前にも云ったはずだよ。わたしは騎士の能力にはほど遠いが、護身術だけは
  子供の頃からみっちり仕込まれたと」
 「ソラムダリヤ」
 「皇太子に殴りかかるなど、誰かに見られていたらどうするつもりです」
ソラムダリヤは自身が襲われた怒りよりも、リリティスの身を案じて怒っており、リリティスの
腕と手首をもの凄い力で掴んだまま放そうとはしなかった。ソラムダリヤはリリティスを
引きずるようにして露台から引き離した。皇太子への遠慮と、女への遠慮、その双方が
彼らの力を拮抗させ、ミケランの別邸の庭で初めて逢った時にそうしたように、二人は争った。
 「ソラム」
 「誰か。こちらのリリティス・フラワン嬢を自室へ。わたしが迎えに行くまで
  一歩も室から外に出すな」
 「ソラムダリヤ。お願い」
 「タイランはどうしたのです。ミケランは。報告はまだか。誰か、両名の様子を届けるよう」
 「それが、タイラン様が見つからないとのことで」
 「分かった。それならよい。わたしが領主に代わり直接指示を出す。下で起こっていることを
  すぐに中断し、責任者を寄越すように。早馬を出してわたしの命令だと忘れずに伝えるのだ」
 「ソラムダリヤ様」
そこへ駆け込んできたのは、エステラだった。かろうじて着替えたといった格好のエステラは
もみ合っているソラムダリヤとリリティスの様子も眼中にないまでに動揺して、動転し、
髪を振り乱したまま蒼くなっていた。
 「どうしたのです、エステラ」
暴れるリリティスを抑えたまま、ソラムダリヤは声を荒げた。
 「見てのとおり、わたしは忙しいのです。どうしたのです」
 「ミケラン様が。ミケラン様が……」
 「ミケランがどうしました。隣りの室ではなかったのですか」
 「お姿が見えないのです。タイラン様も。お二人とも、お城の何処を探しても!」
 「城内にいない?」
ふと、ソラムダリヤとエステラ、それにリリティスの三人は揃ってその首を空の一点に
向けて巡らせた。古色蒼然と蔦に護られている古い塔。
 「まさか」
駐屯軍の点在するコスモス丘陵の津々浦々に変事を伝える鐘が、また鳴った。


「続く]


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