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[ビスカリアの星]■九十.


塔の中の石段は、ながい年月に角が削れていた。
内側から見上げる灰色の石積みは、規則的に螺旋を描き、天にまで
そのまま続くかと思われた。
ミケランは手を口許近くにまであげた。手甲には真新しい血がついていた。
コスモス城は長閑なものだ。城の中にあっては安全と見なしてか、塔の近辺には
僅かな歩哨しか立てていない。
 「ミケラン卿!?」
兵の叫びは途中で途切れた。ようやくこちらが誰かを認めた者も、口を開けたまま、
そこで地に倒された。
 ----ミケラン・レイズンに裏切られました
いいえ、いっこうに。
ミケランは剣を持ち直した。
ちょうど内と外の兵が交代する時で、塔の門の鍵はかかってはいなかった。
石段に足をかけ、急ぐでもなく、ゆっくりとミケランは塔の階段を昇りだした。
朝霧が晴れ、歩哨がいないことに誰かが気がつくまで、まだ間がある。
人々は中州で行われている騎士の処刑に気をとられ、コスモス全土に鳴り響くこの
鐘の音がしばらくの時をかせいでくれる。月はまだ空にある。
薄暗い塔の中には、朝焼けの色と風が流れ込み、淡い光が万華鏡のように壁面に揺れていた。
若かったあの日も、そうだった。
こうして一段ずつわたしは昇った。ミケランは壁に手をついた。カルタラグンを倒し、ジュピタ家の
御世を取り戻すために。
皇帝の座にも、ジュピタ皇家の正統さにも関心がなかった。ひたすらにそこに或るものを
この手で取り除き、新しい創造の世界を切り開くために。
傲慢にして、あれほどの純粋はなかった。その気持なくば、何ひとつ果たせなかった。
外敵から領地をまもる為の森を伐採し、この手で空をひらいたあの日の開放感と
同等のものを探し続け、求め続け、そして余生が始まった。
空を見上げても、その星は見えなかった。今日という日、こうして近くに感じるまでは。
あれは憧れという名の貴い星。
ミケランは剣を軽く振り、兵を屠った時の血を落とした。
その星を目指してのぼり続けた。美しい未来都市の夢、派閥や生家問わず能力のある者が
取り立てられる世の構築、金融および物流の掌握と、海の彼方に沈んだ古代大陸の発掘、
このままでは四散してしまうであろうその遺物の収集と復元。
何もかもこの手でやりたく、またやれることだった。
その為に独善にも、独裁者とも、殺戮者ともなった。迷うものではなく、それは必然だった。
せめてその目的を崇高なものであろうとしたことをもって、自分自身を赦し、励まし、甘やかした。
そう悪い生涯ではなかった。このミケラン・レイズンは、忘れたことはなかった。
昇ってゆく先にいつも仰いでいた。尊き蒼き、ビスカリアの星を。
 ----殺してやる、ミケラン・レイズン!
少女の姿と思ったものは、四角く切り開いて鉄格子をはめ込んだ窓に飛び立つ鳥の影だった。
それを見送り、ミケランは懐古の笑みを浮かべた。ふたたびコスモス城の鐘が鳴った。
石塔の中にもその連打は世界の唱和のように響き渡った。
津波により滅び去った古代文明の遺跡から発掘された、翼ある古代人の像。
 「あのお嬢さまが剣稽古の際に、振り回していた燭台で羽根を折ってしまったのです」
その像を前に、何を想うのか、涙を流していたリリティス。
 (いつ見ても、ぎりぎり精一杯といった娘さんで、ほうってはおけない気持だったが)
君が戦うところを見てみたかったね。リリティス・フラワン。純血の蒼い星にもっとも
近いところにいる純粋培養の星の騎士。
崖下の探し物を見つめながら、行こうかどうしようか、自分にその資格があるのかどうかと、
迷わなくてもよいことに迷っている君よりも、迷わず崖に落ちることを選んだタンジェリンの
姫の方が、まるで抱き合って転落した気がするほどにわたしの魂にはまだ近いが、それを
おいても君の初々しい懊悩は、いつも優しい、小さな新鮮だったよ。
上層に向かうにつれ、塔の内部は次第に窓からの朝日を受けて白んできた。
壁には、階段を昇るミケランの影があった。たくさんのひと影が、その後に続いた。
塔に棲むそれらはゆらゆらと無言のままに連なって、ミケランの背中を追いかけた。
ミケランは亡霊の幻には構わなかった。
古代王国の霊なのか、それとも自身がその剣で屠ってきた者たちの怨霊なのか、
中州で首を落とされたばかりの騎士たちが恨みごとを告げにきたのか、そのいずれであろうと
彼には気になることではなかった。
かすかに下界から聴こえてくる騒ぎも、塔を包む鐘の音の余韻も、もはや彼には遠いことだった。
上階から、ミケランに話しかける、露を落とすような控えめな男の声がした。
 「ハイロウリーンは騎馬を出しました。ジュシュベンダの若い王子がそれに呼応して
  戦闘準備を整えています」
ミケランは歩みをとめなかった。
 「ハイロウリーンの白と金。ジュシュベンダの紫と金銀の旗がひるがえっています。
  あれを見れば、駐屯している各騎士団もこぞってコスモス城目掛けて押し寄せて
  くるでしょう。これがお望みだったのですか、ミケラン卿」
乱打されていた鐘の音がやんだ。  
 「貴方の目的が分からない。そして分かるような気がします」
 「分かるからそこにいるのだ。盾になろうとは、立派な心がけ。たとえ無駄に命を
  散らすものであったとしても」
ミケランはその者が手にしている剣を一瞥した。剣は鞘から抜かれていた。
 「タイラン。どきなさい」
扉の前に立ちふさがっているのは、タイラン・レイズンだった。
塔の踊り場は狭く、立ち回りが出来るほどの空間はなかった。ミケランは諭すように弟に云った。
 「タイラン。弟のお前をこの手で殺すことをわたしは何度も脳裡で想像したものだ」
それは廿年前のことだった。
 「楽しい想像ではなかった反面、それはわたしの決意を固めることだった。
  ジュピタ家のゾウゲネス皇子を担ぎ上げ、カルタラグン王朝を倒すと決めたその日より
  わたしは何度も自分自身に訊いた。巻き込むことになる母と弟を、アリアケを、いざとなれば
  この手で殺せるだろうかと。答えはすぐに出た。殺せる。これからもどのようなことだって
  わたしはやってみせるだろう」
 「大事を起こす者は、よく、そうした覚悟を固めるものかと。わたしには兄上の
  思い遣りときこえるばかりです」
 「特に弟がお前のような、よい弟ときてはね。時として悪人よりもやっかいな。
  計画に抱き込むことも出来ず、下手をすれば兄に大罪をおかさせまいとして
  カルタラグンに密告しかねなかった。お前の存在は悩みの種だったのだよ。
  もっとも当時のお前は療養の為に領地に篭もっていたので、辛くもそうならずに
  済んだがね」
ミケランは弟が手にしている剣に視線を移した。
 「そして遅ればせながら、兄を止めに来たというわけだ」
兄を前に、タイランは重たい剣を持ち構えた。
彼は生まれつき片足が悪かったが、無理をさせまいとする母を制してミケランが剣術教師を
弟の為につけたので、ひととおりの技巧は若い時分に習得していた。
高位騎士相手では万に一つも勝ち目はない。
それを見越してタイランは足場の限られた狭い塔の中に勝負を持ち込んだようであった。
ミケランは最後の階段を上がった。明りに浮かび上がる兄の顔は、タイランが見たこともないほどに
真剣で、そして怖ろしいまでの気を放っていた。
血刀をさげ、ミケランは静かに云った。
 「ユスキュダルの巫女のご尊顔を拝し奉りたい」
 「お断りします」
タイランは扉の前から動かなかった。
 「コスモス領主およびコスモス城主として、ユスキュダルの巫女に近づくことを拒否します。
  今ならまだ誰にも気づかれることはない。お戻りあれ、ミケラン卿」
 「タイラン。残念だ」
 「兄上」
雨のような銀色の軌跡が一筋だけ流れた。
身をもって兄を止めようとしたタイランは、斬られた身をぐらりと傾け、石段を踏み外して
数段転がり落ちた。タイランの手はミケランの袖を掴んだ。ミケランは身を引いてそれを
引き剥がし、弟の肩を蹴った。タイランの剣が音を立てて踊り場に落ちた。
 「兵よ」
階下に倒れたタイランは塔の下に向かって叫んだ。その声は、あまりにも小さかった。
 「ミケラン卿を捕縛せよ。兵よ、塔に上がれ」
 「わたしを止めるつもりならば、せめてクローバでも塔の前に立たせておけばよかったのだ」
苦しそうな弟の呻き声に、クローバは振り返らなかった。
 「本家の若者を城に引き入れたお前に対して、兄弟の情をかけるほど、この兄は甘くはない」
冷徹な政治家の声が上から降ってきた。扉を開く音が聴こえた。
そして血刀を引っさげたミケランの姿は巫女のいる室の中へと姿を消した。
  

 はるか彼方から、荘厳な鐘の音がしていた。朝焼けの雲をふるわせ、大地の
隅々にまで鳴り渡っていた。
憶えのある音だった。あれは、トレスピアノだ。
シュディリス兄さんを追うというリリティス姉さんを、橋の上で引きとめようとした。
莫迦だなぁ、姉さん。
見たら分かるだろ、僕はもう姉さんの背をとっくに超えているんだよ。
……なんでそんな、傷ついた顔をしてるのさ。
姉さんを甘くみて油断していたことは認めるよ。それなのに、こっちを倒しておいて、
何でそんな哀しい顔をしてるのさ。
橋の上でユスタスはもがいた。遠ざかる姉には手が届かなかった。
 「リリティス姉さん、待って」
苦しい眠りからユスタスはようやく目覚めた。
隣りではグラナンがもう起きて、窓から外を見ていた。鐘の音は夢ではなく、まだ
鳴り止んではいなかった。
何ごとも略式を好むユスタスの希望もあって、グラナンとユスタスは農家の屋根裏部屋に
泊まっていたが、ビナスティとグラナンが協力して奮闘し、屋根裏にあった
がらくたを片付け、掃除し、整えたために、屋根裏といっても宿の部屋と変わりなく、
寝台を入れる代わりに乾いた藁を敷き詰めた寝床も、こざっぱりと居心地がよかった。
グラナンと並んで毛布にくるまって寝ていたユスタスは、髪についた藁くずを払い、
そっと身を起こした。
 「グラナン」
朝の暗がりをぬって、ビナスティが梯子の下から屋根裏に向かって小声で呼びかけていた。
グラナンは応えた。
 「起きてます。ビナスティ」
 「この邑を警護しているコスモス兵より通達。オーガススィ軍が近くに迫っているとのこと。
  旗印はオーガススィ遠征軍イクファイファ王子。コスモス城に向かう本隊と分かれ、
  こちらに向かっているそうです」
 「遅いほどです。交渉と、交渉決裂の際には武力行使のために軍を率いて来たのでしょう。
  クローバ様ご不在の間に、クローバ様に誘拐された妹姫を迎えに来たのです。
  ルルドピアス姫はハイロウリーン本国に送られる途中で奪われたかっこうとなっています。
  オーガススィ側の外交的な駈け引きとしては、ここはハイロウリーンに全責任を
  とらせたいところでしょうが、そんな外交交渉の余裕も、もはやなさそうな。
  それでついにイクファイファ王子がしびれを切らして、直談判で妹御を受け取りに
  来たということです」
 「グラナン。いかがする」
 「ビナスティ」
ユスタスが口を出した。
 「ジュシュベンダ軍に籍のあるグラナンにそんなことを相談するのは酷だよ。
  ルルドピアス姫は、どうしたいのかな」
着替えを片手に、ユスタスは身軽に梯子を降りていった。
 「おはようございます、ユスタス様。お起ししてしまい申し訳ありませんわ」
 「あの鐘の音でもう起きてたよ。おはよう。僕としてはルルドピアス姫の意思を尊重して
  あげたいんだけど」
 「それはつまり」
ビナスティと、続いて梯子を降りてきたグラナン・バラスはユスタスを見つめた。
グラナンは着替え終わっていた。ユスタスは上衣の結び紐を締めた。
 「ルルド姫は起きてるかな。急ぐように云って」
 「急ぐ?」
 「まさか、ユスタス様」
 「連れていくよ」
床につま先を打ち付けて、ユスタスはきちんと靴をはき、手ぐしで髪を整えた。
思い出してユスタスは屋根裏に戻り、剣を取ってきた。
 「ルルド姫のお兄さん、どうせもうちょっと朝になるまでお行儀よく邑の外で
  待ってるんじゃないかな。だったら今しかない。今のうちだ。
  ルルドピアスは私をコスモス城へ連れてゆけと僕にそう云った。
  僕を見るなり、フラワン家の星の騎士と、僕のことをそう呼んでね」
 「姫さまを。コスモス城へ」
 「イクファイファ王子の分隊がこちらに来てくれたとは、天恵だね」
ユスタスは剣帯を肩からかけた。
 「ルルドピアス姫を追いかけるオーガススィ軍は、諸国の眼には、まるで姫の護衛隊に
  見えるんじゃないかな。うまく利用すれば、誰にも邪魔をされず、コスモス城の近くまで
  行けそうだよ」
 「ですが、今から馬車を仕立てるとなると」
 「馬にのれます」
三人が振り返った廊下の奥に、お小姓姿に身なりをきちんと整えた、ルルドピアスが立っていた。
よく自分一人で寝巻きを着替えられたねえと云い掛けて、ユスタスは慌てて言葉を喉の奥に
呑み込んだ。髪を結い上げたルルドピアスは、男装しても大人びて可愛らしく、北方の夜明けの
空に浮かぶ小さな星のようだった。
 「私は馬に乗れます。イクファイファお兄さまから乗馬を教えてもらいました。
  早駈けも出来ます」
そう告げるルルドピアスは、ふしぎな、威厳のある態度で三人の年長者を前にしていた。
その眸は夢みるように清んで、それはまるでこちらが亡者で、生者であるルルドピアスが
別の世界からこちらの世界と人々を眺めているような、ルルドピアスの見ている夢を現と
変えたかのような、そんな具合だった。
しばらくして、少女は唇をひらいた。
 「----時が移ります。いそぎましょう」
それを合図にユスタスたちは放心から醒めて、大急ぎで出立の支度に取り掛かった。
 「君は引き返しなよ、グラナン」
 「せっかくのご配慮ですが、もともとわたしはジュシュベンダ陣と合流するつもりでした。
  指揮官パトロベリ王子のおわす本陣の近くに行くは当然のこと。お気遣いは無用です」
 「知らないよ、僕たちと一緒にいることで他国に寝返ったと見なされても」
 「皆さま、ご覧になって」
クローバに忠誠を誓うコスモス兵の護衛を引き連れた四頭の馬は、中心にルルドピアスを
囲んで寄り添い、低空を飛ぶ鳥の群れのようにして、コスモス丘陵を疾駆していた。
ルルドピアスをいつでも護れる位置をとり、金髪をひるがえして手綱を握っていた
ビナスティが、石橋の上からひらけた眺望に彼らの注意を向けた。
 「わあ……」
思わず、ユスタスの口から声が出た。
空と同じ面積だけひらけたコスモスの緑の野に、四方八方から旗を立てた
軍馬が鎧装束をきらめかせて輝く星のようにコスモス城を目指して流れ込んでいる。
 「緑に金、それに続く黄色と銀。モルジダン侯率いるフェララとナナセラです」
 「あちら側からは紫に赤金。あれはカウザンケント・デル・イオウ殿を将とする
  聖騎士家サザンカ。他、諸侯の軍が続々と」
 「変事を告げた暁の鐘に合わせ、各国軍、コスモス城に向かっています」
 「後方、灰色に銀旗」
 「オーガススィ軍!」
 「ついて来てるね。よし」
ユスタスは馬を出した。ルルド姫の兄王子イクファイファが追いかけてきた。狙い通りだ。
グラナンがユスタスを追った。
 「ユスタス様、なにを」
 「決まってる」
ああ、気分がいい。他人の旗で大威張りが出来るのだから。
ユスタスは再度後ろを見、イクファイファ王子率いるオーガススィ軍の旗を視界に
認めると、先触れのためにぐんと馬をとばした。
 「そこのけ。これなるは、コスモスと北方三国同盟を結びたるオーガススィのルルドピアス姫」
ユスタスは丘陵の隅々にまで届けとばかりにユスタスは大声を張った。
慌ててどことも知れぬ小国の騎士団が行軍を停止し、道を空けていく。
空と地平の境を目掛け、鞍から腰を上げて馬を走らせながら、ユスタスは上機嫌で声を張り上げた。
こうすることにより迂回したり停滞せずに城までの最短距離を無事にとれるとあっては、この詭弁を
使わぬ手はない。後ろから迫るオーガススィの旗に、蜘蛛の子を散らすようにして全軍が
左右に道を開いてゆくのが痛快だった。剣を真横にくり出して、立ち乗りでユスタスは駈けた。
 「いそぎ道を譲られたし、われらは聖騎士オーガススィ軍である!」


コスモスの野に陽がさした。
草地を針のような細かな銀色に染める朝日は、雲影をぬって、眼を刺すような
眩しい明暗を野に落とした。
光は吹雪のように、緑の野を風と共に流れた。ハイロウリーンの騎馬隊は浅瀬の川を
境として、中洲のレイズンを威圧するように整然と対峙しており、長弓隊をいつでも
前面に出せるように背後に控えさせていた。
子供でも歩いて渡れる川である。
柴束を投げ込んで橋を架ける手間も不要だった。
中州を越えた反対側に眼を凝らせば、ジュシュベンダの紫と金銀の旗。
 「ルビリア」
ルビリアの馬と轡を並べていたエクテマスは、ルビリアの視線の先を追った。
女騎士は別のところを見上げていた。
風に髪をなぶらせている女の視線の先には、コスモス城の古塔があった。
塔は清浄な陽を浴びて氷柱のように白くほっそりと輝いていた。
 「ルビリア。なにか」
ルビリアはエクテマスに何も応えなかった。
塔から川へと眼を移して、ルビリアは漣を浮かべている朝の水面を見つめた。
両手を交差して軽く握った手綱を動かさず、馬を静かに御して、ルビリアは放心したかのように
流れる水を、その水面を、水底を、何処ともしれぬ遠いものを風に吹かれて見つめていた。
フィブランの指揮下に入ったルビリアには、この朝、指揮権はなく、高位騎士としてそこに
整列し、他の騎士たちと並んで左翼前列の隅に控えているだけだった。
指揮官はセルーイト伯。セルーイト伯は、先刻、向こうからルビリアに挨拶に出向いてきた。
馬を駆って来た伯は兜を外した。
 「騎士ルビリア」
 「セルーイト伯。隊列の末端を汚しております。フィブラン様に我侭を申し上げました」
 「いや……。勝手な真似さえ慎んでくれれば、高位騎士の参列は心強いばかりだ」
保身者にありがちな釘をさしておいて、セルーイト伯は世辞もつけた。
何といってもルビリアはフィブランが贔屓にしているのであるし、またイカロス王子とも
懇意である。それを気に食わぬこととしてルビリアに嫌がらせをする者もいれば、ルビリアに
取り入ろうとする者もいるというわけで、セルーイトはそのどちらの面も露骨に持っていた。
 「そこでは見物もしにくいのではないか。フィブラン様の中央幕舎からも遠い。
  もう少し内に寄られては。その方がそなたの動向を監視しやすくもあることだ」
そこでセルーイトは隣りにエクテマスが居ることに気がついて、口ごもると、咳払いをして
「では」と去って行った。
セルーイト伯とはほとんど口を利いたこともなかった。こちらへ悪感情を持つ一団の
端っこの方にいつもいる人間としか、ルビリアは認識していなかった。
ナラ伯ユーリとはまた違う、典型的な貴族騎士だ。
 「ルビリア」
ややあって、従騎士エクテマスはルビリアに呼びかけた。
彼から話しかけるのは滅多にないことだった。中州を見つめたまま彼は云った。
 「ハイロウリーンの成年王子には、それぞれに所領地が与えられる決まりです」
 「知ってるわ。貴方は一度も訪れていないようだけど」
ルビリアは応えた。
 「イカロス王子が拝領した地に連れて行ってもらったことがある。田舎だけど景色がよかった」
 「わたしの小領地は兄カンクァダムの領地と隣接しています。カンクァダムは何も云わぬでしょう」
 「オニキスから逃げて来いと?」
はじめて、ルビリアはかすかに笑った。
 「そこでの私は第六王子エクテマスの下女かしら」
 「はい」
 「私を貴方に仕えさせ、今までこき使われた腹いせをするつもり。王子さま」
 「はい」
 「男の子ね。思いつくことが」
軽口の後には、沈黙がながれた。
鞍の上で背筋を伸ばしている若騎士は、そのままの体勢で隣りにいる女騎士におもむろに云った。
 「ルビリア。わたしは貴女の従騎士となってから、今までいちども貴女に
  私的な願いごとをしたことがない」
ルビリアがようやく少しだけ関心をこちらに向けた。唐突に何を云うのかという顔だった。
真横にいるエクテマスはいつもの無表情だった。少年の頃に高位騎士の従者として選ばれ、
ルビリア附きになったあの日より幾年経ったか。手綱を握っているのは男の手であり、
その体格も、もう少年のものではなかった。
 「それで。エクテマス」
 「許されるならば、一つだけ、お願いがあります」
真横から男の腕が伸びてきたと思ったら、ルビリアは首を掴まれて引き寄せられていた。
女の首筋を男の手が探り、その指が何かを巻きつけて引っ張った。
小さな音を立てて何かが千切れた。ルビリアがいつも首からさげていた首飾りだった。
女の首から引き千切ったそれを、エクテマスは腕を振り上げ、川の中へと投げ捨てた。
翡翠皇子がルビリアに与えた首飾りは遠く離れた水中へと、音も波紋も残さずに
吸い込まれてこの世から消えた。
 「……」
ルビリアは声もなく、川の漣を見つめた。
新しい風がおこり、波が立った。首飾りが流れていった先も、もう定かではなかった。
エクテマスは淡々とした声で云った。
 「なければお困りでしたら川に入って探してきます」
 「……いいえ」
女騎士は面を上げた。エクテマスの期待したルビリアがそこにいた。
白いその首にはもう首飾りの鎖はなく、そして女はいつもの見慣れた、彼のルビリアだった。 
 「あれに何かの願をかけていたわけでもない。そんなにやわじゃないわ。お生憎さま」
 「それでこそ、ルビリアです」
着替えの際に、湯浴みの際に、彼は何度あの鎖に触れてきただろう。鎖をかけた
女の細い首を、鎖に邪魔されながら、幾夜夢の中に辿ってきただろう。
エクテマスとルビリアは何事もなかったかのように、互いに距離をとって馬鞍になおった。
主従の馬は背後の兵が何も気がつかなかったほどに、二頭ともその位置を動かなかった。


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何処へ行かれる。
陰々と寺院の天井に響いたその声に、シュディリスとロゼッタは玄室へと走りこんだ。
 「ロゼッタ。君から先に。はやく」
 「シュディリス様からお先に」
蓋を持ち上げ、抜道を前に互いに譲り合った若者たちは、間に合わぬとみて
すぐに諦め、柱の影から立ち上がった。
そこに現れたのは、マリリフトだった。それだけでなく、サンドライト・ナナセラも
その他カルタラグンの騎士たちも、ぞろりと揃って寺院の奥に入ってきた。
 「何をされておられます」
低い迫力をもったマリリフトの声音が若者たちを咎めた。
シュディリスは背にロゼッタを庇い、マリリフトの前に進み出た。その手には剣をさげていた。
 「見張っていたのですか」
 「麓の村に出たいのであれば、ご案内したものを」
 「麓の村に行きたいのではありません」
 「コスモス城」
 「そうです」
 「城に行かれて、それで。何をなさるおつもりか」
マリリフトの顔がぐっと迫力を増した。その隣りから、サンドライトも呼びかけた。
 「シュディリス様」
サンドライトは顔をひきゆがめ、シュディリスと床の抜道を順番に凝視していた。
黙って置いていかれたことが納得できぬようだった。それどころか、お前が何故
そこにいるのだといった眼つきで、サンドライトはシュディリスの後ろにいるロゼッタを
睨んでいた。
ロゼッタはそれに気がつき、サンドライトに言い訳した。
 「サンドライト殿。コスモス城にはレイズン兵が詰めております。
  そのため、シュディリス様はお尋ね者の騎士であるサンドライト殿はやはり
  連れては行けぬとのご判断を」
口上途中のロゼッタを腕で制して、シュディリスはマリリフトと向き合った。
穏やかな口調で、しかし眼光は鋭いままに、彼はカルタラグン騎士たちを睨みつけた。
 「レイズンの哨戒より、隠れ里に匿ってくれたことについては感謝します。
  しかし、わたしとロゼッタが峡谷を立ち去るのを止める権利はあなた方にはないはず」
 「レイズンこそは、我らをこの境遇に貶めた張本人。共通の敵なれば、お匿いしたことに
  ついての礼など不要」
 「ならば」
 「シュディリス様。コスモス城に行かれて、何をなさるおつもりですかな」
間髪を入れず、シュディリスは騎士たちに云い放った。
 「ユスキュダルの巫女の御許に」
薄暗い御堂を照らす天窓からの光が塵をひからせて氷の河のように床を流れていた。
 「望みはそれだけです」
 「ならば、お供いたしましょうぞ」
シュディリスを囲む不遇のカルタラグン騎士たちは声を合わせ、不意に何倍にも
大きくなったように見えた。
 「来て、どうするのです」
つめたくシュディリスは彼らを突き放した。
 「カルタラグンの残党をレイズンがいかに扱うかは、あなた方が身をもって知っているはず。
  そのレイズンが待ち構える城に行って、わざわざ捕まろうというのか」
 「もとよりカルタラグン家崩壊と共に失ったも同然の命です」
騎士たちは進み出た。
 「ハイロウリーンとジュシュベンダの両軍が城外を固めた城に、正面からの侵入は不可能。
  抜道を使えば、森を迂回することなく、城の地下室まで直線距離がとれます」
 「さらには現在、コスモス城の膝元に構えているハイロウリーン軍からは、隠れ里の
  我らに宛てた密書が届いております」
 「密書?」
 「ただしくは、国許のくろがね城で留守居の大役を勤めておられる、第二王子
  イカロス様よりの、個人的な嘆願書です」
第二王子イカロスといえば、先日のロゼッタの話にあった、ハイロウリーンにおける
ルビリアの恋人の一人である。
イカロス王子より竜の隠れ里に極秘のうちに届けられたその密書の内容は、コスモス事変の
行方と結末を問わず、ルビリアの救出と保護を求めるものであった。
 「……それは、最近のものですか」
 「いかにも。イカロス王子は、此度のコスモス事変において、その渦中に出陣された
  ルビリア姫の身柄をたいそう案じておられます」
 「イカロス王子は我らに、ルビリア姫および、オニキス・ブラカン様の保護を求められました。
  とはいえ、こちらは隠れ里に潜むお尋ね者の身。我らがそれを果たすにあたり、陣近くまで
  シュディリス様の護衛として接近かないましたら、これに勝る隠れ蓑はございません」
 「調子のよいことを。まことに案じているのであれば、もっとはやく、昔のうちに
  手を打ったはずではないか!」
激昂したのは、シュディリスではなくサンドライトであった。
彼はルビリア姫を翡翠皇子の妃、つまりはカルタラグン家の后としてすっかり位置づけており、
何の援助もないままにハイロウリーンに亡命し、一介の騎士として生きることを選ぶことで
助命され、底辺から騎士団の序列を自力で這い上がってきたルビリアのことを思うと、無条件に
ルビリアを助けられなかった己の不甲斐なさ、女への不憫に、眼の前がかすみ、はらわたが
煮えくりかえるのであった。
 「それを今更なんだ、イカロス王子がさほどにルビリア姫に未練たらたらだというのならば
  今すぐにくろがね城から馬を出し、ご自身のその手で自陣からルビリア姫を引き上げ
  させればよろしかろう!」
 「今日昨日のことでなく、イカロス王子は十数年前にも我らと連絡をつけ、当時から
  ルビリア姫のことを我らにお頼みであったのです」
騎士の一人がとりなした。
 「ハイロウリーンは聖騎士国。レイズン分家の成り上がりごときにタンジェリンの姫のお命は
  渡し申さぬ。が、万が一国内においてルビリア姫の身に危害が及ぶようなことあらば
  その時はわが命にかえてもコスモスへ逃がすので、竜の隠れ里に姫を匿って欲しいと」
 「だから、だったら何故もっと早くに!」
横合いから、冷えた声がかかった。
 「その女騎士がどうかしたのか。その女騎士の話など、今は関係ないのでは」
平然とそんな横槍を入れたのは、シュディリスであった。

 「シュディリス様……」
サンドライトは鼻白み、そしてシュディリスの冷えた蒼い眼とぶつかると、おおいに落胆した。
 (しかし無理もない。俺にとってはあの翡翠皇子とルビリア姫の御子であっても、
  シュディリス様にとってはその時代も、悲運に翻弄されたご両親の顔も知らぬのだから。
  この方は、トレスピアノで育った、フラワン家のご長子なのだ。この方にお仕えすると
  いうことは、この方にとっての大事を考えねばならぬということだ)
それはサンドライトにとっては、彼の中のカルタラグンのまことの終焉と消滅を意味した。
理解はしていても、胸にせり上がってくる寂しさと絶望は、サンドライトにはまだまだ
受け入れがたいものでもあった。
やはり彼は夢み、そして期待していたのだ。
シュディリス・フラワンがカルタラグンの残党たちの前で、夜の森の中でそうしてくれたように、
彼の真名を名乗ってくれることを。カルタラグンの再興の御旗として立ち上がり、騎士を率いて
レイズンと戦ってくれることを。
 (夢だ。これは落魄した騎士の見る、手前勝手な夢だ)
シュディリス皇子、とサンドライトは眼の前に立っている青年に胸の中で呼びかけた。
何事もなくば皇居でそう呼んで仕えるはずだった若者は、その眼を依然としてサンドライトに
据えて、何も云うな、と強く云っていた。
 (何も云うな。サンドライト。彼らをレイズンの前に連れて行ってどうなる。
  カルタラグンをこれ以上の悲劇に追い落とすな)
 ----せめて、シュディリス様が、御父上、御母上をご存知であったなら
生涯をかけて、その無念を晴らそうという気にもなったであろう。
サンドライトは認めねばならなかった。此処にいるこの若者は、あずかり知らぬ
過去のカルタラグンのことなど、どうでもよいのだと。
生まれ育ったフラワン家のことしか心配しておらぬのだと。
 (諦めねばならぬのか)
 (無念だ。諦めねばならぬのか)
それならそれでよい。
サンドライトは蹉跌が詰まったような重い胸の裡で、そこにいるカルタラグンの
落人たちを見廻した。
たとえナナセラ家に生を受けた身であっても、想いは彼らと同じであった。
せめて憎きレイズンに復讐の一太刀なりと浴びせてやることが叶うならば。翡翠皇子を
惨殺した卑怯者ミケラン・レイズンのその顔を拝むことが出来たなら。
 (地獄の底にまで連れて行ってやるものを)
そのミケラン・レイズンがコスモス城にいるという。
ミケラン成敗に立ち上がったカルタラグンの王妃が、艱難辛苦を乗り越えて、
彼らよりも先にその間近にいるという。
 「コスモス城へ。我らも」
石造りの御堂の中に、金属の打ち合う強い音が響き渡った。
カルタラグン騎士がいっせいに剣の先を床につけたのだ。
 「コスモス城へ」
ロゼッタはふと外の物音に耳を澄ました。空を渡って遠く遠く、峡谷まで。これは
城の鐘の音か。ロゼッタはシュディリスに囁いた。
 「シュディリス様。コスモス城で何かあったのです」
 「何も聴こえないが」
 「いえ。間違いありません」
女騎士の方が聴覚がいい。そしてロゼッタはいい加減なことは云わない。
シュディリスはロゼッタを信じることにした。
 「時間の無駄だ。マリリフト殿」
シュディリスは手の中で剣を回し、持ち構えた。
 「代理を立てても結構。わたしと勝負し、わたしが勝てば好きにさせてもらう」
 「ではこちらが勝てば、貴方の護衛として城まで案内つかまつるということで」
 「わかった」
 「お手合わせをしていただけるとは光栄至極」
マリリフトは剛の者だった。そして隠遁の間にも修練を怠らず、最盛期と比べても、
その技と筋肉を落としてはいなかった。
深々と一礼して、マリリフトは剣を抜いた。見守る騎士が場所を空けて後退し、祭壇の
周囲に大きな半円陣をつくった。
 「お待ちを」
色をなしてサンドライトとロゼッタの双方が割り入った。
 「シュディリス様、ここは私が」
ロゼッタはマリリフトに向けて赤剣を引き抜いた。
先をとられた格好となったサンドライトも黙ってはいなかった。
彼はロゼッタとシュディリスが急接近していることが気に入らなかったこともあり、ロゼッタに
対して厳しくあたった。
 「ロゼッタ嬢、控えていただこう。シュディリス様の従騎士はそなたではなかろう」
 「侮られますか」
 「無関係なサザンカの家司の分際で、少し出過ぎていると云っている」
 「ならば、サンドライト殿からお相手いたします。貴殿、カルタラグン騎士を代表し、
  マリリフド殿の代理として私と剣を交えるがよろしい」
ロゼッタは頬を紅潮させた。
 「イオウ家は加えられた侮辱をそのままにはしておきません」
 「怪我が完治しておらぬロゼッタ嬢が不利だ」
 「お二方、筋違いな喧嘩はよされたい」
外野の騎士が口々にとめた。
 「ロゼッタ」
抜き身の剣を後ろに出して、シュディリスはロゼッタを遠ざけた。
マリリフトを視界に捉えた彼は、顔の前に剣を立て、そして勝負開始の合図にさっと
降りおろした。
 「シュディリス様」
カルタラグンの騎士同士が闘うなどと。そんなサンドライトの胸中の叫びがまだ
終わらぬうちだった。
寺院の伽藍の下に剣と剣が打つかりあう烈しい音が起こった。


豪腕から繰り出されるマリリフトの一撃に、絡んだ剣が火花を発した。
シュディリスはマリリフトの一打を受けて大きく後ろにおされた。わざと膝を崩して
横に逃れたその隙を、マリリフトの剣が追う。
殴るように飛んできた刃をくぐってかわし、床を蹴って反対側に回り込んだシュディリスは
辛くもそれを止めたが、力負けしたものか体勢を崩してさらに数歩祭壇の方へと
押しやられた。繰り出された白刃をシュディリスがあやうく避けた時には、見物の
騎士たちの間にどよめきが起きた。
 「マリリフト様の勝ちだ」
 「いや。他の者ならもう勝負はついている」
はらはらしながら勝負を見ていたロゼッタは、傍らに立つサンドライトの様子に愕いた。
 「サンドライト殿……?」
サンドライトは滂沱していた。古代の寺院は静まりかえり、かわって、さわやかな緑が目を覆った。
涼しげな青年皇子の声がした。
 ----剣はつかえるよ。持たないけどね
庭のあずまやで優美に首を傾け、皇子はかがやく緑を眺めていた。
騎士国を治めるものは騎士であってはならぬと、皇子は笑った。
だからこそ君たちに護ってもらわないとね。
カルタラグンの王宮。翡翠皇子の隣りには、小さな姫がいた。
 ----わたしが剣をふるうような事態になったら、この代理王朝も終わる時だ。
   カルタラグンの血は強い。ルビリアに子が生まれたら、その子はきっと強騎士だね。
   見てみたいな。

祭壇に片手をついて身を起こしたシュディリスは眼をほそめた。マリリフトの剣が迫った。
騎士の莫迦力をシュディリスは両手持ちした剣で受け止め、マリリフトの剣をたわめて押し戻し、
腰からぶつかるようにして向こう側へと押し返した。ふと息を抜くような間があった。剣を外した両名は
合間を取ると、再びうちかかった。シュディリスの胸倉へとマリリフトが突進した。シュディリスの
姿が沈んだ。飛矢のごとく襲ってきた剣を剣で削ぐようにしてシュディリスの剣がすすっとその
真上を平行して走り、そして剣は猛然と向きを変えた。
 「シュディリス様」
ロゼッタは息を呑んだ。騎士の姿が交差し、金属が音を立てて重なった。
マリリフトの剣は空を切って吹っ飛んでおり、そしてシュディリスはマリリフトの背後に回りこんで
その剣をマリリフトの首の皮一枚のところで止めていた。
 「ロゼッタ!」
間髪を入れずマリリフトの首に腕を回し、シュディリスは叫んだ。
 「抜道へ先に」
 「はいっ」
はじかれたようにロゼッタが抜道へと走った。床の隠し蓋は半開きのままになっている。
シュディリスはマリリフトに剣をあてて人質としたまま、じりじりと抜道の方へと後退した。
 「待て」
いつの間にか抜道の前にいたサンドライトがロゼッタの進路を阻んだ。
 「どけっ」
ロゼッタはサンドライトに体当たりでぶつかっていったが、ここは体格のいい
サンドライトが勝り、小柄なロゼッタは重みで負けて床に転がされた。ロゼッタの黒目が燃えた。
 「サンドライト殿、そこを譲れ」
赤剣を手に立ち上がったロゼッタはサンドライトに斬りかかった。
 「シュディリス様」
はげしくロゼッタと剣を交えながら、サンドライトはまるで助けを求めるかのように
シュディリスを呼んだ。カルタラグン騎士たちもそれに唱和した。
 「我らもどうかコスモス城へお連れ下さい。シュディリス様」
サンドライトは油断していたわけでも、ロゼッタを甘くみていたのでもなかったが、思いのほか
ロゼッタの腕は立った。彼の顔に焦りが浮かんだ。
 「くそ」
 「邪魔だ、サンドライト」
エクテマスにやられたことでロゼッタは一回り騎士として成長しており、それは徹底していた。
ロゼッタは赤剣をサンドライトにはじかれたが、それはわざとであった。真上に上がった剣とは
別方向からびゅっと風が起こった。サンドライトは下顎をロゼッタにしたたかに蹴り上げられていた。
 「ぐわっ」
落ちてくる赤剣を片手におさめ、ロゼッタがサンドライトを飛び越した。その足首を
床に崩れたサンドライトが飛び掛って掴んだ。男の眼は怒りで血走っていた。
 「ふざけやがって。調子にのるな、小娘」
 「放せ。腕を斬り落とすぞ」
 「マリリフト殿」
マリリフトの首に刃をあて、騎士たちを牽制しながら、シュディリスはマリリフトに云った。
 「約束です。留まるように、彼らへの説得を」
焦っているのはシュディリスの方であった。
 「コスモス城に行ったとて、ミケラン卿に一打浴びせるなど夢のまた夢。
  ルビリア姫の救出も叶わず、一網打尽にされるがおちかと。お留まりあれ」
 「死ぬはずの命を不名誉のうちに生きながらえてきた辛さなど、お若い貴方さまには
  分からぬことでしょうな」
マリリフトは不敵に笑った。
 「それでも、貴方さまを見ていると亡くした昔の主を想い出しまする。もしもあの御方が
  生きておられたら、その為に全生涯を捧げ尽くしていつ果てようと悔いもなかったものを」
マリリフトの言葉を裏打ちするかのように、カルタラグン騎士全員の眼も涙で潤んでいた。
なんとあの御方に似ておられることか。貴方がもしも、カルタラグンの冠を戴くあの御方ならばと。
シュディリスは彼らの視線が自分の上に何を求めているのか知っていた。
彼らや、サンドライトが願うもの、そして此処にいる騎士たちの宿願も、その救済も。
大切に修繕し、足りぬものは手作りしてきた彼らの武具は、それを見ているだけで胸に迫って
くるほどに不揃いで、古ぼけていた。
 (ユスタス。リリティス)
フラワン家の人々とカルタラグンの名の重みを天秤にかけることなど出来ようもない。
シュディリスは苦しく彼らの名を胸の中で唱えた。
生涯向き合うはずもないと思っていたカルタラグンの人々と、こうして直面してみても、
まだ彼には分からなかった。
脳裡に焚き火の焔が揺れた。
どうしたらカルタラグンの人々を救えるのかと問い訊ねた彼に、そのひとは黙って
微笑むばかりで、何も云ってはくれなかった。
星空の下にいたひとりの巫女。
 「シュディリス様----」
 「帝国法によりフラワン家の者には私兵の所有が赦されてはいない。あなた方を
  伴うということは、フラワン家の名を傷つけ、累を及ぼすということです」
苦渋の決断だった。
 「それでも、もしも、わたしに附いてくるのなら」
途端に騎士たちの顔に生気と希望がともるのを、薄ら寒い想いでシュディリスは眺めた。
平生イルタル・アルバレスやハイロウリーンの大将が、どうやってこれら騎士の赤子のような
無条件の信頼と期待に応えているのか、その尊敬をどうやって高く保持し、維持しているのか、
まるで見当もつかなかった。
騎士たちはシュディリスに詰め寄った。
 「シュディリス様。抜道の出口は幾つかあります。城の内部へ直接出るには
  地下のコスモス三世の霊廟を通るのがいちばん見つかりにくい。
  その封印が最近壊されたため、まだ生乾きの漆喰を壊すのは容易かと」
 「ご案内いたします」
 「我らをお連れ下されば、必ずお役に立ちます」
 「シュディリス様」
 「サンドライト、ロゼッタ、二人とも離れろ」
睨み合っている二騎士に声をかけ、シュディリスはもう一度、カルタラグンの騎士たちに
向き直った。
一体自分は何者なのか。
出生を知ってよりずっと付きまとって離れない命題の答えは、ここにきてもやはり、「不明」だった。
分かっているのは、フラワン家の人々に迷惑はかけられないということだけだった。
シュディリスはマリリフトの首から剣をおろした。彼はうなだれ、そして顔を上げた。
 「附いて来るのなら、カルタラグン騎士であることを忘れて欲しい。
  そして問われても、フラワン家とカルタラグンの名は出さぬよう。それが条件です」
 「具足からカルタラグンの紋章を取れ」
騎士たちに命令するマリリフトの声が御堂に響いた。


「続く]


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