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[ビスカリアの星]■九五.


ハイロウリーン陣はにわかに忙しくなった。
 「しかし、思いもよらぬこと。ここにきて、ミケラン討伐とは」
 「ソラムダリヤ様の勅命である。仔細はどうあれ、煮えきらぬ
  状態が続いていたがこれで思う存分、暴れられるではないか」
侍従が主の具足を整えに駈け回る間をぬって、皇太子に召喚された
大将フィブランが城の見取り図片手にコスモス城から陣に戻ってきた。
 「フィブラン様。やはりミケランを討つことに」
馬から降りたフィブランは、幕舎の前で出迎えている面々を一瞥すると
無言で頷き、時を無駄にせず、主だった者を連れて幕舎の中に入っていった。
すぐに垂れ幕が下がった。
 「ミケラン・レイズン卿を討つ、だと」
ブラカン・オニキス・カルタラグン・ヴィスタビアは客分待遇の豪奢な
天幕の中で寝椅子から半身を起こした。
ハイロウリーンが何故その役に。
その問いの答えと意味は明白であった。
皇太子ソラムダリヤ自身が、師であるミケラン・レイズンを帝国の敵と見做し、
内外にそれをはっきりと打ち出したということだ。
 「して、ジュシュベンダ軍は」
 「ジュシュベンダは後方支援にまわり、ミケラン軍が立て篭もりたる西の砦の
  攻略に城内に入るのは、わが軍だけであります」
 「不公平だな。それでは、ジュシュベンダは不満を抱くだろう」
オニキスは天幕を開けて、レイズン分家兵とはぐれ騎士らを
押し込めた中州と、中洲を挟んで対峙しているジュシュベンダ軍を
厳しい眼で眺めやった。
静かな朝であったが、空一面に、重い運命が刷かれている気がオニキスにはした。
ハイロウリーンの将セルーイトおよび高位騎士ルビリア・タンジェリンは
昨日に引き続き中州の前に陣取っており、昨夜、彼らはその場で野営し、
歩哨を立てて夜を明かして、本陣には戻っては来なかった。
 「オニキス様」
 「これは揉めるな。フィブラン殿は許すまいが、わたしにも支度を」
前線を視界に入れながら、オニキスは侍従に武具の用意を命じた。
 「揉める。----大いに結構」
コスモス城の一棟に居を構えたジレオン・ヴィル・レイズンは
機嫌のよさを反映した機敏さで、配下の者たちに次々と威勢よく
朝の指示をとばした。彼はヴィスタの都に残してきたアヤメと年恰好の似た
隠密を引き寄せると、その耳に囁いた。
 「急げ。ハイロウリーンの動きは早い。ジュシュベンダを裏から焚きつけるのだ。
  連中の誇りをくすぐってやれ。騎士の莫迦どもをその気にさせよ」
それが終わると、ジレオンは大鏡を持ってこさせた。
襟もとを直し、鎧から曇りを払うと、威厳をつけるために髭を生やそうかどうか
迷ってる顎に手をあてて、ジレオンは窓から見える西の丸に若い顔を向けた。
彼は胸の裡で呟いた。
 「おじ上を排除した後、新生レイズン本家がヴィスタチヤの中枢に座るには、
  ハイロウリーンとジュシュベンダには是非とも不仲であってもらわねばならぬ。
  両軍が顔を突き合わせている今こそが、絶好のその機会。
  ナラ伯ユーリの死では足りなかった分を、ここで決定的に埋めさせてもらおう」
 「黙って指をくわえて見ていろと申すのか!」
案の定、といおうか。
ジレオンの思惑どおり、早速にジュシュベンダ軍からは、シャルス・バクティタの
怒声が上がっていた。
何かと比較されてきたハイロウリーンが栄えある先発隊に選ばれ、
ジュシュベンダがそれを指を咥えて後方から傍観しているなど、シャルスに
とっては、末代までの拭えぬ屈辱。
先祖代々語り継がれてきた仇敵のこの抜駆けをゆるすほど、名門出の
シャルスは甘くはなかった。
シャルスが拳を振りかざして指し示すとおり、作戦会議を終えた
ハイロウリーン軍は日頃の訓練からみるみるうちに隊を組み換え終わり、
コスモス旗を立てた案内に導かれて、続々とコスモス城へ向かう準備を
整えているところであった。
 「わが軍がハイロウリーンの後塵を拝するなど」
それでなくとも体面大事のシャルスは卒倒寸前になって青筋を立てた。
 「何たる国辱。国におわすイルタル様になんとお詫びをすればよいのかッ」
 「パトロベリ様、コスモス城発、皇太子ソラムダリヤ殿下より。勅旨です」
 「もらおう」
早馬がもたらした文書をざっと読み下したパトロベリ・テラは、それを
幕やの中に集まっているシャルスたちにも回して見せた。
 「なんと」
シャルス以下は絶句した。そして次に沸騰した。
 「ハイロウリーンにミケラン討伐を任せ、ジュシュベンダは城外で待機せよだと!」
 「違うだろ。ちゃんと読んだのかい」
椅子の腕に片肘をついたまま、パトロベリは諸氏に手を振った。
 「ちゃんとこちらにも重要な任務を与えて下さっているじゃあないか。
  中州に残留しているミケラン兵を引き続き監視して抑え、はぐれ騎士たちを
  保護せよとのお達しだ。使者殿には、皇太子殿下直々のご命令、
  確かに拝受いたしましたとお返事申し上げてくれ」
 「それでよろしいのですかな、パトロベリ様」
シャルスの憤りは噴火に近かった。此度ばかりは副官のキエフらも
不満と悔しさをあらわにしてパトロベリの周囲に殺到した。
 「ジュシュベンダ軍が控えに回されるとは、言語道断。
  聖騎士国騎士団を立てることでミケランの非を鳴らそうというのならば
  ジュシュベンダとハイロウリーン、双方にその任が回されるのが筋でしょう」
 「せめて連合軍にしていただかなくては、今後、ジュシュベンダの
  立つ瀬がありません。他国への体面も」
 「遠路はるばるこうして駆けつけ、城の前に軍馬を出揃えているのは
  こちらも同じ。ハイロウリーンばかりが晴れ舞台を享受するとはいかに」
 「これは後々の勢力図にも大きく関わることですぞ」
 「パトロベリ様!」
 「うるさいなァ」
わざと間延びした大声をあげ、しかし顔は思い切り嫌な顔をつくって、
パトロベリは詰め寄る一同を見返した。
飄々としてはいるが、彼とても祖父譲りの隠れたる技量を持つ騎士である。
戦場において控えを命じられることほどの屈辱はなく、内心はこれでも
雄と認められなかったようでおもしろくなかったし、皇太子ソラムダリヤが
ジュシュベンダではなくハイロウリーンを選んだこと、そのものが、無理もない
ことながらもこれが初陣となる彼への軽視と思われ、正直なところ情けない。
しかしそれを幕僚には押し隠して、パトロベリは断固たる口調で伝えた。
 「事は急ぐんだ。一度も手を組んだことのないハイロウリーンと今から合議して
  仲良く連携しようなんて、そりゃあ無理ってものだ。皇太子殿下はちゃんと
  お考えがあって、この配置を決められたんだろう。こうして下知も
  いただいたんだ、肝心なのは皇太子殿下に協力して巫女をお救い
  申し上げることであり、ジュシュベンダ家を盛り立てることじゃあない」
 「しかし」
 「ぐずぐず云って、この役目をフェララかどこかに取られてもいいのかい」
ぴしゃっとパトロベリは文句を抑えた。
本件が収束した時、華々しい名誉に包まれるのはハイロウリーンであって
ジュシュベンダではない。それが明らかである以上、彼らの悲憤慷慨は無理もない。
それがよく分かるだけに、パトロベリは毅然を崩さなかった。
 「ジュシュベンダ騎士であることは、なにも好戦や勇み足を意味しない」
パトロベリは剣帯を締めなおした。
 「君らがそんなんじゃ、ハイロウリーンが選ばれて当然だと誰もが思うことだろう」
 「おそれながら、王子」
シャルス・バクティタは真っ先に食い下がってきた。
老将は、その眼にはっきりと軽蔑を浮かべ、この腰抜けとばかりに
奥光する眼でパトロベリをぎっと睨んでいた。
 (戦場に一度も出たことのない、腑抜け王子ならではの云いぬけをみせよったわ。
  内心ではこの臆病王子、戦いへの出動を命じられずして、ほっとしておるのだろう)
両者の相克はすでに見慣れた光景ではあったが、シャルスもパトロベリも、
それを恥じてはいなかった。
 (君主様なら、そう、慎重に見えてそこらの騎士よりも即断即決かつ勇猛果敢な
  イルタル様ならば、ジュピタ皇家の皇子の顔色を窺わずとも、アルバレス家の
  名誉にかけて、とうに西の丸を攻め落とし、ミケラン卿の首級を挙げておられるわ)
 (なにかとハイロウリーンと比較されてきたジュシュベンダの底力を
  今こそ宿敵ハイロウリーンに知らしめ、諸国を瞠目させてやれる
  好機だというのに、この小心者の、莫迦王子め)
 「何か云ったかい、シャルス」
 「おそれながら」
泣く子も黙る威圧感をまとわせて、シャルスはパトロベリの前に立ち塞がった。
パトロベリもひんやりとシャルスを見つめ返した。
 「おそれながら、何だい、シャルス」
 「即座に皇太子殿下に抗議を申し入れ、ミケラン卿討伐には、ぜひとも
  ジュシュベンダ軍をあたらせていただきたいと願い出るべきです」
シャルスの背後には同意を示すように、ずらりと幕僚が居並んだ。
彼らはお家の問題児パトロベリの前を埋め尽くし、シャルス将軍の
肩をもってパトロベリにうんと云わせるべく、切羽詰った眼つきでそれを
促しはじめた。
 「ぜひに」
 「いそぎ、ぜひに王子」
 「パトロベリ王子」
 「それならお前たちで勝手にそうしたらいいじゃあないか」
パトロベリは常になく顎をそらして声を尖らせた。
 「非常時において最も団結しなければならないところへ、もうこれだ。
  殿下のご判断は正しいよ、そのことが頭で理解できずして、何が大局だ。
  個人的な武功を求めて巫女の御許に駈けつけたいのなら、止めはしないよ。
  ジュシュベンダ軍籍から抜けたい者は、僕の前に出るんだね。
  王族の権限でもって僕がこの場で除隊をゆるしてやる。さあ、そうすればいい」
黙りこくった面々を見廻して、パトロベリはシャルスに向き直った。
シャルス、とパトロベリは不仲な老将に呼びかけた。
 「そうだね。もし僕以外の者が指揮官であったなら、皇太子に抗議もいれ、
  かつ、あの西の砦に向かって突撃も命じたことだろうね。
  そして功を競うハイロウリーンと無駄な諍いを重ね、ミケランの思う壺と
  なって脚を引っ張り合い、双方に重大な禍根を残したことだろう」
 「……それこそ責任逃れの、保身の詭弁というものでは」
 「シャルス。何と云われようと僕はそんな火中の栗を拾う気にはなれない。
  何故ならば、事は僕にとっても君らにとっても、至高の存在である
  御方のお命がかかわっていることだから」
 「……」
 「慰めにもならないかも知れないけれど、ソラムダリヤ様は
  裏方をねぎらうことを知っておられる御方だ」
シャルスから視線をそらし、パトロベリは真正面を向いた。日蔭の王子の
顔貌には、偉大であった祖父もかくやと思わせる、ついぞ見たこともない
鋼の頑強な精神が、後光のごとくにやわらかに照り映えて浮かんでいた。
 「時の無駄だ。これ以上の異論は認めない。巫女をお救い申し上げるを第一とし、
  後方任務を完遂すること。ジュシュベンダ軍の潔さと有能を、徹底的に
  見せてやろうじゃあないか」
だがパトロベリの努力を裏切り、その時にはもう、ジレオンがしのばせた
工作員がジュシュベンダ内部で動き出していた。


再会した姉との語らいもそこそこに、久方ぶりにコスモス城の
一隅でその身分にふさわしい待遇を受け、一晩やわらかな寝床で
ぐっすりと疲れを休めて眠ったユスタスは、起床直後に
グラナン・バラスからもたらされたその報告に、寝台からはね起きた。
 「うそだろ」
 「ユスタス様、まずは朝浴とお着替えを」
 「風呂はいいよ。どうしてそんなことになったのさ。
  姉さんが西の丸に、なんで。ミケラン卿に、なんで」
 「申し訳ないことになりました。ユスタス・フラワン」
 「殿下」
着替えもそこそこに廊下に飛び出したユスタスは、ちょうどユスタスの許に
向かっていたソラムダリヤと歩廊の途中でぶつかった。
 「今、説明にあがりに」
 「どうぞ、どうぞ」
 「姉君リリティス嬢が、逆賊ミケラン・レイズンに捕らえられた模様です。
  しかしミケラン卿がわたしの知る彼であり、そしてまだ理性が残っているのなら、
  リリティス姫に危害は加えるまいと信じています」
 「彼女はフラワン家の女であり、僕の姉です」
ユスタスは、もぎ取るようにして追いかけてきたグラナンから剣を受け取った。
 「ユスタス。ジレオンとクローバに任せるよう」
 「大切な家族を傷つける者を、僕は許してはおきません」
断固たる調子でユスタスは早足にコスモス城の廊下を突っ切った。
 「ユスタス」
 「貴方のせいではありません、皇太子。誰か、僕を西の砦へ案内して下さい」
そのユスタスたちをさらに脅すようにして、城外から天地が音を立てて
割れるような、まがう事なき、戦闘の音が響いてきた。
ソラムダリヤとユスタスは窓に駆け寄った。
 「何事だ!」
 「殿下、申し上げます」
駆け込んできた伝令は膝をつくのもそこそこに、青褪めた面を上げた。
 「城門前にて、ハイロウリーン軍とジュシュベンダ軍が衝突。
  門の通過を競って、はね橋の上で戦闘を開始いたしました」
 「申し上げます」
間をおかず、次の報がもたらされた。
 「地下酒蔵より、城内に侵入者あり。騎士です。所属不明、数多数。
  西の砦に向かっております」
それを聞いたソラムダリヤは、顔を曇らせた。
 「酒蔵」
 「はい」
 「備えはしていたが、そこは想定外だった。抜け道でもあったのか。
  血気にはやった野武士たちが集まって、独力で巫女を助けようというのだろう」
 「指導者がおりますので、いずれかのまとまった郎党かと」
 「任せる。なるべくなら説得を尽くして、彼らを生け捕りに。----あ、ユスタス」
戦闘態勢に入った騎士は猟犬と同じ。
その換言を体現するかのように、ユスタスは走り去っていた。


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酒蔵に残されたミケランの愛人エステラは、騎士マリリフトに頼み込み、
レイズン騎士二人の屍骸をそのままにしておかぬようにと願った。
それを受けて、マリリフトは通路に斃れていたレイズン騎士の死体を
コスモス三世の霊室へと運び込んだ。
 「死者の眠りを妨げるなど……」
文句を云ってもいまさらで、彼らはその霊廟の壁を打ち壊してコスモス城の
敷地に乱入してきたのであるから、あの静謐にして厳粛な古代の墓と、
王に仕えた忠実な墓守の室も、あまり考えたくないながらも、踏み荒らされるままに
なっているのだろう。エステラは見てみる気もしなかったが、永い時を経て
死人の魂も花や植物と同じものになっているのだとしたら、時ならぬ騒動を
案外、コスモス三世も泉下で愉しんでいるかもしれない。
その間に、シュディリスの姿が消えた。
 「おそらく、サンドライト殿とロゼッタ嬢の後を追ったのでしょう」
マリリフトは動じることなく、酒蔵に落ち着いて構えていた。
 「あの方がもっとも巫女の身を案じておられましたから。
  サンドライト殿とロゼッタ嬢が一緒ならば心配はいりません。
  戻ってくることを信じて待ちましょう」

 (この人たちは、いったい、何処の誰なのだろう)

横目でそっとエステラは男たちを窺った。
正規の騎士団ではないことは、彼らのばらばらの格好や
風雨に耐え忍んできたようなこけた頬、飢えた眼つき、蓬髪からも知れるものの、
そんな彼らがどうしてフラワン家の御曹司に率いられてコスモス城の地下に
忽然と現れたのかが分からない。
 「お寒くはないですか。これを」
 「ありがとう存じます」
マリリフトが渡してくれた外套を膝にかけたエステラは、マリリフトの
言葉が訛り気のない帝国共通語であることに気がつき、ますます
この集団が謎に思われた。
まるで古代コスモス時代の亡霊のように霊廟から現れた男たちは、卑しからぬ
風情の中にも蓄積された疲弊を漂わせており、明らかに第一線とは長年
隔絶していた風体で、沈黙に沈んでいた。
シュディリスがエステラの保護を厳重に云い渡していたおかげで
エステラに無礼をはたらこうとする者はいなかったものの、
樽の上に腰をおろしたエステラは、周囲に無言でひしめく騎士たちが
普段見慣れているミケランの洗練された私兵と比べて、巫女救出の使命に
燃えていればいるほどに何をするか分からぬ野放図な群れにしか見えず、
膝を抱えて隅に縮こまった。
そこへ、
 「戦闘の音が。そして誰か、こちらへ来ます」
上の階で外を窺っていた者からの報告が落ちてきた。
酒蔵の中に緊迫と緊張がみなぎった。
城外で勃発した戦闘の混乱に乗じて歩哨の眼をかいくぐり、扉から
すべり込んで来たのは、偵察から無事に戻ってきたシュディリス達であった。
無事というには、少々、難があった。
三人とも森の枝葉に散々に引っかかれた上に、泥に汚れ、更には
殺気立っており、シュディリスに至っては、顔つきまでが思い詰めて怖ろしかった。
 「途中でやむなく何名か殺しました。すぐに此処も見つかります」
 「エステラ」
なまじ整った顔だけに、鬼気迫る、そんなシュディリスがつかつかと
歩み寄ってきたので、慌ててエステラは椅子代わりにしていた樽から降り、
身をかがめて出迎えた。
 「ご無事で」
 「来て下さい」
強張った手でがっしりと腕を掴まれた。
思わず悲鳴が洩れそうになるほど、シュディリスの様子は怖かった。
 「貴女はこう仰った。わたしをミケラン卿の許へ案内すると」
そんなこと云ったかしらと記憶を探る間もなく、エステラはぐいぐいと
腕を引かれ、騎士たちに囲まれながら、外に連れて行かれそうになった。
 「少し危ない目に遭わせることになりますが、誓って貴女を護ります。
  もう予断はゆるされない。急いで」
 「外は城の兵でいっぱいですわ」
エステラは泣き声を上げた。
 「日も昇りましたし、こんなに大勢の方を、無理です」
 「目下ハイロウリーンとジュシュベンダが小競り合いの最中です」
いつの間にか傍にきたサンドライトが、逃すまいとするかのように
エステラの片腕をとった。
 「城内は大混乱だ。今しかないのです」
壁に手をついて身を屈めた男の背中に立ち上がり、酒蔵の上部にうがたれた
小窓から外の様子を窺っていたロゼッタが、合図の片手を挙げた。
 「出るぞ」
カルタラグン騎士は頷き合うと、一丸となって酒蔵から飛び出した。
サンドライトとシュディリスに両腕を掴まれたエステラは生きた心地もしなかった。
 「さがって!」
低木の茂みが揺れた。不審者の潜入を認めて駆けつけてきた城兵の頭が見えた。
朝に似つかわしくない、禍々しいまでに赤く輝く光がエステラの視線を切った。
それが、ぱっと踏み出したロゼッタが赤剣で出会いがしらに兵を斬り伏せたのだと
エステラが頭で分かる頃には、エステラはシュディリスに抱えられるようにして、
他の騎士たちを置き去りに抜駆けし、西へと向かう廊下を走っていた。
 「大丈夫」
何がどう大丈夫なのかさっぱり分からないままに、シュディリスに
一声かけられたエステラは、抱かれるようにしてシュディリスの半身で
その身を庇われた。と思うや否や、青年は剣を抜き放ち、横手から出てきた
下級騎士をその場で斬っていた。
どさっとエステラの足許に死体が落ちた。生々しい血がだらりと流れ、
エステラの沓先をよごした。
 「いざとなれば貴女を利用し、人質にさせてもらいます」
シュディリスの両眼は冴え冴えと青く燃えていた。
 「妹の身柄との取引にも」
 「曲者。あそこだ」
反対側からどっと兵が寄せてきた。カルタラグン騎士たちがそちらへ
ぶつかって行った。乱闘の始まった後方を一瞥したシュディリスは
エステラを引き寄せ、惨劇にまだ唇をわななかせている女のその顔を見下ろした。
 「エステラ。ミケラン卿はきっと、貴女を見棄てない」
 「……」
 「わたしも」
シュディリスはエステラの頬に添えていた片手を落として、女の手をとった。
 「待って。お待ちになって」
震える手でエステラは、彼女を連れて行こうとするシュディリスの
剣を持つ側の手を押さえた。この先を曲がった柱廊には、分厚く敷かれた
レイズン兵が待ち構えているはずだ。
シュディリスは、ひとりでそこを突破しようというのだろうか。

 「----賊が侵入を?」
 「数はさほど多くありません。ミケランの伏兵でもありません。城内の警備兵で
  抑えることが可能かと」
 「ジュシュベンダが愚かにも暴走した、この忙しい時に」
澄ました顔でジレオンは愚痴を吐くと、手甲を布で緩慢に撫ぜながら、
対角にいるクローバを横眼でとらえた。
 「クローバ殿。いったいこの城には領内に入り口を持つ、秘密の
  地下道なぞという洒落たものがあったのですか」
 「そのようだ」クローバはジレオンを見ぬまま、短く応えた。
 「わたしは初耳です。ご存知なかったとは云わせません」
 「古い城だ」
黙々と地味に腹ごしらえをしているクローバは皿の並んだ食卓から
顔を上げず、無愛想に返した。
 「そういうこともある」
 「これだ。この方はこうだから。まったく、隙だらけに見えて隙がない」
くすくすと笑って、ジレオンはクローバの背後で給仕している
美しき女騎士に目配せを送った。
 「君に対してもいつもこうなのかな、ビナスティ」
それに対して、ビナスティは軽く眼礼をしたのみで返事をしなかった。
昨日、フラワン家の次男とオーガススィ家ルルドピアス姫の供をして現れた
ビナスティは、そのままクローバの側仕えとなっていた。
ビナスティにクローバは黙って盃を向け、ビナスティはそれに
水差しからの水をそそいだ。
 「従騎士とはそういうものとはいえ、あなた方はまるで長年連れ添った
  夫婦のようですね。ジュシュベンダで出逢ったとか。お似合いです」
ジレオンは揶揄の眼を向けた。
 「もっともクローバ殿には皇太子殿下の肝いりで、オーガススィ家の
  三の姫サンシリア姫との縁談が持ち上がっておりますから、
  今のはもちろん喩えの冗談です」
ビナスティは穏やかに眼を伏せたままだった。クローバもまた同様であった。
 「本件に決着がついたら、わたしもジュシュベンダの
  いらくさ隊に倣って、女騎士ばかりの隊をつくるとしましょうか」
自らの冗談に軽く笑うと、ジレオンはクローバを差し置いて、城内侵入者への
指示を小声でとばした。


貧乏くじ。
その不満は城外の警備を命じられたジュシュベンダ軍だけではなかった。
ハイロウリーンの将セルーイトは、中洲に固まったミケラン軍の見張りの
続行を昨日に引き続き命じられて、機嫌が悪かった。
 「城外のことはジュシュベンダ軍に一任するのではないのか」
しかしそうもいかぬことは彼にも分かる。
ジュシュベンダが城の外を固めるならば、ハイロウリーンは対角よりその
ジュシュベンダの動向を俯瞰的に監視する責を負う。
不干渉を貫き、相互に警戒し、用心する。
これが長年に渡り、帝国の双璧と並び称された両国の均衡を保ってきた
原則であり、鉄則であった。
それが分かってはいても、巫女の救出とミケラン卿の拿捕という、末代までの
語り草となること確実の一幕に加われぬとは、騎士の名折れ。
ここまで馳せ参じておいてと、コスモス城を眼前にしながら留守居役を
命じられたセルーイトの八つ当たりの矛先は、隊列の端にいる女騎士の上に
まともに向かい、彼は馬上から辺りに聞こえるように、こう云い放った。
 「ジュシュベンダへの牽制とは体面上の口実で、むしろフィブラン様は
  自軍に逸脱者が出ぬかと、ご心配されておられるのだろう」
聴こえているのかいないのか、女騎士ルビリアは昨日とまったく変わらぬ
端整な佇まいで馬を構え、清らかな水を湛えている小川の淵に、
影の薄い彫像のようにして立っていた。
従騎士エクテマスを隣においたその姿は、仮眠しかとっておらぬことを
示すように、何となく、生きたものには思われぬほどだった。
その間にも、続々とハイロウリーン軍はコスモス城内部へと導かれていった。
 「盟友がこれから歴史に残る戦を構えるという段において、こうして除外され、
  オニキス皇子、いや、オニキス侯のお守りまでせねばならぬとは」
 「セルーイト様、聴こえます」
 「己の弱さから発する愚痴だ。すまん」
そこはハイロウリーンの精鋭騎士である。
セルーイトはすぐに自制心を取り戻し、与えられた役割に徹する顔となると、
部隊に伝令を回して、その場の保持を命じた。
 「あれは?」
セルーイトは風に混じる騒ぎを耳にとらえ、顔を対岸に振り向けた。
 「セルーイト様。ジュシュベンダ軍中に乱れが」
 「陣構えが内側から大きく崩れているな」
 「大方こちらと同じく、なぜミケラン討伐に加われぬのだと、騎士の中から
  不満が噴出しているのでしょう。じきに収まるかと」
が、それは鎮静化しなかった。  
しばらく対岸の挙動を見守っていたハイロウリーン陣中は、声を上げて、
一斉に身を乗り出した。
 「あれを。ジュシュベンダ騎士の一部が、暴走を」
 「コスモス城を目指して、制止の味方を振り切り、城門に押し寄せています。
  口々にこう云っております。『巫女の救出は我らの力によって果たされるべきである』。
  こうも喧嘩を売っております。『邪魔だ、どけ、北の蛮族ハイロウリーン』と」
 「入城中のわが軍と衝突しました。いかん、剣を抜いたぞ」
 「どちらが先に抜いた」
面を強張らせて、セルーイトはどなった。
先に戦闘を仕掛けたのはどちらの側か、これは後々の詮議において重大な
焦点となるところであるから、その見極めをセルーイトは求めた。
もたらされた報に、セルーイトは口をぐっと下げ、吐き捨てた。
 「ジュシュベンダの莫迦者どもが」
 「どうやら自制心のない若い騎士ばかりですな」
 「パトロベリ王子は何をしているのでしょう。自軍も統率できぬとは」
 「なんであれ、城外のことはフィブラン様から我らに任されているのだ。
  ジュシュベンダの指揮官は初陣とか。ここはハイロウリーンが教えてやろう。
  騒動が広がる前に後続を断つぞ。コスモス城入城中のわが軍と
  ジュシュベンダの間をまずは騎馬隊で遮断せよ」
 「道を譲るな。争いは避けよ。こちらからは手を出すな」
旗が立てられ、ハイロウリーンの中洲別働隊の一部が動き出した。


水のにおいのする朝風に吹かれ、小川のせせらぎにじっと青い眼を
据えていたルビリア・タンジェリンは、剣戟の音に耳を立てた馬の手綱を
軽くとり、銀波の刻まれた水面から、静かにその顔を上げた。
女の前には、空とコスモスのなだらかな丘陵があった。そよぐ草の向こうには
此処からではまるで遠い昔のことのように見える、突発的な、小さな闘いがあった。
 「ジュシュベンダがわが軍を押しのけ、城内潜入を試みている模様」
 「待機、諸兄らはその場で引き続き待機せよ」
伝令の飛び交う中、耳を澄まし、濁りのない眼を開き、女はその赤い唇に
ハイロウリーンのくろがね城で聴いた吟遊詩人の歌を、氷を咬むようにして、
小さくのせた。
  ああ、私は、復讐の鬼となろう
  花園に咲いた深紅に生きよう
日没の金色に包まれたくろがね城の暗い廻廊に、野面に転がる
骨の音のように、いつまでも淋しく鳴り響いていた昔の歌だった。
 (この歌は不吉で好かない。ルビリアは聴かなくていい)
 (ええ、イカロス。私も同感)

  とこしえに、復讐のかげぼうしとなろう
  小鳥たちの声を夏草に追い
  赤い夢を、見続けよう

はね橋が降り、コスモス城の大門が罐の蓋のように四角い口を開けていた。
ルビリアの従騎士エクテマスは既にルビリアの馬と轡を並べていた。
エクテマス、悪いわね。
この師弟の間で幾度となく交わされてきた断りや、追従の確認は
もはや不要だった。きらきらと波打つ銀浪は、小川ではなく、前方の
狭き戦場に剣の波となって寄せ、殺伐とした陽炎のように揺れていた。
歌が絶えた。
そして彼らは親よりも、主よりも、恋人よりもふかく繋がれた仲だった。
 「剣を抜け、エクテマス!」
 「承知です、ルビリア」
主従の馬は矢のように隊列から同時に飛び出した。
 「しまった。ルビリア殿」
逸脱してゆくニ騎影に誰よりもいち早く気がついたセルーイト将軍が、
大声を放ち、いそぎ制止を求めた。
 「戻られよ。誰ぞ追いかけて、彼らを止めろ」
 「待たれよ、ルビリア殿、何処に行かれるおつもりか」
 「勝手はなりませぬぞ。命令に叛かれるか、ルビリア・タンジェリン!」

  私は、復讐の鬼となろう
  無実の花々が散らされた夜の、甘やかなあの踊り
  赤い夢を、見続けよう

 「パトロベリ様、ハイロウリーン陣からもニ騎馬が離脱しました」
 「どうやら命令無視の様子。女騎士だ」
 「あ。まずい」
眼をすがめて前に一歩踏み出したパトロベリを眺め遣ったシャルスは、
 「ルビリア・タンジェリン」
焦りを隠さぬ挙動で馬に跳び乗ったパトロベリがそう云ったのを、確かに聴いた。
 「パトロベリ様、あなた様が陣を抜け出すのは、これで二度目ですな」
シャルスは邪魔こそしないものの、イクファイファ王子に事情を聴くために
パトロベリが短時間姿を消していた昨日のことへの批難も含めた、
許容の欠片もない、ひややかな咎めの眼つきで馬上のパトロベリを
今度こそ厭味たらしく反抗的に睨み上げた。
 「この不手際。軍規の軽視。ぶざま極まりない統率力。規律無視。
  国に帰りましたら、わたしの口から、ありのままにイルタル大君に
  ご報告いたし、軍法会議にかけさせてもらいましょうぞ」
 「しなよ、好きにすりゃあいいよ。好きにね」
 「いや、しかしここは、パトロベリ様に彼らの回収と鎮圧に出ていただいたほうが」
副官のキエフは、大急ぎで重装騎兵隊を選抜してパトロベリにつけた。
 「あの騒ぎを抑え、暴走兵を引き返させるには、王子がお姿を見せるほうが
  ハイロウリーンに対しても有効です」
 「うちの兵なら、いいけどね」
 「はい?」
ぼそぼそと口の中で何か云っているパトロベリに耳を
近づけようとして、キエフは馬の前脚に蹴られそうになった。
 「ナラ伯ユーリが殺害された時のように、あれもどうせ、うちの軍に
  かねてより潜入潜伏していたレイズンの工作兵が焚き付け、
  煽ったことなんだろうさ」
 「何ですって」
 「シャルス。キエフ。後を頼んだ。皇太子殿下のご命令に従い、
  コスモス軍と協力の上、城外の治安を保て。秩序を保て。
  他国の軍をみだりに寄せ付けるな」
剣を引き寄せたパトロベリは、「僕に続け」と近衛騎士らに
一声かけると、陣から出た。
 (ルビリア姫、シュディリスのおっかさん。----何をする気だ)
知れたことだった。
それを知らぬ者など、帝国には皆無だった。
 「パトロベリ様、騎士たちが城内になだれ込んでいます」
 「うちの騎士はほっとけ。責任は僕が負う」
先頭に立ちパトロベリは馬を飛ばした。
 「フィブラン・ベンダが叩き出してくれるさ。それより、あの女騎士を追え。見失うな」
 「女騎士およびその従騎士。ハイロウリーンとわが兵の間に突っ込んで行きます」
悪い予感は全開で当たった。無茶をしてくれるな、という祈りも期待もパトロベリの
胸から消し飛んだ。
 「なんだ」
 「うわ」
誰が上げたか分からぬ驚愕の叫びは、次には血潮に沈み、混乱の中にある
ハイロウリーンとジュシュベンダは、もつれた糸を引きちぎるようなたった一人の
剣勢によって、暴風になぎ倒される木々のごとく一筋の赤い痕跡を残し、
次々と両側に倒された。
 「姿がもう見えません!」
 「女騎士、味方を斬り付けながら城内にとび込みました」
 「なんという……」
 「気でも狂ったか」
 「クローバ・コスモス!」
パトロベリは馬鞍の上に伸び上がり、城壁の向こうに呼びかけた。
彼は周囲の者が驚くような大音声を上げて、城の周囲を駈け回った。
こういう際に無意識にその名が飛び出してくることが、クローバという男への
男の信頼の証なのだろうが、そこまで考えている余裕は彼にはなかった。
 「クローバ・コスモス。城の中にルビリア・タンジェリンが入った。
  どうか、止めてくれ。あんたがルビリアを止めてくれ」
城壁に並んだジレオンの兵がこちらと城の中の一点を見比べて騒いでいた。
パトロベリは再度声を枯らして叫んだ。
シュディリスに義理立てするわけでもなければ、何かの約束が
あったわけでもない。そもそもルビリアとは知り合いでも何でもない。
だがそれは常に頭のどこかで忘れがたく思われていた、カルタラグン王朝の
幻の王妃、半ば伝説と化した、悲運の女騎士のことだった。
頼むクローバ、とパトロベリは濠に沿って馬を走らせた。
 「聴こえるか、高位騎士クローバ・コスモス。ルビリア・タンジェリンを止めてくれ」 
そんなパトロベリを嘲笑うかのように、金と白のハイロウリーンの装束が
ひらりと視界の端に引っかかった。あまりの素早さに静止画を入れ替えたように
思える動きで、その者はルビリアに追いすがる自軍の騎士を一刀のうちに
斬り伏せていた。
 「わあっ」
その者の手で、はね橋の綱が断ち切られた。轟音を上げて片側に
傾いた橋から、ハイロウリーンとジュシュベンダの兵士たちが戸板に
跳ね上げられるようにして一回転し、水に重なり落ちた。
若騎士は鮮やかに剣を返すと、閉ざされていく門の隙間に馬を入れ、
ルビリアの後を追って黒々とした鉄門の内に姿を消した。
先日パトロベリの前でジュシュベンダの軍旗を落としてみせた、
エクテマス王子だった。


「続く]


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