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[ビスカリアの星]■九九.


彼と彼女の願いは一つだった。
男は皇帝の友人として帝国の中枢に長く潜伏し、女は
北の大騎士団で炎の一念を氷で鍛えた。
彼らはそれぞれに願った。
どうか、生きてその日を迎えられますように。
運命の瀬渦は彼らの宿願を青い水面に浮かべたまま
夕陽の数と月の運行を数えて過ぎた。
どうか、迎えられますように。
その日を。


ブラカン・オニキス・カルタラグンは、ルビリアのことを案じて
力づくでも駆けつけようとしたところを、思いがけなくも
カルタラグンの残党と巡り合うこととなった。
 「オニキス皇子……!」
ようやくオニキスは古ぼけた鎧装束の男たちの中に
見覚えのある顔を見出し、これが夢ではないことを実感した。
 「マリリフト。マリリフトではないのか。他の者たちも」
 「オニキス様」
 「生きておられたとは」
感極まった号泣がオニキスを包んだ。
過去、自暴自棄のうちに怠惰な生活を亡命先のサザンカで送ってきた
オニキスにとっても、郎党との再会は、ひどく胸をつかれることであった。
 「カルタラグンの諸君よ」
オニキスは馬鞍の上から、カルタラグンの騎士らにふるえる声で呼びかけた。
 「ブラカン・オニキス・カルタラグンである」
 「オニキス様……!」
騎士たちは泣きに泣いた。
その痩せこけた姿こそは、オニキスが長年手を差し伸べたくても
その術がないままに、異母弟のヒスイの代わりにおめおめと
生き延びてきたことに対しての、負い目と罪悪感そのものだった。
苦心惨憺しながら露命を繋いできた不遇の騎士たちを見るうちに、
オニキスの両眼にも、涙がこみ上げてきた。
しかし今は時間が惜しかった。オニキスは声を励ました。
 「聞くがよい、カルタラグンの諸君よ」
それには、ソラムダリヤの意向があった。
 「ようこそ、オニキス。ヴィスタチヤ帝国皇太子ソラムダリヤ・ステル・
  ジュピタです」
此処に来る直前、オニキスはソラムダリヤに急遽呼び出されていた。
使者の案内で城内に招き入れられたオニキスは、平生の
傲岸不遜をひっこめて、礼儀にかなった所作でソラムダリヤの
前に頭を垂れた。
 「お目にかかれて光栄です。殿下」
 「苦労なされたことでしょうね。オニキス」
ソラムダリヤはさり気無くオニキスをねぎらった。
廿年前の改新は、ソラムダリヤにとっては幼い頃に起こったことだった。
彼が知っているのは、カルタラグン王朝の名残を根こそぎ削ぎ落として
新式に再構築された皇居であり、聖騎士家の中心に皇帝である父
ゾウゲネスを据えた、ジュピタの揺るぎない御世だった。
苦労知らずのソラムダリヤにとって、追い落とされた側の辛苦などは
所詮は想像上のものでしかなく、こうして人生の半ばを過ぎた
男の登場にあたっては、さぞや現状を嘆き、父と皇帝家を
恨んでいるのだろうと内心では気の重いものがあったものの、
ソラムダリヤはそういった私情をあえて差し挟まぬことを選んで、
しっかりとオニキスに向き直った。
 「ハイロウリーン家の客人である貴方に来てもらったのは、他でもありません」
時が惜しいので手短に云います、とソラムダリヤは断りを入れた。
誰に対しても誠意をもって話しかけるソラムダリヤは、オニキスを
前にしても態度を変えなかった。
 「西の砦周辺に、現在、城の抜け道を辿ってコスモス城に侵入した
  カルタラグン家の残党が集まり、巫女をミケランの手でから救おうとして
  ハイロウリーン軍といたずらに衝突しています。
  そこで、わたしは貴方に頼みたいのです。カルタラグンの旗を立て、
  カルタラグンの皇子として、彼らを鎮めに行ってもらいたい」
 「カルタラグンの皇子として?」
オニキスは陰気に眼を泳がせた。
日蔭の生まれの彼は何事も悪い方向へとかんぐる性質があり、またその
かんぐりが的中することも過去多く、それをもってして、皇太子の言を
素直には喜べなかった。
カルタラグンの皇子と自ら名乗ったが最後、残党騎士らと共に
一網打尽にされ、今度こそ、処刑されるのではないのか。
だがソラムダリヤは、そのようなオニキスの猜疑心をあえて無視して、
肯定してみせた。
 「そうです。皇帝陛下に代わり、今回に限りわたしがそれを認めます。
  限定的、暫時的にではありますが、緊急事態には変えられません。
  オニキス、カルタラグン皇子を名乗るように」
 「それをおゆるしいただけますのも、おそらくはこれ限り」
うっそりと、オニキスは頭を下げた。
 「殿下のお指図どおりに」
 「わたしは貴方に対して、聖騎士家の生まれの方に対する尊敬を
  当然持っています、オニキス」
ここ数日の過労と憔悴がたたり、誰の眼にも、皇太子の顔色は無条件で
同情を寄せられるような疲労困憊の様相であったから、その青年が
健気にも皇族らしく立派に振舞おうとしているのを見れば、さすがの
ひねこびたオニキスにも、感じ入るものがあった。
 「すぐに行き、カルタラグンの人々を取りまとめて安全な場所に
  移動させて下さい。これはカルタラグンの人々を護る為です。
  中洲のはぐれ騎士たちにも、わたしは手出しをゆるしてはおりません。
  包囲軍にも貴方に協力するよう、わたしから伝えます」
 「御意」
 「オニキス」
オニキスが眼を上げると、ソラムダリヤはオニキスをまじまじと見ていた。
皇太子はオニキスの顔かたちに、何かの既視感を覚えているようであった。
記憶にある肖像画と輪郭を重ね、ソラムダリヤは何かを
考えているようだった。
しかしソラムダリヤは口の中で呟くに留めた。
 「騎士家は互いに婚姻を重ね、血を混ぜ合わせているのだ。
  中でもフラワン家は、聖騎士家と婚姻を重ねてきた家。
  だから、ついついそう見えるのだろう。リリティスの兄に似ていると」
 「剣をおけ、カルタラグンの諸君よ」
オニキスは、ソラムダリヤの期待に応えた。
彼とても、これ以上の無益な殺戮は反対であったから、馬上から
彼らを説得するその言葉には力がこもった。
 「皇太子殿下よりのお達しである。諸君らの身柄は、ひとまず
  コスモス領主の預かるところとなり、その命は保証される。
  ミケラン・レイズンはその生涯の悪行に見合う処分を受けるであろう。
  帝国の法と皇太子殿下の慈悲を信じ、剣をおけ。
  諸君らの為に、わたしも一命を投げ打つ覚悟である」
 「オニキス様」
 「オニキス・カルタラグン」
 「カルタラグンの血を絶やしてはならぬ。再興を望むのであれば、
  命を無駄に散らしてはならぬ。後はハイロウリーン軍に任せ、
  武器をおろし、砦前より撤退せよ」
演説の途中で、カルタラグンの騎士および、ハイロウリーンの兵たちが
石のごとく黙りこくって一点を見詰めているのに気がついた。
オニキスは馬首をまわし、後方を振り返った。
巫女がお渡りになる。
誰かが、愕きのうちに呟いた。
 

姿を消したエステラを探し、シュディリスは砦の中をさまよっていた。
砦の内はミケランの陣なので、エステラに危険なことはあろうはずも
ないところであるが、ルビリア・タンジェリンまで内部に潜入しているとなれば
話はまったく別である。
エステラがルビリアに捕まって人質にされては大変、または殺される
可能性も無視できないため、シュディリスはエステラが見つからぬことに
かなり焦っていた。
 「エステラ!」
兵が一箇所に引き上げてしまったのか、砦の中はがらんとしていた。
静寂の理由は、やがてシュディリスにも知れた。
横合いの狭い階段の上から何かがシュディリスの足もとに
転がり落ちてきた。よく見ると、兵の生首だった。
靴先で落ちてきた生首の向きを変え、その切り口をシュディリスは確かめた。
巨人の斧の一撃でもこうはいくまいと思われるほどに、断面は鋭利に
すっぱりと切れていた。
剣を構えてシュディリスは階段の上を見た。
塵の踊る静かな石段には、折り重なって死んでいる兵の死体が多くあった。
この小間に追いつめられた殺戮者は、階段を駈け上がりながら、
たて続けにミケラン兵を屠ってのけたらしかった。
そこから推し量れるの剣の速さと強さの技量は、思い浮かべるだに
怖ろしいものだった。ますます心配になってきたシュディリスは、
危険をおかしてエステラの名を呼んだ。
 「返事を、エステラ!」
探し求める声は、砦の廊下に、陰々と響くのみだった。
シュディリスには、リリティスのことも案じられた。
そちらの方はユスタスが何とかするとは思うものの、彼の愛の
少なからぬ部分を占めているリリティスにもし何かあったらと思うと、
息をするのも苦しくなってくる。
覗き込んだ次の回廊は真っ暗で、自分のあし音ばかりがこだまする。
本丸同様、建て増しに建て増しを重ねた古い砦は、部分に
よっては採光窓からの光が届かずに真っ暗であったり、思いがけない
場所に連絡通路があったりと、複雑だった。
狭く入り組んだ階段を上がったり下がったりするうちに、いつしか
何階にいるのかも定かではなくなった。
そのうちシュディリスは何かの気配を、すぐ傍に感じるようになった。
正しくは、ざわざわとした何かの声の塊だった。
 ----どうしても行くのか。今こそ陛下にはそなたが必要だというのに。
 ----地上の王に仕えることは許されてはいないからと、そなたは
   やはりそう云うのだな。それならば仕方ない。せめて陛下に
   ばれないうちに、コスモスから去ってくれ。
地の底から、壁の中から、古きその声はひそやかに反響し、
捉えどころのないままに消えていった。
シュディリスは天井を仰いだ。
色あせて顔料の剥げ落ちた古代コスモスの意匠の名残が、一瞬だけ
鮮やかに往時の色で甦ったような気がした。シュディリスが眼を凝らした
その隙に、誰かが、シュディリスの真横を永遠に通り過ぎていった。
古びたぬるい風の霊につられて振り返ったシュディリスは、その風を
追うようにして、眼についた階段をのぼり始めた。
風に導かれたそこは、ユスキュダルの巫女が眠る、領主の室だった。


西の砦へ繋がる唯一の通路を護っているハイロウリーン軍は
エクテマス王子の裏切り行為に手を焼いていた。
彼らには、扉の前に立ち塞がったエクテマス王子の行動が
さっぱり理解できなかった。
もとより異端の女騎士ルビリア・タンジェリンの従騎士としてルビリアに
付き従っている彼は、他の王子たちとも騎士たちとも一線を引いており、
姿を見かけるのは非番の日の賭事の場であるとか、或いは国をあげての
公的行事の場において、他の六人の王子たち、長兄ケアロス次兄イカロス、
三男ワーンダン、洗練された容姿でひと眼を惹く四男カンクァダム、
五男インカタビア、末王子のワリシダラムら、兄弟王子の、横端か背後に、
無表情に突っ立っている無愛想な青年王子としか、今日この日まで
誰からも認識されてはいなかった。
巷で面白半分にあれこれと囁き交わされているような、主ルビリアとの
いかがわしい関係についても、事実関係は不明のままであり、あまりまともに
人と口を利いたことがなく、しかしながら年少組の兄と弟とはそこそこ
仲良くしているらしき、全体的に影の薄い謎の人。
その寡黙なお家の若王子が、ミケラン軍攻略の突破口となる扉の前に
立ち塞がり、その剣を自軍に向けているのである。
 「軍規違反ですぞ、騎士エクテマス」
将軍らの再三の呼びかけにも、エクテマスは応える事はなかった。
ルビリアが砦に入ったのを機に、外壁に見えるところのミケラン兵は
潮が引くように姿を消してしまい、砦を攻略するのは今だ、という
肝心な時であった。
 「どうしたことだこれは」
 「フィブラン様はまだか」
負傷兵は速やかに後方に送られたものの、回廊に飛び散った
血痕が、もの凄き業の通過と存在を知らしめていた。
ハイロウリーン兵はぞっとなった。
素行不良の王子の、この突然の豹変ぶりは、天下のハイロウリーン兵を
瞠目させ、怖れさせるに足りた。これがまことエクテマス王子の業なのだと
すれば、束になっても敵う者はいないであろう。
かねてよりエクテマス王子の硬質な若い横顔のうちに、時折物騒な
暗い光を見出して警戒していた聡い者ですら、王子の技量の
あまりの超越ぶりに言葉を失ってしまい、現状を受け入れることが難しかった。
歌にもきこえた名高きハイロウリーンの騎士たちは、茫然と王子を見詰め、
王子を遠巻きにした。
 「王子。じきにフィブラン様がお越しになられます。どうか、穏便に」
聴こえているのかいないのか、エクテマスは来るもの拒まずといった
態度で、剣をさげ、扉を背に立っていた。
 「こうなることが、分かっておられたのでは?」
いそぎ、エクテマス王子の説得に向かっているハイロウリーン軍大将
フィブラン・ベンダを途中でつかまえたジレオン・ヴィル・レイズンは、
フィブランと並んで歩きながら、苦言を述べた。
 「貴方はこうなることを最初から想定しておられたのでは
  ないのですか?」
その声は尖っていた。
あまり露骨な嫌悪感を顕にしないジレオンであったが、珍しいことに
あからさまな反発をみせて、目上のフィブランを責めていた。
 「ミケランの失墜が明らかになった時点で、貴方はどうせなら
  騎士ルビリアに仇をとらせてやりたいと思われた。
  そこまではいいでしょう。
  ですが貴方はあらかじめ、今日という日を予測して、時くれば
  騎士ルビリアにミケランを討つよう、常々ご子息エクテマス王子を使って
  ルビリア姫を唆していたのではないのですか」
当初は掴んだ相手の弱みや非をここぞとばかりに糾弾しておくことで
後々の優位を得ようというジレオンの心積もりであったが、弱者や女を
利用することがことのほか嫌いな彼の批難は、次第に本気を帯びてきた。
 「国を滅ぼされたルビリア姫にはミケランへの並々ならぬ遺恨があった。
  貴方はこれ幸いとそれに便乗し、いや、貴方こそルビリア姫の
  狂気を手許で増幅、増長させて、王子の一人と婚姻させることもできた
  タンジェリンの生き残りの姫に他の人生を与えてやらず、ルビリア姫の
  意志を尊重してやるふりをしながら、復讐の騎士に仕立て上げたのでは」
フィブランを睨み、ジレオンは声を荒げた。
 「ミケランが謀反者となった状況下において、それは実を結んだ。
  対外的には、ルビリア姫が狂気という病で逸脱しているように
  見えるために、ハイロウリーンの責任は最小限ですむ。
  貴方を頼ってきた寄る辺なき少女一人、洗脳し、操ることは
  簡単であったでしょう。違いますか?」
 「それがなにか」
というのが、フィブランの返事であった。
 「フィブラン様、お急ぎを。こちらです」
 「次代レイズン家のご統領ともあろう方が、それしきのことでうろたえるのか。
  貴殿のかんぐり過ぎと切って捨てるのはたやすいが、生憎と事実」
 「なんですって」
フィブランとジレオンは二階の回廊に辿り着いた。
彼らの前に、兵が道を空けた。  
 「ミケラン・レイズンの独裁状態を憂慮していたのは、なにもレイズン本家
  だけの専売ではないということ。刺客という毒を飼うくらいの用意はある。
  ただしそれも、ルビリア・タンジェリンに固い決意があってこそ。
  それを利用することを考えなかったといえば、国を治める者として嘘になろう。
  一切の責任はわたしの上にあるのだ」
 「それで」
フィブランの胸中などあずかり知らぬジレオンは、軽蔑的に鋭く続けた。
 「タンジェリン家のルビリア姫を強騎士として育て上げ、
  王子の一人をその見張りとしてつけて、今まで物分りの良い
  保護者面をしていたのですか。
  わたしもレイズン家の者として多少の狡猾さは持ち合わせていますが、
  不遇の立場にある女人をそんなむごい道具に使おうと思ったことはありません。
  責任は貴方の上にあるだって。全ての罪を背負うのは、貴方ではなく
  ルビリア姫です。首尾よく望みが叶ってさぞや嬉しいでしょう、
  フィブラン・ベンダ・ハイロウリーン」
ジレオンの皮肉を無視し、フィブランは砦の扉の前にまで進み出た。
いつの間にか、フィブランは剣を抜いていた。
父の姿を見ても、エクテマス王子は身じろぎ一つしなかった。
 「エクテマス。君主の命である」
返事の代わりに、エクテマス王子は黙って剣を持ち上げた。
 「茶番ですね。見てられない」
ジレオンは横を向いてしまった。
 「騎士ルビリアがミケランの首をあげるまで、そうやって親子で時間稼ぎを
  なさるおつもりですか。ハイロウリーンの長としての体面を保たねばならぬ
  御身と、その意図を重々承知で、逆らってみせる王子の、親子劇。
  息が合うことだ。女騎士を死地に追いやっておいて、あなた方は、」
ジレオンの言葉は途中で途切れた。
エクテマスの上にも強い変化があらわれた。フィブランをはじめとする、
ハイロウリーンの騎士たちにも。
それは、極光をわけて現れた、光の姫だった。
回廊に姿を現した北の姫君は、ジュシュベンダの王子を護衛として従え、
扉に向かって女王のように歩いてきた。
おののきが辺りを支配した。それはしだいに騎士たちの間に広がって
畏れとなり、敬慕となり、畏敬の沈黙となった。
ルルドピアスとエクテマスは扉の前で向き合った。
他の者たちは剣を収めていたが、エクテマスだけは、まだ構えていた。
剣を前にした少女の顔には、そよぐ花を見るような優しさだけがあった。
静寂の一刻は、やがて、エクテマスの方から破られた。
若い剣士は剣をおろし、礼をもって、北の姫の前に扉を譲った。
工作兵によって扉が破られると、パトロベリとグラナンが進み出て、
姫の為に回廊の扉を開いた。エクテマス王子は低い声で、すれ違う
ルルドピアス姫に願った。
 「ルビリアを」
決してそうはならぬと分かっている者の頼みだった。
大勢の騎士を従えてルルドピアスは過ぎていった。
 ----私の従者になるなんて履歴の傷ね、エクテマス。
その場に残ったエクテマスは、在りし日の女騎士の明るい笑顔を
胸のうちに抱いて、黙祷を捧げるように、下を向いていた。 


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万歳。
陛下、おめでとうございます。
 「コスモス三世陛下、万歳」
コスモス三世は、建国記念の祝賀に沸き立つ宴を抜け出して、
大急ぎで城の階段を駈け降り、歩廊にまろび出た。
 「あれは、何処にいる」
 「陛下。どうなさいました」
 「あれは何処にいる。予の星の騎士は」
月光の下、気に入りの騎士を探す王の声がコスモス城に響いた。
 「シュヴァラーン。放浪の騎士よ。何処にいる」
それはいつしか、星空を渡る、かぼそい子供の声になった。
何処なの、シュヴァラーン。
行ってしまったの?
シュヴァラーン----……。


白昼夢は唐突に醒めた。
天窓から入る筋状の淡い光により、縦に長い王座の間は
たくさんの細やかな氷柱が密に立ち並んでいるように見えた。
そこはかつて王の間として使われた広間だった。
奥の暗がりには、今ではもう滅多に人目に触れることもない
大理石造りの王座が、根を生やした椅子の化石のようにして
残されたままになっており、敷物や宝飾を取り除かれた上段には、
槍と旗を立てかけていた頃の痕が、埃にすすけてわずかに
往時の名残を留める模様となっていた。
時折、この広間には人が集った。
時折というのは、昔むかしのことだった。
今は広間には近衛の姿もなく、殿上人の姿もなく、外の喧騒を分厚い
扉で遮断して、水の底の墓場のように、しんと静まり返っているばかりだった。
ミケラン・レイズンは、コスモス王の坐るその椅子に腰をおろしていた。
その生涯で一度たりとも望んだことのない、それは、王たるべき者が
広間に集う者を睥睨して坐る、支配者の椅子だった。
椅子に坐ったミケランは、そこから、王座の間の天井画を眺め上げていた。
花びらを象った丸い窓を囲むようにして、コスモスの歴史が古めかしい
絵で描かれている、稚拙な天井画だった。
まだコスモスの領土が小さく、この砦が本丸であった頃に、この王座の間を
煌びやかに飾っていた、古代の名画。
線も色もおぼろげになっているそれらの古い画は、神話の時代に
属する、コスモスの建国物語から始まっていた。
 『蒼い空より星がおち、それは世界の最初の礎となった。
  人々はその場所に名をつけた。コスモスと。』
今となっては知る者もほとんどいない古語と年号。
大切に刻まれたその年ごとの語り継がれるべき出来事、歴代
コスモス王の名とそのすがた。
すっかり顔料が落ちて色あせた画には、ところどころに嵌め込まれた
色石だけがまだ鮮やかで、下から仰げば、星座に見えた。
ミケランの眼は、天井の隅へと移った。そこにも古き王の名があった。
 ----コスモス三世。
ミケランはその王を知っていた。
地下の霊廟で永遠の眠りについていた。
殉死した忠実無比な側近騎士に護られて、霊安室ごと葬られ、
改ざんされた歴史の中にその改革の理想ごと消えた、悲運の王。
家臣の裏切りに逢い、ひそかに毒殺されたと伝わる、それは
もう一人のミケランであったかも知れぬ、夢の王の名だった。
 「だが、私はそうはならなかった」
王座の間でミケランはひとりごちた。
薄翠色の木漏れ日の中に、若く響いていた、かつての己の声。
何もかもをこの手で変えていく期待と昂奮に耀いていた、虹色の時代。
 「ゾウゲネス・ステル・ジュピタ皇子」
 「やあ。これは学弟ミケラン」
それが始まりだった。
 「ミケラン。君の秀才ぶりはきこえている。ところで、学内とはいえ
  あからさまにわたしを皇子と呼ぶのは」
 「学兄とわたしとで力を合わせれば、ジュピタの御世を取り戻せます。
  貴方はジュピタ皇家の正統なる後継者だ」
 「レイズン家のために?」
 「それではカルタラグン家の二の舞になってしまう。ヴィスタチヤ帝国は
  ジュピタ王の治めるもの。それでこそ他の騎士家も納得するのです。
  わたしは裏から貴方を支える。帝国は貴方のものだ、ゾウゲネス皇子。
  ゾウゲネス・ステル・ジュピタ皇帝陛下」
 「----夜襲だ。見ろ、あれを」
 「ジュピタの皇旗が!」
 「倒せ、カルタラグンを倒せ!」
 「帝国を腐乱させたカルタラグンを追い出し、ジュピタの御世を
  取り戻すのだ」
その底には絶えず、領地にいる母親の批難の声が付きまとっていた。
まあ、何という怖ろしいことをするのです、ミケランや。
 (だが、結果的にそれは帝国を基盤から清新し、歴史上類例を
  見ないほどに、興隆させたのだ)
改革を切望していたコスモス三世の死後、ゆるやかな衰退と停滞を始め、
周辺に大国が乱立する時代にも、時を止めたお伽の国として、小さく
とどまるに過ぎなかった、この伝統のコスモスとは違い。
 (もしも、わたしがジュピタ家の王子であったなら。
  また、いずれかの騎士国の本家の者であったなら)
改革など思いつくこともなかっただろう、とミケランは自嘲した。
 (ゾウゲネス皇子が偶然にも王立学問所の上級にいたこと。
  わたしが財政の傾きかけた分家の生まれであり、父の早世に
  伴って早くに家督を継いだこと。その全てが最高の環境であり、
  最強の駒だったのだ。
  分家出身の無名の若造が学兄の皇子と共にことを起こすことで
  レイズン本家は無関係を決め込むことが叶い、カルタラグン家のように
  他家から浮き上がることもなかった。
  実利は奪っても、本家の屋号は奪取せず、分家の男のままでいること。
  あくまでも皇帝の友人として、表舞台からは姿を消すこと。
  それこそが、わたしの勝手が見逃される為には必要だったのだ。
  コスモス三世のような、王ではないことが)

こうして反芻する時、ミケランは己の才や努力というものに
何の価値も誇りもおかない男であった。
そのような気質が、ミケランをして、滅私奉公とも受け取れるような
私財の提供と、表立っては名を出さず、壮麗な公共建築物の数々にも
後世に残るような名を刻ませぬ信条にも繋がっており、そうやって
完全に自分というものを消していくことこそ、業績は公正に評価され、
ひいては自身の栄誉にもなるのだと、頑なに信じているようであった。
この奇人的な節制には、ミケランの謙虚があった。その他諸々の眼からは
傲慢に見えるほどに、彼は常に、宇宙や藝術や、知識の忠実な
しもべであった。うち立てたものが、いつかは崩れ去ることを、
積み木遊びで試みたことが、歴史の中でも繰り返される摂理を、彼は
達観として早い時期にその心に刻んでしまった為に、ある時には
何もかもが虚しく、またある時には、人々の営みを、遠い過去か未来から
いとしく眺めているような、そんな気さえするほどだった。
さいわい、彼は生来快活な気性で、享楽家で、変化と進歩が好きな
行動する実行派であったので、例えばナナセラの藝術家たちがしばし陥る
気鬱の病や停滞には無縁であった。しかしそれも、かなりの広範囲で
思い通りになる人生を一巡りも二巡りもしてしまった後には、何をしていても、
絶えず箱庭の中で自問自答をしているような閉塞感が、発展の歓喜を超えて
黄金の砂のように胸に詰まってくることを、生きている以上は彼であっても
避けられなかった。
崇高な童心でもって、彼はそれらの事象を内外に見詰め続けてきた。
耀きはそのままに、さらさらと、重みなく、時の砂は彼の上を滑り落ちていった。
なにかを作る度に、彼はそれが風雨と年月にひび割れてゆく様が見えた。
誰かと接する度に、彼はその者の辿る生涯のおおよそが予測できた。
どれもこれも、崩れ去り、消え去っていった。
積み木で遊んでいた少年は、最後にはそれに厭きた。
分家に生まれた若者は夢と理想を具現化する幸福な生涯を送ったが、
ミケラン・レイズンの野心と執着は、若いうちに、すごい速さで終わった。

そのミケランは、王の椅子に坐って、何かを待っていた。
かつては焙り肉や壷酒がはこばれて、にぎやかな宴が夜を徹して
開かれたであろう、大広間だった。
いずれ家臣に謀殺されることになるとも知らぬ理想主義の王が、
眼をほそめて国土を睥睨していたであろう、王座の高みだった。
その栄華も、樂の音も、絶える時が訪れた。
冴えた月が白い石のように中天に昇った深夜、目立たぬ場所に
坐っていた一人の騎士が、愛剣を片手に立ち上がり、吟遊詩人の
歌に紛れるようにして、宴を離れてゆくのが、ミケランには見えた。
星の騎士は?
いにしえの王がそうしたように、ミケランは広間の扉へと眼を向けた。
古代コスモス王国の意匠が彫り込まれた古い列柱の並びの向こうに、
王が愛した、流浪の騎士がいないかと。いずれの地上の理にも
繋がれることがないという謎の騎士が、何処から来て、何処へ
去ってゆくのかと。
王座の間は、夜明けを待つように、青く耀いていた。
ミケランの夢想の中から現れたかのように、一人の女騎士が扉の前に
立っていた。
 (破壊の女神よ)
ミケランは王座から動かなかった。
膝の間に剣を立て、剣頭に両手をかけて支えた姿勢で、彼は待った。
カルタラグン家最後の皇子とその運命を二分した女は、柱列を抜けて
まっすぐに正面の王座に向かって歩いてきた。
どうか、生きてその日を迎えられますように。
その刻を。
女は歩いてきた。
記憶にある幼い姫ではなく、ハイロウリーンの騎士として、タンジェリンの
女は二度目の命を生きていた。青い眸が、ミケランを見ていた。
リィスリ・フラワンはかつて云った。
もしもオーガススィ家に生まれたわたくしが騎士であったなら、
あの政変の夜に愛する翡翠皇子と共に戦って死んだことでしょう。
女が見ているものは、あの日の、あの夜、あの皇子宮の一室だった。
翡翠皇子のからだを切り刻んだ男と、その剣だった。
ルビリアに見えているのは、何度でも巻き戻っていく、あの夜だった。
ルビリアは見ていた。
翡翠皇子にとどめの一撃を振り下ろした、黒髪の男の姿を。
ミケランは王座から動かなかった。女は歩いてきた。
広間に辿りつくまでの壮絶な経緯を示すかのように、女は全身に
赤い霧をくぐってきたかのような返り血を浴びていた。
それは耀く紅玉石となってハイロウリーンの白と金の
鎧装束を飾り、女をタンジェリンの色で飾っていた。
ルビリアは幽鬼のように美しく、かがやく眸は、海のように青かった。
ミケランは待った。
残された僅かな愉しみ、彼が想念のうちで幾度となく繰り返した
彼の終わりが、女騎士のかたちをとって現れたことを、彼は喜んでいた。
立てた剣の剣頭に両手を重ねて、ミケラン・レイズンは王座で待った。
身動き一つしなかった。
王座の上段から彼は見ていた。
 ----ヒスイ。ヒスイをよくも。殺してやる、ミケラン・レイズン
迫り来る復讐の女を、彼の夢の中に繰り返し出て来ては叫んでいた
嘆きの少女を、長年ひそかに待ち望まないでもなかった、この訪れを。
柱の影を伝って歩いてきたガーネット・ルビリア・タンジェリンは
少し歩みを落とした。
祝福された狂気が飛び立つように、女騎士は床を蹴った。
それは宝石と剣、タンジェリンの赤に銀と唄われた、紅蓮の炎だった。
剣光を曳きながら、女騎士は王座の階段を一気に上り詰めた。
言葉も、断りも、もはや不要であった。それは廿年前に果たされていた。
それぞれの生涯の全てをこめた勝負は、どちらが優勢だったのか。
男は剣をまだ抜かず、王座に坐ったままだった。
女が最後の一段をひと跳びに超え、剣を握り締めたその腕を振り上げた。
女の剣の影が魔の翼のように頭上に閃いたその刹那、高位騎士ミケラン・
レイズンは立ち上がり、眼にもとまらぬ早業で剣を抜くなり、必殺の念の
こめられた女の剣を真正面を向いたままで、阻んでのけた。
 「ミケラン!」
交差した剣と剣が打つかる強烈な火花が王座の間に飛び散った。
剣音は王座の間を駈けぬけて、石柱に跳ね返り、高い天井を貫いた。
位騎士にしか叶わぬ速さと力を余すところなく傾けて、ミケランは
コスモスの王座から立ち上がった。
 「騎士ルビリア」
女騎士の次の手、これも受け止めてはじき返し、上段から少し広い
下段に闘いの場を移しながら、ミケランは心から女に云った。
 「誰が誉めずともわたしが誉めてあげよう。よく来た」
まことの王のごとく、レイズン家の鎧を誇り、ミケランは顔の前に剣を立てた。
単身で此処に辿りついた女には疲労があったが、それを上回る
忘我の執念があり、それを迎える男には、その人生を最後まで
進取と未知なるものに賭けていこうとする、生まれつきの強い気概があった。
右に飛んできた女騎士の剣勢を右で受けておいて、左にも受け返し、
さらにはまた大振りに右で受け止め、雷光のごとき凄まじき速さで
繰り出される女騎士の剣を、ミケランは全てかわした。
彼とても、滅多にそれを人前でふるうことこそなけれども、極めて優れた
高位騎士としてこの世に生を受け、鍛錬を重ねてきた男であった。
そしていたずらな愚弄を好まぬだけの、礼節を知っていた。
 「さらば」
空白が落ちた。
女の息は、男に断たれた。
血の音が床を叩いた。
男の生涯を賭けた一剣を加えたミケランは、前のめりに倒れてきた
女騎士に手を貸さなかった。それは騎士の礼儀だった。
男は女に勝った。すれ違うルビリアの青い眸が、神がかった無心の
集中力と気魄で、月夜の宝石のように清むのを見るまでは。
強音が天井に響いた。
カルタラグン王朝の庭に、赤い花びらが散っていた。
あまりの速さに、視覚聴覚は機能を果たさず、その瞬間を捉えなかった。
ただ想い出だけが王座を巡り、赤い花をあたりに散らした。
剣が女の剣によって二つに砕かれるのを、ミケランは驚愕の眼で追った。
それはひどくゆっくりと見えた。
雪片のように耀き落ちる剣の破片がまだ床に届かぬうちに、女の強剣は
ミケランの身体を鎧ごと斬り、体当たりしながら返す刀で致命傷となる
もう一刀をミケランに加えていた。ミケランはそれを避けられなかった。
互いの激しい息づかいのうちに、二人の高位騎士は階段から転落し、
柱にぶつかった。ミケランの傷口から、どっと血が溢れ出してきた。
静かな音が聴こえた。
這い上がり、とどめを与えようとミケランにさらに迫る、女騎士のあし音だった。
朱に染まった狂気の女は、復讐の女神のごとく剣を握りしめ、その眸は
ミケランを見詰めながら他のものを燃やし尽くして、妙に空洞だった。
地上では見ることの叶わぬ赤く美しい、命の光を見詰めて、静謐だった。
柱に背をつけ、ミケランは口許に笑みを浮かべた。それでも己は最期まで
世界への挑みを止めぬのだというかのような、挑戦と自嘲の
不敵な笑みだった。男は、まるで楽しいことや、見たこともない
新しいことが起こるのをこれから期待するような眼をしていた。
 「あの人も----翡翠も、そうだったわ」
ようやく女騎士はその声をきかせた。
ひややかで、感情を欠いた、亡霊の声だった。ミケラン・レイズンは
首肯のかわりに、わずかに口端を皮肉に吊り上げた。
女がミケランに近付いてきた。ミケランは眼を閉じなかった。
男の意志はそれほどまでに強かった。死に際においても、彼は
業も運命も因果も、殺されることすら興味深い何かの事例のようにして、
その頭脳のどこかに整然と納めようとしていた。
ミケランは女騎士を抱きしめるように両腕を広げ、待ち構えた。
改新が不首尾に終わっていたら、とうの昔に終わっていた命なのだと
自ら誇示するように。
ルビリアは剣を持ち上げた。その動きは途中で止まった。
彼らの背後から制止の声を放ったのは、若い女だった。
 「剣をおろして」
若い女が、後ろからルビリアの首筋に剣先をあてていた。
 「剣をおろして、ルビリア・タンジェリン。
  ミケラン・レイズンを裁くのは貴女ではありません」
ふるえる声が名を名乗った。
 「わが父は、不可侵領トレスピアノを治めるカシニ・フラワン。
  母はリィスリ・フラワン・オーガススィ。聖女オフィリア・フラワンの
  名において、あなた方双方に命じます。速やかに闘いをやめ、
  帝国皇太子の前に投降して下さい」
 「リリティス」
呼びかけたのは、ミケランだった。
荒い息をつき、ミケランは顔をゆがめてリリティスに首を振ってみせた。
 「逃げなさい、リリティス」
血が詰まったものか、ミケランは咳込んだ。
 「君の敵う相手ではない」
ミケランの様子に青褪めながらも、リリティスは声を強くした。
王座の間にリリティスの勧告がもう一度響き渡った。
 「剣をおろして下さい。騎士ルビリア」
女騎士は、赤い薔薇がよじれるように、うっすらと嗤った。
ルビリアは、リリティスに従った。その剣がしだいに床に下がった。
血を失い続ける女のからだも、膝から力を失うようにして、徐々に
低くなっていった。
 「リリティス----」
ミケランの叫びは間に合わなかった。
反転し、不意打ちで胸元にとび込んできた女騎士の剣をリリティスは
避けきれなかった。銀光はリリティスの腕を掠めた。
リリティスは大きく後ろに跳び退った。ルビリアはそれを追った。
剣の音が鳴り響いた。リリティスは辛くも逃れたが、ルビリアはゆるさなかった。
ハイロウリーンの将として男たちを率いてきた女騎士の剣に、リリティスが
対等であろうはずもなかった。たちまちのうちにリリティスは追い込まれた。
リリティスはぎりぎりのところで剣筋を見切るのが精一杯だった。
力に押されて、リリティスはよろめいた。ルビリアの両眼には、愕きと
感嘆が浮かんでいた。女騎士の流す血が、時雨のようにぱらりとほそく
リリティスの顔の上に落ちてきた。
 「素晴らしいわ。夜明けをひらいてゆく北の暁がみえるよう。
  オーガススィの海の血は、フラワンの森に花ひらいた」
 「騎士ルビリア。私は貴女と闘いたくはありません」
極限にまで高まった恐怖と緊張に、リリティスの声は引き攣った。
 (貴女は、シリス兄さんの生母。私には討つことが出来ません)
リリティスの白い頬に一筋の血が流れた。これ以上はもう見たくなかった。
いっそ己の心臓が枯葉のようにぴりぴりと裂けて砕ければいい。
絶望にかられてリリティスは叫んだ。
 「どうか、もうやめて」
 「退いておいで」
耳元で掠れた声がした。その声はじゅうぶんにまだ強かったが、
既にミケランの顔には、死相が出ていた。
リリティスの肩を掴むと、ミケランはリリティスを押しのけた。
ミケランは折れた剣を捨て、リリティスの手から剣を取り上げた。
男の全身が放つ凄みは、もはやミケラン単体のものですらなかった。
それはレイズン家の竜の血だった。脈打つ黄金の血の魂だった。
 「これはね、騎士の闘いなのだ」
騎士は死ぬまで闘うことを止めぬ呪われた種族。それを身体で
教えるようにして、ミケランはリリティスを庇い、踏み出した。
リリティスは泣きながらミケランを押し留めた。
 「やめて、死んでしまいます。騎士ルビリア、この人を殺さないで」
そんな女騎士こそ、燃え尽きようとしている。ミケランを睨むルビリアの眼は
まばたきもしなかった。二人の聖騎士は、骨片の一つ、血の一滴からも
残る生命を吸い上げ、それでもまだ戦おうとしている。リリティスは震撼した。
突然、ルビリアとミケランの鋭い眼が広間の入り口を向いた。
扉が開き、青年の怒声が王座の間に響き渡った。
 「巫女を殺めたな、ミケラン・レイズン!」
兄さん、とリリティスは苦しく眼を閉じた。



「続く]


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